共犯インフルエンサー

六畳のえる

共犯インフルエンサー

 九月の下旬。二学期が始まってシルバーウイーク明けで、いつの間にか卒業まで半年になった。放課後の廊下には、部活へ向かう生徒と帰宅部の生徒の波が一緒くたになって流れている。俺――水野みずのりょうは、階段の踊り場に立ち止まってスマホを見ていた。


 クラスでつるむヤツもいないし、受験に全力のヤツはとっくに予備校に向かっている。でも、こんな混んでるときに帰宅するのも気が引ける。どうせ勉強の息抜きでスマホをいじるなら、ここでいじってて空いてから降りればいい。それが俺の、最近の放課後の常だった。


 カシャッ


 上の方からシャッターの音がしたので振り向いてみると、一人の女子がスマホをイジっていた。相場あいば千夏ちなつ。クラスにいるけれど、ほとんど話したことはない。背も真ん中くらい、黒髪は肩で切り揃えていて、授業中もほとんど発言しない。見た目も中身も、俺と同じように、地味で目立たない方だ。


 そんな相場が、校内の柱や窓の近くで画角を気にするみたいにスマホを構え、何枚か撮影している。もうほとんどの生徒が帰ってしまい、この近くに誰もいないから、またこっそり自撮りしているのかもしれない。また、というのも、二学期が始まってから何回か彼女の自撮りシーンを見ていたからだ。


 最初は「相場みたいな地味キャラでも自撮りってするんだな」程度の感想だった。でも二度目、三度目と続くと、少し気になって、つい目で追いかけてしまう。気にせず撮っているところを見ると、俺には気付いていないらしかった。



 その日の夜、布団に入る前にSNSをだらだらと眺めていると、拡散されている写真の投稿が回ってきた。「ナッツ」というアカウントで、どうやらキラキラな学生生活を投稿している高校生アカウントのようだ。


『ただの高校生カップルの平日』


 シンプルなタイトルに、バラバラに映したらしいナッツさんとその彼氏の写真が載っている。


「つまんね」


 自然と悪態が口を吐いて出た。どうせイケイケの一軍同士が付き合ってるんだろう。そんなのを見せられても「はあ、良かったですね」という感想しか湧いてこない。住む世界が違いすぎて、嫉妬も起きなかった。ただただ、鬱陶しい。


「……は?」


 何の気なしに彼氏の写真をジッと見ているうちに、違和感に気付いた。「彼氏の腕」に見覚えがある。長袖シャツを捲った、その腕に貼られた絆創膏。それは今日、俺が体育で擦りむいたときに付けた位置と完全に一緒だった。位置も大きさも一緒。これは、偶然じゃないだろう。


 過去の投稿をさらってみたが、他の写真は俺ではないようだ。毎回、盗撮に近い形で、近くにいた男子の写真を撮って「彼氏」として出演させていたのだろう。彼氏が映ってないものは、高そうなケーキやオシャレなバッグなど、リッチな生活が垣間見える投稿になっていた。尤も、彼女が本当にそれを買ったのかは分からないけど。


 もう一度あの写真を見る。やっぱり俺の腕が映っている。


 ふざけた話だ。誰かが俺の写真を勝手に使ってる。勝手に彼氏役にしやがって。

 そしてじっくり見ているうちに、脳がフル回転で写真を分析しはじめる。そして、校内の場所と結び付けた。窓の金具が、写真の右斜め上に写っている。これは西階段の三階と二階の踊り場の撮ったのは放課後。と近くにいたのは――相場千夏だった。


 寝ようとしたものの、目が冴えて何度も寝返りを打ってしまう。写真を勝手に使われたことより、自分の体の一部が他人の「架空の物語」に組み込まれたことが気持ち悪かった。けど、写真のコメント欄には「カップル写真ステキ!」なんてポジティブな反応が並んでいて、複雑な気持ちになった。




 翌日の放課後。教室で、千夏がバッグを肩にかけて立ち上がるタイミングを狙い、声をかけた。


「ちょっといい?」


 彼女は一瞬だけ目を細めて、それから「ああ、何?」と気乗りしない声を出した。適当に断られるかなと思ったが、幸い聞いてくれるらしい。俺は「話したいことがあってさ。来てくれない?」とだけ言って、校舎の端にある、誰も使っていない集会室へと向かった。


 部屋の中に入り、他に人がいないことを確認してから、早速本題に入る。


「ナッツって、お前だろ」


 相場は表情を変えず、壁に背中を軽く当てた。


「何の話?」


 ごまかそうとしているようだけど、目が微かに泳いでいた。俺はシャツの袖を捲って、絆創膏を見せる。


「これ、昨日の写真の『彼氏の腕』だろ。位置も角度も同じだし」

「…………」


 二秒ほどの沈黙のあと、観念したのか、相場は短く息を吐いた。


「見つかっちゃったかあ。そっか、絆創膏が写ってたんだね。そうだよ。匿名でやってた。顔は出してないし、学校のことも書いてない」

「よくあんなキラキラなアカウントやってるな。現実と全然違うじゃん。虚しくならないの?」

「まあ、現実が虚しいから、SNSくらいでは承認欲求全開でいこうかなって」


 悪びれもせずさらっという彼女は、教室とだいぶ印象が違って見えた。


「だとしても勝手に使うなよ」

「ごめんごめん、まさか気付かれるなんて思ってなくて……でも、悪くなかったでしょ」

「何がだよ」

「あの投稿」


 彼女はスマホを取り出して、昨日さんざん見た投稿の画面を俺に向ける。


「軽くバズったんだよね。驚いたでしょ?」

「まあ、そりゃな」


 確かに、かなり拡散されていた。自分の手が、あんな風に取り上げられるなんて。


「ねえ、水野君、お願いがあるんだけど」


 相場が俺の顔色を窺いながら言った。


「彼氏役で撮影に協力してくれない?」

「は?」


 突然の提案に、思わず耳を疑う。


「もちろん顔は映さないし、声も出さない。手とか腕の一部だけね。場所は校内中心で、撮影指示も私がやるから、水野君は映ってくれればいいの」

「なんで俺なんだよ。別のやつでもいいだろ」

「秘密バラしたくないから、バレてる人に頼みたいって思うのは当然でしょ?」


 言われてみれば尤もな話だった。俺が話に乗れば、彼女は余計なリスクは負わずに「彼氏」の写真を撮ることができる。


「もちろん、ちょっとくらい報酬も出すよ。んっと……バズるごとに千円、とかでどうかな」

「お金って言ってもなあ」


 そう言いながらも、俺の心はだいぶ傾いていた。まず、バレずに済む条件が揃っている。顔は出さない。名前も出ない。写真の端で、手を出して、数秒だけ指示に従う。それだけなら、大した労力でもない。もちろんお金が貰えるのも悪い話ではないけど、どっちかというと好奇心の方が大きかった。自分が匿名のアカウントに協力して、画面の中の「俺の一部」もセットで少し褒められる。昨日感じた、その奇妙な感覚を試してみたくなった。


「分かった。よろしくな」

「ありがと、水野君。ふふっ、彼氏役だから凌悟君って呼んだ方がいいね。私も千夏でいいよ」


 こうして、俺は秘密の関係に同意したのだった。



 ***



 翌日。指定された時間に、西階段の三階で千夏と合流した。窓から斜めに日が入って、手すりの影が床に縞みたいに落ちている。千夏は、スマホのレンズをブラウスの裾で軽く拭いていた。


「まずはこの前みたいに手だけ撮るね。ここに立って、手首は少しだけ内側。指は伸ばし切らないで、力抜いてくれる?」

「こう、でいいのか?」


 言われたとおりに構えると、すぐにシャッター音が二回鳴った。画面を見せられると、俺の袖口と手がはっきり写っている。ああ、SNSの写真っぽいな、と思った。


「うん、良いと思う。今日はこれで一本作るからもう大丈夫、ありがと」

「もういいのか? もっと何枚も投稿するんだと思ってた」

「一気にたくさんアップすると飽きられちゃうしね」


 千夏はそう笑って、その場は解散になる。


 そしてその日の夜、「ナッツ」に投稿が上がった。『放課後の階段』と短いキャプションと、手首だけの写真。正直、思ったより大きな反応はなかった。この前も腕だったから、見てる人ももう飽きてるのかもしれない。


 しかし、千夏は次の日も同じように手を撮り、より細かい指示を出してきた。


「袖のボタン、一個だけ外そう」

「手の向き、時計が見えない角度にして」

「ちょっとだけ親指握ってくれる?」


 そして少しずつ「いいね」が増え始めた、数回目の撮影のときだった。


「千夏、また手なのか?」

「凌悟君、今回は手を繋ごう」

「わ、分かった」


 手を繋ぐ、と言われて少しだけ動揺してしまった。


「ここに私が手を置くから、重ねてくれる?」

「これで大丈夫か?」


 踊り場の角で、彼女の手に俺の手を重ねる。指先がぶつかって、少しだけ絡む。


「もう少しだけ力抜いて」


 言われると余計に意識してしまい、俺は深呼吸しながら指を軽く丸める。千夏の手は思ったより冷たくて、すぐ終わる撮影のはずなのに随分長く感じられた。


「うん、ありがと。今回はイケる気がするんだよね。みんな手を繋ぐの期待してたはずだから」


 彼女の予言通り、その「手繋ぎ投稿」はバズった。更新するたびに「いいね」が来る。俺のアカウントだったらどうしようかと困っていただろう。


 コメント欄に、大量のアイコンが並ぶ。


『手の骨ばってるとこ、最高』

『こういう控えめなアピール好き』

『彼氏、清潔感ある手だなあ』


 俺は嬉しいのか気持ち悪いのか分からない感覚で、スクロールを止められなかった。


 俺の手が褒められている。でも、俺は画面の外で、「俺の一部」だけが独り歩きしている感覚だった。


 そこから、写真のバリエーションが増えていった。手すりに肘を置く、袖口だけ見せる、紙コップを持つ。俺は言われた通りに立つだけで、投稿がバズるたびに千円が手渡される。「はい、これ」と渡すときだけ、やけに事務的だった。


 そんなある日、千夏が言った。


「次、口元写したいな」

「……顔は出さないって言ってたよな」

「大丈夫、ちゃんと口元とあごしか見えないようにするから」


 正直、躊躇したけど、ここまで来たら大差ないか、とも思って承諾する。


 校内の隅の逆光。顎を少し引き、口角を上げると、シャッター音がした。何枚か見せられたけど、確かにこれなら、誰だか分からないだろう。


 そんな、正体不明の写真に、コメント欄はすぐに賑わった。


『口元、綺麗』

『清潔感やばい』

『育ちが良い感じの骨格』


 育ちが良い感じの骨格って何だよ、と画面に向かって小さく笑った。自分の顔を褒められているわけじゃない。俺は相変わらず、そこに立っているだけだった。


 そして、転機が来る。


「ねえ、凌悟君。コメント欄で、彼氏の声が聞きたいってのが増えてるんだけど、どう?」

「いや、声は絶対ダメだろ……」


 そう言う俺に、千夏は必死に食らいつく。明らかに、承認欲求に飲まれていた。


「先に二千円払うよ。ほんの一言、『今日暑いね』とかそのくらいでいいからさ」


 十秒で二千円。そして、コメントで俺の声を褒めてもらえる。そう思うと、断る気にはならない。どうやら俺も、思考が濁ってきたらしい。


「一回だけだぞ」

「うん、ありがと」


 録音は人の声が入らない方がいいので、集会室へ。よく考えたら女子と二人きりなんだけど、偽物の関係だから特に緊張もない。

 スマホの録音を準備して、少し低めの声を作って、マイクに向かって喋った。


「今日、暑いね」

「……うん、イイ感じ。一応。もう一回だけ録らせて」


 そう言われて撮ったものを聞き比べたうえで、千夏はすぐに投稿準備に入る。BGMも入れずに、環境音だけ。


 投稿すると、一気に彼女のスマホの通知欄が動き出す。


『声、優しい!』

『顔見えないのが逆にいい』


 フォロワーは増え続けた。九千から九千百、二百……すぐ一万に届きそうだ。

 俺も褒められて嫌な気はしないし、お金も手にしている。でも。


「ふふっ、『彼氏』の人気、すごいね」


 彼氏、と言われて、軽く苛ついた。俺は彼氏じゃない。写真のパーツだ。千夏が作った物語に、俺のパーツがはまっているだけ。全部コイツの手柄だ。俺は言われた通りに立って、手を見せて、声を出しただけ。


 この感情はなんだろう。千夏だって架空のキラキラ生活で虚しいはず。そのはずなのに、どこか満足げなのが羨ましい。俺はその満足感すら得られていない。


 そこからは、実質的に声も解禁になり、千夏からの注文は更に増えた。その度に、指示を聞いて、バズって、お金を貰う。楽しいのは千夏だけ。俺は、アイツのアカウントが育っていくのを見ているだけ。


 ある晩、ベッドに仰向けになって、天井を見ながら考える。


 俺がやめても、別の「手」を見つければいい。俺の手を褒めていたコメント、あれは俺じゃなくて、「ナッツの世界」が好きな人たちのコメントだ。


 俺じゃなくてもいい。そう思った瞬間、急に虚しくなった。


「はーい、撮るよ。今日も手繋ぎます」


 虚しくなってからの撮影には、身が入らなくなった。それでも、ただ腕や手や口元を映して少し話すだけだから何の問題もなく終わる。


 俺は金が増えるだけだけど、千夏は、SNSの世界でアカウントが増える。それが無性に羨ましくなる。「虚像の世界でくらいは人気者でいたい」という彼女の意見が、スッと腹落ちする。俺もそうなりたいのに、ただの写真の一パーツだからなれない。その怒りは、安直に快諾した自分自身ではなく、千夏に向くようになった。あの女、僅かな金で俺を都合のいいように扱いやがって。

『声、もっと聞きたい』『次はどんなデート?』『彼氏くんの手、最高』 そんなコメントも、もう大して嬉しくなくなってきていた。



 十月の頭の金曜日。放課後の昇降口に向かう途中、廊下で足が止まった。


「えー、そうなの? ホントかなあ?」

「ホントだって。一度行ってみなよ」


 もう引退した、サッカー部の同級生が千夏と話しながら歩いていた。いわゆる「爽やかなイケメン」で、学年でも人気だったはず。


 千夏もいつもの無表情じゃない。口角を少し上げて、楽しそうに話している。よく見ると、九月に彼女の秘密を知ったときより、随分メイクが濃くなっている気がする。ここ最近、目元や口元を映すためによくメイクしていたから、慣れてきたのかもしれない。その結果なのか、SNSで自信がついたからなのか、今の彼女は地味キャラには見えなかった。


 胸がざわついた。別に千夏はタイプじゃないから、恋愛の嫉妬ではない。ただ、何故だか腹が立った。画面の中では「彼氏の手」とか言って俺の一部を使っておいて、現実ではああやって一軍の男子にだけ良い顔するのか。なんなんだあの女は。俺を道具としか見てない、最低のクズじゃないか。


 その晩、俺はささやかな反抗をすることに決め、サブ垢を作った。プロフィールは適当、アイコンはフリー素材、そして名前は「キラキラ垢撲滅」。早速アカウントを検索して、ナッツの投稿をスクショし、コメントを入れこんで投稿する。


「朝のデートって書いてるけど、影の角度が夕方じゃね?」

「彼氏は甘党じゃない設定なのに、ラテ写ってるのどうした」


 同じコメントを直接ナッツにもリプする。煽りすぎる文体は避け、軽く引っかかりそうな違和感だけを質問っぽく。


 十分後、二十分後、反応がつく。


「確かに」「言われてみれば」「時系列ズレてる?」


 狙いどおり、ちょっとした疑義が広がっていく。胸が熱くなる。


 しかも、そこで終わらなかった。こういう「炎上の種」が好きなアカウントが拾い、拡散していく。そこからあっという間に伸びていく。通知の勢いが止まらない。


 だが、それが逆効果だった。結果的にそれは、ナッツのフォロワーを増やした。「やらせ疑惑」関係なしに、投稿が広まったことでナッツの写真に興味を持った人が出てきたらしい。悔しい。俺が煽ったのに、その風で向こうの船が余計に進んでしまった。


 やめろ、これ以上人気になるな。あんな偽物にはしゃぐな。俺を見てくれ。写真の中の俺を、水野凌悟本体を見てくれ。



 ***



 そんなプチ炎上騒動の二日後の日曜日。突然千夏からDMが来た。


『ナッツ、もうやめるね。受験に集中する。今までありがと』


 短い一行。スタンプも絵文字もない。


 全身の力が抜けた。炎上が怖くなったのだろうか。それももはやどうでも良かった。


 呆然としばらく画面を見つめた。熱が引いて、代わりに冷たい怒りが残った。使うだけ使って、承認欲求だけ満たして、はい解散。馬鹿にするなよクズめ。許さない。


 復讐、の二文字が浮かんだ。


 まず、ナッツに投稿された写真を見返す。千夏の髪の横に、小さな金色の髪飾りがついている。三角が二つ重なった形。既製品かもしれないけど、端に小さな欠けがある。俺はそこに目を止めた。


 次に、分かる範囲でクラスメイトのアカウントを見ていく。みんな、ご丁寧にラインのプロフィールに載せていたりするから、探すのは意外と楽だった。


「おっ、あった」


 クラスの男子が、夏休み前、教室で撮った写真をアップしていた。千夏も写っている。髪は耳にかけていて、例の三角の髪飾りが見える。拡大すると、端が同じ形で欠けている。


 最後に、昨夜作った検証アカを開いて、この二つを並べれば投稿すればオッケーだ。


『これ、髪飾り同じじゃね?』


 それだけ。余計なことは書かないし、タグもつけない。公開するときに指が少し震えたけど、千夏の顔を思い出したら自然とボタンを押せた。許さない、許さない。


 この夜で、一気に全部ひっくり返った。検証画像が幾つも出てきて、まとめ垢に拾われ、千夏の知り合いを名乗る匿名アカが「同級生です」とか「文化祭で見た子」とか証言を次々に投げた。おそらく、本当にうちの学校の生徒なんだろう。


 そこから先は、面白半分の大勢による、特定という名のいじめだった。


『これさ、××高校でしょ?』

『だよね、制服そうだと思った』

『あの高校に、彼氏を捏造してフォロー稼ぎしたヤツがいる、と』

『案件もらおうと思ってたんじゃない? 残念』


 学校名まで書かれ、制服の襟など「裏どり」が始まる。そして一時間のうちには、相場千夏という名前まで出てきた。


「……はっ」


 乾いた笑いが出た後、一瞬だけ、可哀想かと考える。ただ承認欲求を満たしたかっただけなのに、こんなことになって。でも、すぐに思い直した。アイツはそれだけのことをしたんだ。間違いない。俺は傷付いた。だから復讐していいんだ。


 俺は黙って、その本名の明かされた投稿を拡散した。


 朝、登校して昇降口を抜けるころには、もう教室の空気が違っていた。千夏の席は空のまま。


「相場さん、来れなくない?」

「みんなから『彼氏捏造ネキ』とか呼ばれるでしょ。俺なら来ないわー」


 クラスメイトの予想通り、担任が「相場は体調不良で休み」とだけ報告してくる。昼には「自宅でしばらく休むって」「学校名も出たから、自宅謹慎らしい」なんて数々の噂が回ってきた。いずれにせよ、しばらく戻らないだろう。


 俺は帰り道、スマホを開いて、千夏にDMを送った。


『ざまあみろ。俺をバカにした報いだ。終わらせてやったよ』


 別に俺が犯人であることを仄めかす必要もなかったけど、どうしても言ってやりたかった。既読がついて、俺の心が満たされる。返信も来ない。ざまあみろ。これで終わりだ。そう思った。



 ***



 しかし、終わらなかった。夕方、知らないアカウントがフォローしてきた。名前は「ナッツのサブ」というシンプルなもの。


 数本、画像が投稿されていた。


『ナッツを炎上させたのは、彼氏を演じていた同じクラスの男子です。受験勉強に集中したいからやめようと思うと言っただけなのに、いきなり暴露されました』


 続けざまに、DMのスクショが貼られた。千夏が送ってきた『もうやめるね』というメッセージや、俺が送った『ざまあみろ』というメッセージの切り抜き。その他、撮影に関する打合せのDMも何通か投稿されていて、真実味を増している。真実味もなにも、俺とのやりとりそのものだけど。


 コメントが湧いた。


『マジ?』『最低』『ゴミ彼氏』


 一気に流れが変わる。ナッツが人気アカだった分、擁護と批判の反動が速い。


 そこからはまさに一瞬だった。誰かが過去の写真を拾い、『この手、こっちの集合写真の彼じゃない?』と貼る。あっという間に特定された。


 別の誰かが俺の本垢を見つけ、『クラスの真面目そうなやつじゃんw』と茶化して拡散する。すぐに鍵垢にしようとしたけど、タイミング悪く不具合なのか、鍵垢の設定がすぐに反映されず、大量のメッセージが送られてくる。


『たとえ作り物でも妄想で楽しんでたのに、台無しにしやがって』

『さすが裏切り者の声、きしょい』

『バズって気持ちよくなりたかっただけだろ、ゴミ彼氏』

『さっさと謝って最後くらい彼女守れよ』

『彼女、学校行けなくなってんじゃないの? これで満足?』


 既読にするたび、次が来る。読まなくてもバッジが増える。小さな穴から砂が入り続けるみたいに、胸の中がざらついていく。


「クソッ……クソッ……」


 何をしていても落ち着かない。気を紛らわせようと机に向かっても、単語が頭に入らない。俺も学校に行けなくなってしまった。なんでこんなことに。なんで。



 夜、風呂上がりにスマホを見ると、ナッツの別垢はさらに伸びていた。「経緯説明」と題したテキストに、都合のいい切り取りが並んでいる。撮影は合意だったこと、俺が炎上させようと学校の写真を利用したこと。どれも事実の断片だ。その流れの中で、俺が送ったDMを晒せば、百パーセント俺が悪人だった。


 俺を罵倒するメッセージが際限なく来る。いつになったら鍵垢になるのか。なったところでもう遅い。もうあんなアカウント、見たくもない。布団に入って目を瞑っても、「ポン」という通知の幻聴が聞こえて寝付けない。



 ***



 寝られないまま明け方になった。おそるおそるSNSを覗いてみると、未だに鍵垢に変更されていなくて、信じられないくらいのメッセージが飛んできていた。中身なんか見る気にならない。フィード(タイムライン)には俺の本名が晒されている。クラスメイトを不登校に追いやった最低な男。ゴミクズ彼氏役。


 頭の中で言い訳と反論が渦巻く。その渦が自分を飲み込むような感覚で、今どこにいるのか分からなくなる。地面はあるのか、何時なんだ、今日学校に行くのか、行けるのか、俺はこれからどうなるんだ。頭の中がぐちゃぐちゃで、呼吸が浅くなる。


「もう嫌だ……嫌だ……」


 引き出しを乱暴に開けて、白い紙を一枚取り出す。そこにボールペンで書き殴った。


 そして、ペン立てから小さなカッターを抜く。


 もう何もかもどうでもいい。デジタルタトゥーも付いた。一生俺は、罵倒され続けて終わる人生だ。あの女のせいで。いや、俺のせいなのか。それももう、どうでもいい。ただ、あの女にもう一度復讐したい。忘れられない傷を付けたい。


 ナッツはメッセージを送ることができなくなっていたので、震える手で千夏に直接ラインを送った。


『彼氏の手だ』


 一枚の写真を貼付する。「退学届」という文字と退学理由を書いた紙の上に、血に染まった俺の手首が乗った写真。白い紙が、鮮やかな赤に染まっていた。

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