第肆話:我が主、救いの君よ

「──ッ」


 彼女は頭上に、二つの気配を感じ取った。明らかな敵意。

 彼女が狙いを頭上に切り替えるよりも早く、二つの影はグレイスの体を地面に押し付けた。


「斎藤さんッ! 大丈夫ですか!」


 微かに若さの残る声色が斎藤の状態を慮る。


「斎藤ォ……テメェまた女誑かそうとしてんのか。懲りねぇヤツだな」


 もう一つは、喉が枯れているかのようながなり声。

 グレイスの視界には映っていなかったが、体の重心を的確に抑えつけられていることから、両者とも相当な使い手であることが窺えた。面倒な、と舌を打つ。


総司そうじ新八しんぱちィ、口説いてるところを邪魔するなよな」

「斬られかけてたしょうがアンタぁッ! よくそんなこと言えましたね!」

沖田おきたァ……もうコイツ斬られといた方が良かったんじゃねぇかぁ?」


 この二人もシンセングミか──とグレイスは推測する。これで状況は三対一。

 面倒ですね。本気で蹴散らしましょうか。

 彼女はそう考えて、地面に触れている両腕に力を入れようとした時だった。


「斎藤、おまえが斬られると儂らの損失だろうが。それが分からん男でもあるまい」


 一層、覇気を滲ませる声が離れた位置から聞こえてきた。

 誰だ──とグレイスが眼球だけを動かして遠くを見る。声の主は相当な巨漢だった。筋肉の量と、力強い顔面からこの男もまた猛者であると推測できた。


 その人物だけではない。彼の背後には水色の羽織を着た剣士たちが何人も『誠』と刻まれた旗を掲げ、覇気を滲ませる男に付き従っていた。


近藤こんどうさん……どうしてここに」と斎藤が驚いた表情を見せる。


「奇妙な出で立ちの女と斎藤が斬り合ってるって報告があったんだよ。その場にいた隊士を引き連れてきたが……どういう状況だこれ」


「近藤さんよォ、この糞女誑しは一回背中刺しておくべきだと思うぜぇ」

「僕も永倉ながくらさんに同意です! 痛い目見た方がいいと思います!」


 自分を抑えつけている二人が喚き散らかす。

 この者たちがシンセングミと呼ばれる連中であることは確定だろう。


 完全に多勢と無勢。分が悪すぎる。蹴散らせないこともないが、これ以上暴れても自分には何も利益はない。こちらは少女の安全を確保し、情報を聞き出したいだけなのだ。


 ここが潮時か。せめて、あの我が同胞の安全だけは──とグレイスが目だけで馬車を見る。


 しかし、その馬車には誰もいなかった。

 どこに──とグレイスが瞠目する。


「で、この変な洋服を着た女だが、身動きが取れないようにして事情を──」


 近藤という男が部下たちに指示を飛ばしている時だった。


「や、やめてッ!」と少女の涙声に近い懇願の声が割って入ってきた。


「その人は、私を、助けようとしてくれた! だから、刀を抜いてた! 私を殺すこともできたのに、殺さなかった! 匿ってくれた! だから、酷いことしないで!」


 グレイスを庇うように、彼女の上に乗る二人の服を引っ張り、必死に訴える。


「お、おやめなさい! ここは危険です! すぐに離れるのです、我が同胞よ!」


 ぎょっとしながらグレイスが少女を離させようと声を上げるが、少女は動かなかった。


「邪魔すんな糞餓鬼ぃ」と枯れた声の男が少女に手を上げようとした瞬間、


「やめろ、新八」


 近藤と呼ばれた男が彼の手首を掴んだ。

 みすぼらしい姿であっても、必死の叫びは刀を佩く連中にも響いたようで、


「斎藤、この子の言うことは本当か?」


「……俺が来た時は、そのお嬢さんが小さな子を馬車に乗せて走ろうとしているところだったよ。近くには小太りした男の死体。それと大量の血痕。あと芋。状況的には無い線じゃないね」


「そうか……」


 近藤という男が「うーむ」と困ったように唸り、


「ま、面倒だからどっちも連れてくか」


 そこで詳しいことは分かるだろ。そう言ってグレイスを立たせようとする。


「待て、貴様ら──汚らわしい手でその子に触れるな」


 しかし、グレイスは自分の身よりも我が同胞と呼んだ少女のことを案じた。

 その様子を見た近藤は何かを思いついたのか、手を叩いて、


「そうかい。じゃあ取引だ。子どもには触れない。その代わりに暴れずに俺たちについてきてもらおうか。その町娘ちゃんのこと──そしてアンタが何者なのかを説明してもらうぞ。しかし、両手の自由を許した状態で連れて行くワケにはいかねぇ。お縄にもついてもらおうか」


「私の呑む条件の方が重すぎるんですが」


「そりゃあな。勘違いしてるみたいだから言うが、奇怪な格好をして人を斬り、俺たち相手に大立ち回りする怪物女と、暴れる怪物から町の民を守るために必死に戦う新選組……周囲から見たらどっちが正しく映ってるだろうな」


 露骨に怪訝な顔をして舌を打つグレイス。その様子を見て満足したのか、近藤が部下に指示を出し、一筋の縄で彼女の両手首を縛った。


 私の膂力を舐めているのかと思ったが、すぐに連中の意図に気付く。


「なるほど、私の力ならこんな縄くらい容易に引きちぎれますが、そうした時点で私は貴様らに敵対の意志を示したことになる。弱き鎖とは考えたものですね。憎たらしい」


 さらには、斎藤をはじめ、斎藤に匹敵する手練れが三名──。他の隊士含め、これらを相手にするだけならまだしも、グレイスにとっては少女を守りながら逃げ切るのが難しいのだ。


 ただ、現状でヤツらが少女に手を出そうという意思は感じ取れない。

 ならば、この子の安全を確保するためにも、今は大人しく従う方が賢明か。

 こちらも情報を差し出し、その代わりに欲しい情報を得るためにも。


 グレイスはいいように連行されることに腸を煮えくり返しながら、己の目的をひたすら頭の中で唱え続けていた。




 ──我が主、救いの君よ。

 今しばらく、天にてお待ちくださいませ。

 このグレイスめが、必ず──憎き怨敵の首をお送りいたします。



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黒鞘とメイドの舞踏【マドリガル】 猫侍 @locknovelbang

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