第32話:刃物を伝って血は流れ


 俺が文芸部にお邪魔して安藤先輩と何やかやしていた頃。月影の女神こと常闇アキラは俺の部屋を訪ねていた。思いっきりコーディネートに力を入れて、初夏の季節を意識したワンピース。気合入れすぎだろ。その姿で俺のマンションに訪ねて、部屋番号で呼び出す。


「はいはーい。伏見でーす」


 そしてあっさり客対応した須藤カーマの声を聴いて、ピシリと固まる。まぁ何をかいわんや。


「何してるんですか?」


「今は荷解きですよー」


「なんで須藤さんがネバダくんの?」


「一緒に暮らしていいって言われたからー」


「……開けてください」


 底冷えのする声だった。おそらく声の温度とアキラの感情の温度は一致していない。


「いらっしゃーい」


 そして、既に俺を想って、そのために目をペンで貫かれかけた過去を忘れたのか。あっさりとアキラを家に上げるカーマ。そのまま嬉しそうに対応する。


「コーヒーでいいですよね? 先輩のインスタントですけど」


「だから……なんで須藤さんがネバダくんの?」


「お金ないんで。一緒に住まわせてくださいって言ったら結構あっさり」


 特に俺から拒否する理由も無いのだが。


「へえ……そう……」


 明らかに納得していない口調で、アキラは肯定する。バカなことに走らなければいいのだが。


「でもアキラ先輩。本当にネバダ先輩が好きなんですね」


「世界で一番愛しています」


「そう言えるだけで嫉妬しちゃうな」


「私にですか?」


「ううん。ネバダ先輩に。私はほら。男の人を愛せないから。憧れの人はアキラ先輩です」


「なのに私の邪魔をするんですね」


「ネバダ先輩に取られると嫌だし。監視も兼ねてね」


 ヘラヘラと笑いながら、コーヒーを出す。俺が使っているマグカップを自分用にするその意味は。


「この……泥棒猫……」


 殺意をもって睨むアキラの、その瞳にカーマは願うように見つめ返す。


「じゃあ……アキラ先輩が忘れさせてくれますか?」


「何を?」


「私の心の内。ドロドロとした泥濘のような感情。生きる上で背負う必要のない不幸」


「自分が不幸だと?」


「人を殺したんです」


「…………」


 さすがにそれは想定外だったのか。アキラも言葉が止まる。


「だから死にたいんです。死にたくなんてこれっぽっちも無いのに、生きるだけで苦しいんです」


「知ったこっちゃないんですが」


「うん。ですから。私はネバダ先輩を頼ることにしたんです」


「ネバダくんと何かあったんですか?」


「それは二人の秘密ということで」


 口元に人差し指を当てて、ニヒッと笑うカーマ。それで絶望的なまでにアキラの瞳が陰る。俺とカーマの秘密と言って悪い方向に想像しないわけが無いのだが。それがセクロスであろうとキスであろうと。それを為したと言って否定の余地なく、カーマは俺の部屋に馴染んでいる。


「……ふぅ」


 それらの悪感情を吐き出すように、アキラは吐息をついた。


「そのネバダくんは?」


「さあ? スマホ見て溜息ついて出かけました」


 まぁ文芸部にいるのだが。今二人を見ているのは使い魔のハエを用いた通信映像だ。さすがに害虫駆除をされるとマズいので、目に入らないようにそっと距離を取って見ているし聞いている。


「先輩の部屋に安易に足を運んじゃいけませんよ。アキラ先輩。食べられたらどうするんですか」


「そのために来たんですけど」


「ダメでーす。アキラ先輩の処女は私が貰うんですから。あ。ここでします? ネバダ先輩のベッドを使うとか興奮しません?」


 やめろください。


「須藤さん?」


「はい。コーヒーお代わりですか?」


「死んでください」


 カバンからあっさり出て来た刃物。何を以てアキラがそれを携帯していたのかはわからないが。職質にあったら百パー面倒ごとになる類のナイフを取り出して、彼女はソレを振りかぶる。


「わー。恐いですね」


 その言葉とは裏腹に、カーマは悟ったような笑顔を見せていた。その左目にナイフが刺さる。感じる痛みは灼熱だろう。熱くて冷たくて、痛くて痒い。そんな痛覚がカーマを襲っているはず。


「嬉しいです。私を刺してくれるんですね。アキラ先輩」


 その突然の凶行を、だが嬉しそうにカーマは受け止める。振り下ろしたナイフがカーマの目を抉って。引き抜かれたナイフが今度は彼女の腹に刺さる。動脈を貫いたのか。溢れんばかりの血が流れる。


「そっか。ネバダ先輩も……こんな感じ……ゴフッ」


 さらにザクリとナイフが刺さる。今度は胸を貫いて肺を刺す。肋骨を抜けるために、ナイフの刃は寝かせられていた。意外と殺意の有無に論じられるのだが、今アキラは自分が何をしているのか悟っていない。血が流れて。冗談ではなく血溜まりを作って。その血が跳ねるようにカーマが倒れて。ゲボゲボと血を吐いて。


「この売女。私のネバダくんを穢して。死ね。死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」


「あはは。好きですよ。ゴホッ。愛しています。アキラ先輩」


「私はお前なんか好きにならない。私の王子様はネバダくんだけ。彼さえいれば私は幸せなんです。お前は無意味に死ね。なんの生産性も無く死ね。誰にも看取られず死ね。どうせ一週間もすればみんな忘れますよ」


「でも、先輩が殺してくれたことを……先輩は忘れないでしょ……?」


「ええ、泥棒猫として一生軽蔑します。アナタの墓に唾を吐いて、どこまでも唾棄しますよ。嬉しいでしょう?」


「うん。嬉しいです」


 目を刺され、腹部を刺され、肺を刺されて、それでもなおカーマはアキラに微笑んだ。アキラに殺されることが本望だと。そのためにちょっかいをかけたのだと。だから自分は幸せなのだと。心からそう言っているのだろう。


「愛しています。アキラ先ッゴボッ……」


 愛の告白さえも喉を通って逆流する血に遮られる。


「あなたなんかに興味はありませんよ。私はネバダくんを愛せるのならば、他に何もいりませんし」


 そしてアキラは更にナイフでカーマを刺す。血が流れる。このまま警察が介入すると、彼女はまず間違いなく殺人罪。こっから逆転は相当な弁護士に金を積まないと無理じゃないか?


「死ね。死ね。死ね。お前なんか、誰にも看取られずに死ね」


 そう言っているアキラ自身がカーマを看取っていることに、果たして気付いているのか。何も言わなくなったカーマを見て、それからアキラはヒヒッと笑う。恋敵が死んだ。そのことが嬉しいと自分を説得する。このまま自分にある正義がどれほどのものか。それを自覚するまで彼女は自己嫌悪を覚えない。

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