高校生25 一変する世界

 陽が昇る。


 建物と建物の間から姿を現す太陽はこれまでと変わらずに顔を見せ、多くの人間に暖かさを与えてくれていた。


 だがそれを当たり前だと思える感性は、最早今の俺達には存在しない。


 黒い穴が中国に現れ、早一ヶ月。中国は多くの構造物や人命を失い、国家運営に多大なる影響を齎している。


 喪失した人間はやはりというべきか中国政府から公表されていない。それどころか正式な被害の最速情報すら無く、現地の人間がSNSに流すことで辛うじて周囲が知れる状態だ。


 他に外部が知ろうとするなら外側からの観測。船や飛行手段を持つ物体を中国に近付け、遠くから撮影する以外に方法がない。


 政府によっては裏で調査員を派遣しているかもしれないが、現地の詳しい情報を入手するまでに死んでしまう可能性の方が高いだろう。


 実際、既に穴からは無数の怪物が出現している。


 将来的にモンスターと呼称されるようになる生物群は未来通りに街が沈み切った後に出現した。その容姿は様々ではあるものの、一日目の夜に出現したのは小型種だ。


 小鬼、犬人、小型動物。人間が知る生態系とは異なる風貌の集団が穴の底からゆっくりと姿を現し、周りへと広がり始めた。


 SNSでは既に死傷者は数多く出ているらしく、遠目では巨大な影も視認しているようだ。


 中国で最初に出現するダンジョンは難度としては決して高くはない。出現するモンスターの種類も尖っておらず、漫画や小説を読んでいれば解り易い見た目をしている。


 ステージは草原と森。階層は十階まで続き、ボスは十人で討伐することが推奨されている。


 その為、未来でのこのダンジョンの立ち位置は初心者卒業の登竜門だ。


 真に冒険者として自立する過程で捻りの少ないこのダンジョンは都合が良く、クリアした後でも金策の為に訪れる人も多い。


 被害自体は多いものの、中国経済を立て直した大事なダンジョンだ。このダンジョンがあってこそ、中国は中国のままでいられた。


 彼等がそれを知るのはまだ先の話。今はまだ、時間経過で増えていくモンスター達の被害を間接的に知っていく他無い。


 どの国もこれがAIによるフェイクではないと判断してから直ぐに軍隊を動かした。特に中国と地続きの国は最大限の警戒をもって銃口を中国に向け、二十四時間体制で今も継続中だ。


「……いよいよって感じだな」


 中国の経済的な活動は殆ど停止することになった。


 今は何よりもモンスターの対処に動かねばならず、当面は現代兵器で凌ぐ形になるだろう。


 とはいえそれは最初だけ。直ぐに間に合わなくなるのは避けられず、下層の大型モンスターが出てくれば現代兵器なんてまったく効きはしない。


 俺は正に、地獄が生み出される時代に居るのだと自室で理解させられた。


 無慈悲に殺される。理不尽に潰される。最も弱者が蹂躙され、強くなることを強制される。


 誰も彼もが対岸の火事ではいられない。特に次は日本であることを思えば、今度は自分の周囲にだって人死にが溢れるだろう。


「こんな状況でも学校が普通にあるとか、なんというか」


 携帯で粗方の情報を探り、服を着替えてリビングに向かう。


 ニュースは物騒極まりなく、日本政府の公式発言も実に不穏だ。今のところは自衛隊による監視警戒を主にして行動しているが、万が一モンスターが日本に上陸したとしても明確な被害を与えない限りは攻撃行動に出るか怪しい。


 日本は防衛が第一だ。それを基軸にするということは、即ち一度攻撃されねばならない。


 その受ける攻撃の規模によっては自衛隊でも間に合わない被害が出るだろう。そして、俺はそれが高確率で発生すると解っている。


 未来は変えることが出来るとしても、まだまだ大きな部分を変えることは不可能だ。そこまでいくなら冒険者として破格の性能が求められる。


「おはよう」


「おはよう、翔。 御飯はもう作ってあるわよ」


 母親と挨拶を交わして机の上の朝食を見る。


 普段と変わらぬ食卓は安心を齎してくれるように見えるが、その裏では母親なりの苦労があった。


 今、中国の出来事によって人々は危機感を覚えている。あのモンスターがもしも中国で抑えきれずに国外で暴れ出したらと考え、地震や津波が起きた際と同様にあらゆる生活必需品を買っているのだ。


 その大部分はやはり食料。米や日持ちのする缶詰や冷凍食品は店頭から消え、水やトイレットペーパー等の各商品もごっそり無くなっている。


 更に近々値上げの可能性も示唆され、皆の購買意欲は狂気的な速度で増していた。


 母親はこの家庭を維持することに今は集中している。その為に積極的に遠くのスーパーや通販を眺め、父親や俺も協力していた。


 その際に俺の売り払った金も用いて集め、今では部屋の隅に段ボールが積まれている。


 本当はもっと集めておきたかったのだが、俺の予想以上に人々が必死になっていた為に数を揃えることは難しかった。


 今頃は各企業の工場がフル稼働で生産しているに違いない。それで需要を満たせるのは、さてどれだけ掛かることか。


「……今日も帰り道で色々寄ってみるよ。 何なら普段行かない所にも行ってみる」


「ええ、お願い。 私もあちこち行ってみるわ」


 お互い、今の状況で罪悪感を覚える暇はない。


 物が無ければ生活するのは難しくなる。意識して謝ることは避け、表面上出来ることを告げ合ってから俺は学校を目指した。


「……」


 外を歩きながら周りの人間の様子を見る。


 彼等は皆、中国の状態なんて自分には関係無い顔で歩いていた。企業によっては確かにダメージは受けている筈だが、一般人には事態の深刻さを理解し切れていないのだろう。


 未来の俺もその日を迎えるまではまるで意識していなかった。実際の行動も生きる上で必要な活動ばかりで、特に鍛える真似をしていない。


 あの瞬間に日本にも危険が迫っていれば行動も変わっていた筈だが、そうせずとも過ごせるくらいにはこれまで通りだったのである。


 それは日本政府の努力の結果だったかもしれないし、日本人そのものが平和ボケしていたからかもしれない。


 解るのは、その鈍感さのお蔭で未来の俺は大学入学直前まで安穏に過ごせた。


 学校に到着すると今日も生徒は普段通りに過ごしている。


 中国の話題は出るものの、それが自分達の身に降り掛かるとはまるで考えていない。


 あの穴は突然に現れた。前兆の一つでもあれば推測を立てることも出来たのに、まったくの突然に現れたのであればそれも難しくなる。


 そして少し考えれば、何がトリガーで出て来るのかが解らないのであれば何処に出てきてもおかしくない。


 SNSを見れば解るが、日本人よりも海外の人間の方が危機感が高くなっている。身体を鍛えること、装備を整えること、穴から距離を取ることを彼等はもう始めていた。


 この学校でも全員が何も備えていない訳じゃない。


 以前より少ないながらも昼休みや放課後のグラウンドで走り回る人間は出ていた。この事態を現実的問題ではなく非現実的問題と定義し、漫画や小説を教科書として生き残る術を議論するオタク勢力も居る。


 彼等は正に、問題が己にも襲ってくると想定していた。そんな人物達であれば冒険者にならなくてもきっと社会で生きていけることだろう。


 この嗅覚の差こそ、正に生存の道。


 静かに変わっていく風景は徐々に嘗ての当たり前を塗り替えていく。その流れを止めることは出来ず、置いていかれた人間が追い付くことは出来ないかもしれない。


 意外だったのは、俺と関わりのある女性は皆予言に対して真剣だったことだ。


 特に小森は頻繁にグラウンドに出ている姿を見掛けている。普段は友達と仲良く笑い合っている風貌と異なり、その目には鋭いものが宿っていた。

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