後輩

和泉京(いずみけい)は、入部前から俺達上級生の間では割と有名人だった。

偏差値高めのうちの学校で入学試験満点だったとか、新入生代表の挨拶を辞退しただとか。

...3年の美人で有名な秋元先輩と付き合ってるだとか、色々な噂が流れていたからだ。

そんな奴がうちの部活に入部してきたもんだから、俺は挨拶もそこそこに、それらの噂の真相を会ったばかりの和泉に聞いたのだった。

和泉は名前も知らないような上級生が突然そんなことを聞いてきたものだから一瞬面食らったように固まった。が、次の瞬間には冷えた真顔で「もれなく全部嘘です」と答えた。

俺はその時の和泉の堂々とした態度に一瞬でこいつを気に入ってしまったのだ。

それから、俺は和泉に積極的に声をかけて距離を詰めようとした。

和泉は一見取っ付き難い印象があるが、話すと意外と面白い。それに、浮世離れした所もあった。

俺は次第に、部活中でもふと気づくと、和泉を目で追いかけるようになっていた。

けれど、ほかのチームメンバーは、和泉に扱いにくさを感じている様子だった。和泉が入部して、ひと月ほどたった頃だった。

「なぁ、西嶋、おまえ和泉の指導係代わってくんね?仲良いんだろ?」

和泉の指導係でペア練習をしていた3年の先輩はこちらを伺うようにそう言った。

「まぁ、べつにいいっすけど...なにかあったんすか?」

先輩は横目でチラッと和泉がこちらを見ていないことを確認する。

「いや、なんというか...嫌われてる?ていうか睨まれてる?感じがして、やりづらいと言うかなんというか...」

「あー . ..なるほど。いや、全然いいっすよ。代わります」

本当か!?と先輩は心から安心したように肩の緊張を解いた。

「じゃあ、頼む。お前のペアは俺と組んで貰えるよう調整するわ」

そう言って去っていった。

再び和泉に目を向けるとその黒い瞳とかち合った。俺は迷ったが軽く手を挙げ和泉に近づいて行く。

「あー、なんか指導係変更になって俺がすることになったからよろしく」

和泉は一瞬目を逸らしたあと軽く頭を下げた。

「ご迷惑おかけしてすみません。...お願いします」

その表情は暗く、心なしか寂しそうに見えた。

...さっきの会話、聞かれたか?

「いや、別にお前が悪い訳じゃないよ。むしろこっちの勝手な都合だから...」

俺の精一杯のフォローに和泉はさらに表情を暗くし、「そうですか」とだけ答えた。


先輩はああ言ったが和泉は本当によく出来た後輩だ。

真面目に練習をこなしアドバイスにも素直に耳を傾ける。

バドミントンの経験は無い、と聞いていたがなかなかセンスが良く、日に日に上達しているのが分かる。ただ、指導係交代の一件以来、和泉はこちらと一線を引いて接するようになった。

同級生との間でもあまり馴染めてはいないようだ。

嫌われている訳ではない。ただ、和泉の持つ特別なオーラが近寄り難い印象を強めてしまっている気がした。

休憩時間にふと視線を感じて振り向くと和泉だった。こちらをじっと見て動かない。

...睨んでる?いや、まさか。

そっと和泉に近づいていくが顔は動かない。

手を伸ばせば届く位置まで来た。

だが、和泉は反応しない。俺は人差し指でちょんとその肩をつついた。

びくっと一瞬その体が、縮んで和泉がやっとこっちを見た。

「にしじま...先輩。」

「やっぱり、ぼーっとしてた?」

表情を変えない和泉の顔がかっと赤くなる。

「すみません...ちょっとぼーっとしてました。」

意外と素直なその反応に言葉につまる。

「いや ...別にいいんだけど、疲れてるんじゃね?」

「いえ、そんなんじゃないです...顔、洗ってきます」

そう言ってそそくさと立ち去ってしまう。

やっぱり睨んでた訳じゃなかった。美形の真顔は怒っているように見える。損だな。

そう思いながらさっきの和泉の珍しい表情が網膜から離れない。

俺は熱くなった顔を誤魔化すために小走りでコートの中に戻った。


出会って2年、俺は和泉の事を多少なりともわかっているつもりでいた。

お前だったら嫌がるだろうな、と考えると遊びで手を出したタバコを吸いたいと思わなくなった。

けれどこの想像は、全部俺の独りよがりの妄想だったのだと思い知った。



だって、俺はお前がどんな風に笑うかも知らかったんだから。

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