第43話 好き

「きいちゃん」


 名前が、落ちる。


「わたしもそれだよ」


 呼吸が、一瞬で崩れた。


「わたしも、きいちゃんのこと、好きだよ」


 “好きだよ”。


 ああって思った。もう、ちゃんと聞こえちゃった。

 その言葉は、まっすぐだった。


 ふざけた逃げ道も、やわらかいオブラートもなくて、ほんとにそのまま。

 それから、一拍おいて、彼女は笑った。苦手そうに笑った。ちょっとだけ顔をゆがめる、照れの笑いかた。


「親友のくせに」


 言った。

 私の言葉を、そのまま返すみたいに。

 もうだめだと思った。


 胸が熱くて、目の奥が熱くて、呼吸が変になって、なんかもうなにも制御できない。

 あ、泣くなこれ、って気づいた瞬間には、もう涙になってた。頬がじんわり濡れる。冬の空気に触れて、そこだけひりってする。


「やだ泣いてるー」


「泣いてない」


「泣いてるー」


「いまのは海のしぶき」


「海そこまで飛んでこないよ?」


「からかうな、バカ」


「バカって言った」


「バカだもん……」


「うん」


 うん、って言われて、私また泣きそうになった。

 この「うん」は、今日いちばん優しい。


 指はつないだまま。

 肩は当てたまま。

 さっちょんは、ほんの少しだけ身を寄せて、私のこめかみあたりに額をすり寄せるみたいにくっつけてきた。キスじゃない。まだキスじゃない。


 でも、骨と骨が触れるくらい近い。

 そこから漏れる声は、小さかった。


「大丈夫だよ」


 大丈夫だよ、って、すごい言葉だ。

 “この先も、ちゃんと“うちら”としての続きがあるよ”って意味に、もう聞こえる。


「きいちゃん」


「なに」


「これは、特別なやつだから」


「うん」


「教室では言わないからね」


「うん」


「でも、ここでは言うからね」


「うん……」


「きいちゃん、好き」


 また、言われた。

 今度の「好き」は、さっきより小さくて、でもさらに距離が近いぶん、体の奥に直接入ってくる。


 耳じゃなくて、胸のほうに直接届く感じ。

 呼吸がぐしゃぐしゃになる。

 この瞬間、私は思った。


 ああ、これが私たちの“はじまり”なんだ。

 教室のノリじゃない。

 「親友でーす♡」って言って笑ってごまかすやつでもない。


 「友達だからムカつくんだよ〜」っていう逃げでもない。

 ちゃんと「好きだよ」って言い合って、ちゃんと「親友のくせにね」って笑って、ちゃんとそれをふたりだけの場所に置く。


 これが、はじまり。

 言葉って、出したら戻れない。

 でも、戻れないことがこんなに安心するの、知らなかった。

 私は涙を手の甲で拭って、まだ赤い目のままで、さっちょんを見た。


「……ずっと一緒にいてくれる?」


 言った瞬間、あ、これプロポーズみたいじゃん、って頭のどこかがツッコんだ。でももう遅い。出たものは出た。

 でも、さっちょんは笑わなかった。すぐ答えた。


「うん。ずっと優先する」


 “ずっと優先する”。

 それは、クリスマス前に冗談みたいに言ってきた「クリスマスはきいちゃん優先だからなぁ〜」の、先にある言葉だった。

 本気のやつだった。


 “好き”より、“ずっと優先する”のほうが、現実っぽい。

 現実っていうのはつまり、「明日も明後日も、来年も」っていうラインにちゃんとつながってるってことだ。

 “イベントじゃないよ。これ、いつものやつにするんだよ”って言ってくれたあの日の続きが、ここまで届いたんだって、やっとわかった。


「……ずる」


「うん。ずるいよ?」


「自覚があるなら直せよ……」


「やだ」


「やだ禁止って言ったよね……?」


「やだ」


「やだぁ……」


 笑いながら泣いてるって、ほんとに漫画みたいなことって現実でもやるんだなって、ちょっと遠くで考えてる自分がいた。

 でも、その遠い自分も、べつに冷めてなかった。ちゃんといっしょに嬉しくなってた。


 夜の海は、冬のくせに穏やかだった。

 さっきまであった風がすこし落ち着いて、波の音だけが一定のテンポで岸に寄ってくる。


 誰も聞いてない。誰も見てない。ライトも遠い。街は背中のほうにしかない。

 世界が、私とさっちょんと、波の音だけになってる。


 私はもう、何も隠してなかった。

 怖いって気持ちは、まだある。

 この関係が名前を持ったってことは、これから壊れる可能性もちゃんと生まれたってことだから。それもわかってる。


 でも、それよりもずっと大きいのは、「あ、やっと言えた」っていう安堵だった。

 好き。

 好きになっちゃった。

 親友のくせに。


「……さっちょんも、わたしのだからね」


 さっちょんは、ちゃんと笑った。ほっとしたみたいに、ふにゃって崩れる笑い。


「うん。きいちゃんのだよ」


 それは、指切りより重い約束に聞こえた。

 私はそのまま、彼女の肩に額を預けた。

 心臓の音が、ちゃんと落ち着くまで。


 もう、こわくなくなるまで。

 冬の終わりみたいな夜は、世界でいちばん暖かった。




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好きになっちゃった、親友のくせに もんすたー @monsteramuamu

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