第36話 セレスの不安(下)

 セレスを椅子に座らせた。

 ミナとリーネも、すぐそばに寄ってくる。


 セレスが、わずかに身を引いた。


「あの……お二人は……」


「あたしたちも、そばにいるよ」


 ミナが優しく言う。


「セレス、一人じゃないにゃ」


 リーネも頷く。


 セレスは、顔を赤らめて俯いた。


「で、でも……見られるのは……」


「大丈夫だよ。セレスは仲間だから」


「そうにゃ。一緒にいるにゃ」


 セレスは、小さく頷いた。


「……は、はい……」


(見られながら……施術を……

 恥ずかしい……でも……断れない……)


 俺は深く息を吸い、診気を始めた。


 霊体視界に――

 セレスの霊体が浮かび上がった。


 白金の光。

 美しい霊体。


 でも――

 その表面に、薄い「膜」が張りついていた。


(これは……変身の名残か。

 本当の自分を隠そうとする……心の癖……)


「診るぞ」


 俺は掌をセレスの肩に添えた。


 瞬間――


 ビリッ!


「ひゃあっ!?」


 セレスの身体が、びくんと大きく跳ねた。


 ミナとリーネが息をのむ。


「!」


「にゃ!?」


 セレスは真っ赤になって、顔を両手で覆った。


「い、今の……忘れてください……っ」


 俺は驚いて手を止める。


「大丈夫か?」


「は、はい……

 シェイプシフターは……霊体への接触を強く感じるんです……

 変身能力の……代償で……」


 セレスの頬が、ほんのり赤い。

 額に汗が滲んでいる。


 ミナが小声で呟いた。


「セレス……すごい声……」


 リーネもモジモジしながら。


「にゃあ……可愛い声にゃ……」


 セレスが、さらに赤くなった。


「見ないで……くださいっ……」


「でも……大丈夫です。続けてください……」


 その声が震えている。


 俺は頷き、軽擦法を始めた。

 掌で、ゆっくりと霊体の表面を撫でていく。


 ふるふる……


 薄い膜が、少しずつ剥がれていく。


「あ……っ……」


 セレスの声が、小さく漏れた。


 ミナとリーネの視線を感じて、セレスは唇を噛む。


(見られてる……

 こんな……恥ずかしい姿を……)


 でも――

 悠司の手は優しくて、気持ちよくて――


「んっ……」


 我慢できずに声が出てしまう。


 ミナが、ドキドキしながら見つめている。


(先生の手……すごく優しい……

 セレス……気持ちよさそう……)


 リーネも、尻尾をモジモジと揺らしていた。


(にゃあ……あたしも……なんか……ドキドキするにゃ……)


 二人とも、顔が赤い。


 俺は肩から背中へ手を滑らせた。

 摩法――霊体の流れに沿って、優しく撫でていく。


「んっ……あ……っ」


 セレスの身体が、わずかに震えた。


 膜が剥がれるにつれて――

 霊体の奥に隠れていた「鎖の痕」が浮かび上がってきた。


 黒い線が、胸の周りに幾本も絡みついている。


(これは……従属の痕……)


 俺は胸の中心、心兪のツボに指を当てた。

 按圧法――3秒押して、2秒離す。


「んんっ……!」


 セレスの背中が反った。


 ミナが息をのむ。


「!」


 リーネの尻尾がぴんと立つ。


「にゃ!」


 セレスは必死に声を抑えようとする。


「だ、だめ……そこ……っ」


 でも俺の指は、容赦なくツボを押し続ける。


「あっ……あっ……!」


 鎖の痕が、ゆっくりと浮き上がってきた。


「はぁ……っ……」


 セレスの肩が激しく上下する。

 涙が、一筋――頬を伝った。


 ミナが、モジモジしながら小声で。


「先生……セレス、すごく感じてる……」


 リーネも、尻尾をぱたぱたさせながら。


「にゃあ……見てるこっちが恥ずかしいにゃ……」


 セレスが、涙目で二人を見た。


「や……見ないで……っ……

 こんな……恥ずかしい……っ」


 でも――

 気持ちよすぎて、止められない。


「……長い間……誰かの姿を借りて生きてきました」


 セレスが、震える声で呟いた。


「本当の自分を……出してはいけないと……

 ずっと……そう思ってきました……」


 涙が、ぽろぽろとこぼれる。


「自由が……怖かったのです……

 自分のままで笑うことも……

 自分のままで生きることも……」


 ミナの目にも、涙が滲んだ。


「セレス……」


 リーネも、ぐっと唇を噛んでいる。


 俺は背中全体に手を広げた。

 揉捏法――円を描くように、霊体の滞りを解していく。


「はぁ……あ……っ……」


 セレスの呼吸が、深くなっていく。


 鎖の痕が、一本ずつほどけていく。


「んっ……そこ……っ……あ……っ」


 セレスの声が、甘く響く。

 頬は真っ赤、瞳は潤んでいる。


 ミナとリーネから目を逸らそうとするが――


 ミナが優しく微笑んだ。


「セレス……すごく綺麗……」


 リーネも頷く。


「にゃあ……こんな顔、初めて見るにゃ……」


 セレスが、泣きそうな顔で言った。


「お願い……見ないで……っ

 こんな……だらしない姿……っ」


 でも二人は、さらに優しく微笑む。


「だらしなくなんかないよ」


「可愛いにゃ」


 セレス「……っ」


(優しい……

 だから……余計に恥ずかしい……)


 ミナが、モジモジしながら心の中で呟く。


(先生の手……すごく優しい……

 あたしも……ああいう風に触られたら……)


 リーネも、尻尾を揺らしながら。


(にゃあ……セレスの反応……

 見てると……なんか……ドキドキするにゃ……

 あたしもユージに……)


 二人とも、顔が赤い。


 俺は手のひらの中心、労宮のツボを押した。

 愛情を伝えるツボ――


「あっ……!」


 セレスの霊体が、大きく揺れた。


「そこ……だめ……っ……感じすぎて……っ」


 鎖の痕が、さらにほどけていく。


 俺は静かに言った。


「セレス」


「……はい……っ……」


「お前は、お前のままでいい」


 セレスの身体が、びくんと震えた。


「誰かの姿を借りなくていい。

 ここは……セレスが、セレスでいられる場所だ」


「……っ」


 セレスの涙が、止まらなくなった。


「お前が笑いたいときに笑って、

 泣きたいときに泣いて、

 怒りたいときに怒っていい」


 俺は、セレスの背中を優しく解し続ける。


「それが……お前の"本当"だ」


「ユージ、さん……っ……」


 セレスの額――

 金色の紋章(目の形)が、ゆっくりと光り始めた。


 霊体の鎖が――

 一本、また一本と、ほどけていく。


「あ……ああっ……」


 セレスの声が、高くなる。


 ミナとリーネも、じっと見守っている。


 最後の一本――


 俺は頭頂、百会のツボに指を当てた。

 霊体と肉体を統合するツボ。


 按圧法――


「んんっ……!!」


 パキン!


 音を立てて、最後の鎖が砕け散った。


 白金の光が――

 爆発的に広がった。


 もう、膜はない。

 もう、鎖もない。


 ただ――

 セレス本来の、美しい霊体だけが、そこにあった。


「ああ……っ……ああっ……!」


 セレスの身体が、大きく震える。

 涙と笑顔が、同時に溢れた。


「私……っ……私……っ……!」


 俺は最後に、腰の命門のツボを押した。

 按圧法――3秒押して、2秒離す。


「んっ……」


 霊体が、全身に広がった。


 光が――

 ふわり、と店内を包んだ。


 セレスの額の金色の紋章が、優しく輝いている。


「はぁ……はぁ……っ……」


 セレスがゆっくりと脱力する。



 セレスがゆっくりと目を開けた。

 涙で濡れた瞳が、俺を見上げる。


「……ありがとうございます」


 その声は、穏やかだった。


「やっと……自分でいられる気がします」


 ミナが駆け寄った。


「セレス!」


「もう大丈夫にゃ!?」


 リーネも尻尾を揺らす。


 セレスは、二人を見て――

 本当に、心から微笑んだ。


「ええ。大丈夫です」


 その笑顔には、もう迷いがなかった。


 ミナが、ぱっと顔を輝かせた。


「ねえセレス、今日うち泊まって! 三人で寝よ!」


「え……?」


「リーネも賛成にゃ! セレスは真ん中にゃ!」


「真ん中……? なぜ……?」


「だって、挟みたいんだよ!」


 ミナが笑う。


 セレスは、少し戸惑いながらも――

 嬉しそうに頷いた。


「……ふふっ。では……甘えさせてください」



 夜。

 ミナの家。


 三人が布団に並んで寝ている。

 真ん中にセレス、両脇にミナとリーネ。


「セレス、温かい」


「にゃあ……幸せにゃ……」


 ミナとリーネが、セレスに寄りかかる。


 セレスは、二人を優しく抱きしめた。


「……私も、幸せです」


 月明かりが、三人を照らしていた。


 セレスの額の金色の紋章が――

 静かに、優しく、輝いていた。


(……ここが、私の居場所。

 私のまま、いられる場所)


 セレスは目を閉じた。


 安らかな寝息が、部屋に響く。


 初めて――

 セレスは、本当の自分のまま、眠ることができた。


〈第36話 完〉


【次回予告】


「マーサ婆ちゃん、最近元気ないね……」


 ミナを育てた老婆が、ユージ堂を訪れる。

 年老いた身体、衰えていく霊体。

 

「……年寄りに、マッサージなんて効くのかい?」


「効きますよ。むしろ、一番必要な方だ」


 優しい手が、老いた魂に触れる。

 老婆が――少女のように笑った。


――次回

第37話「マーサのアンチエイジング」

おじさん、育ての親に恩返しをする。

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