人と悪魔の境界線

A像

第1話

――ハァ...ハァ...ッハァ......!

それは大雨の夜だった。


「クソ!何処いきやがったあの野郎!!」


追いかけてくる連中の声を背に、男は赤子を抱えてひたすら逃げる。追っ手は皆黒いマントを羽織っており、この深い夜にうまく溶け込んでいた。きっと、政府公認の悪魔狩りの連中だろう。

男は我が子を大切に抱えながら死に物狂いで逃げている。


咄嗟に逃げ込んだ路地裏は隠れられる場所がなかった。

ここはダメだ、隠れる場所がなさすぎる。

必死に走り路地裏を抜ける直前、悪魔狩りの連中に待ち伏せをされていた。


「ハァ…う、うそだ……」

男は膝から崩れ落ちた。


もう逃げ場はなく、悪魔狩り達に囲まれてしまった。四方八方で銃口がこちらを睨んでいる。もう逃げられないのは確実だろう。


男は平凡な生活を送っていただけだった。妻が妊娠し、双子の子供が産まれ、これからだという時に妻が悪魔と関係を持っていたことが発覚したのだ。そして、妻と双子の1人は今追ってきている悪魔狩り達に殺されてしまったのだ。


「我々はネメシスだ!お前たちが悪魔と関わっていることはもうわかっている。大人しく罰を受けろ!!」

「なぜ私たちを殺そうとするんだ!悪魔に身を売った妻だけでなく、この子の兄弟も奪うなんてどうかしてる…!」

「悪魔と関わったものは例外なく滅ぼすのがリーダーの命令だ。悪魔を守ろうとするのは異常だ!悪魔に操られている可能性がある」

「何を根拠に…!!」


我が子を守りたくなるのは親として当然のことだ。それを悪魔に操られていると決めつけられ苛立ちを感じる。


すると、連中の奥から上等な服を着た男が現れた。彼が現れた途端に空気が重くなる。彼がこのネメシスのリーダーなのだろうか。

その男は何も言わずにゆっくりとこちらを指差した。それが合図なのだろう、連中は構えている銃のトリガーを引き始める。


その光景が、驚くほどゆっくりに感じた。

「ごめん…守れなくてごめん…………」

我が子を強く抱きしめそう囁き、自分の死を待った。


「ミャウー」


猫…?猫の声がした。

ふと目を開けると辺りはとても静かで、銃口の向こうに冷たい雨粒が浮かんで見えた。男は驚いた。非現実的だが、完全に時が止まっていたのだ。


周りを見渡すと、一匹の黒猫が視界に入った。

その黒猫はただの黒猫ではない。左右で色の違う瞳を持ち、まるで星空を体中に閉じ込めた様な黒い姿をしていた。異様な猫の様子に頭が置いていかれそうになる。

いつの間にいたのだろうか…その黒猫は遠くから前足をきちんと揃えてこちらをじっと見つめていた。


「……助けてやろうか」


静寂の中、低く渋い声が響き渡る。その声は明らかに猫からだった。

男は驚きながらも、藁にもすがる思いで声を出す。


「お、お願いします。助けてください」


黒猫は狙いを定めているかの様に目を逸らさずにゆっくりと歩みを進め男達へ近づき、じっと赤子を見た。


「その赤子、悪魔が憑いているな。非常に興味深い…私に差し出せば、その赤子は助けてやれるぞ」


その言葉に、男は顔を曇らせる。


「い、嫌です。何故この子だけなんです?それにあなたは一体何者なんだ。得体の知れない生物に我が子は預けられません…しかも、悪魔が憑いている?まだ生まれたばかりの子が悪魔と関わるわけないだろう!」


男の言葉に、猫は顔色ひとつ変えずに答えた。


「これは失礼、自己紹介が遅れたな。私は"コテツ"だ。残念ながら君の嫌いな悪魔だよ。子供も君も助けてあげたいんだが、生憎なにか報酬をもらわないと動けないんだ。もし、君の魂を私に差し出してくれるのなら、その子は助けられるぞ」


男は言葉に詰まった。手を差し伸べてきた謎の生物は悪魔だったのだ。悪魔というのはとことん人間を不快にさせるものなのかと、怒りが込み上げてくる。


しかし、この子を助けられる道は他にない。この猫の目的は不明だが、このままではこの子までも失ってしまう。

しかし、そう簡単に契約をするわけにもいかなかった。


しばらく悩んでいると、完全に止まっていたネメシスとかいう連中がゆっくりと動き始めており、今にも男と赤子に弾丸が打ち込まれそうだった。


「さあ、どうする?」


このコテツとかいう悪魔は、私の決断を早めたいのだろう。

時間はそう長く残されていなかった。グッと怒りを抑えて深呼吸をし、苦し紛れに言葉を紡ぐ。

「スゥー…わかりました。この子を、お願いします」

喉から押し出すように声に出した。


その言葉を聞き、猫はご機嫌に喉を鳴らした。

「それでは、取引成立だな」

そう言い残し、猫は暗闇に消えていった。




――ズドドドドドドン!




射殺した男の遺体をネメシスの1人が確認している。力の抜けた男の腕に、赤子の姿はなかった。


「赤子の姿がありません。逃げられました!」


その言葉に、リーダーと思われる男は顔を歪める。


「くそ…やはり悪魔の子だったのか。無闇に追跡するのも良くない、この遺体の処理が終わったら一度本部に戻るぞ」


「「はい!!」」



一方、コテツはすでに自分の本拠地へと戻っていた。

アンティーク調で統一された事務所で、まだ机や椅子などの家具は少なくガランとしていた。まるで展示室のように小綺麗だが、どこか物足りなさを感じさせる空間だった。

ただの黒猫だった輪郭がボヤけ、煙の様になったと思ったら、二足歩行の大きな猫に変わる。その手には先ほど救った赤子を抱えていた。


「あらボスお帰りなさい…ってやだ!その子どうしたのよ?」


事務所の奥から女性がコテツを出迎える。ツノが生えており、髪は白く、肌は灰色で、瞳のみが真っ赤に染まった黒いエプロンの女悪魔だった。

女悪魔は驚いた様子でコテツへ駆け寄る。


「やあリサ、そんな驚くな。少し人助けしてきただけだ」

「この子生きてるわよ。それにこの匂い、人間と悪魔が混ざったような匂いね…」

「なかなか面白い子だろう?」


まじまじと2人で赤子を見る。


「アンタが育てるの?」

「そうだが?」


当然だろ?と言わんばかりにコテツは即答した。


「名前はどうするかな」

「あ、魚の名前はダメよ」

「……もちろんだ」


リサは冷ややかな目をコテツに向ける。


「そうね、植物とかはどう?魚よりマシよ」

「植物か。…マタタビは?」

「絶対ダメ」


リサは呆れた様子を見せる。コテツはしばらく名前を考えていた。


「うむ…楓はどうかね?」

「あら良いじゃない!最初からそれを出しなさいよ!」

 

やっと名前が決まり2人で喜ぶ。コテツはヒゲをピンっと上げて自慢げな顔をし、リサはホッとして息を吐いた。


「今日から私が、お前のパパだ!私の地獄へようこそ…楓」

「アタシはリサよ!ママではないけどよろしくね、楓くん」



――この日から俺は、コテツとリサという2人の悪魔とともに人生を歩んでいくのだった。

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