第35話 月華亭の夜(下)

 月華亭の控室。

 フィーネを布団に寝かせ、俺は深く息を吸った。


「ミナ、リーネ、セレス。そばにいてくれ」


「うん!」


「了解にゃ!」


「はい」


 三人が、フィーネの周りに膝をついた。


 俺は再び霊体視を集中させる。

 フィーネの霊体が、鮮明に浮かび上がった。


 桃色の光が、激しく明滅している。

 亀裂が広がり、霊体の流れが乱れている。


(……相当、無理してたな……)


「診るぞ」


 俺は掌をフィーネの肩に添えた。


 ビリッ!


 霊体に触れた瞬間、強い反発。

 暴走した霊気が、指先を弾く。


「っ……!」


「ユージ!」


「大丈夫だ」


 俺は摩法から入る。

 霊体の表面を、ゆっくりと撫でていく。


 ふるふる……


 霊体が、わずかに落ち着き始めた。


「はぁ……っ……」


 フィーネの息が、かすかに整う。


 ミナが小さく呟いた。


「……フィーネさん、こんなに苦しそうなんだ……」


「にゃ……いつもの余裕、全然ないにゃ……」


 セレスは静かに見つめていた。


「……ふふ。少し、見直しました」


 俺は肩甲骨の下へ手を滑らせた。

 揉捏法――円を描くように、霊体の滞りを解していく。


「んっ……」


 フィーネの声が、小さく漏れた。


「そこ……すごく……」


 亀裂の中心。

 親指でゆっくりと押し込むと、霊体が波紋のように揺れる。


「はぁ……っ……」


 フィーネの身体が、小さく震えた。

 尻尾が、ゆっくりと揺れている。


 ミナの耳が、ぴくんと動く。

 リーネの尻尾が、ぴたりと止まった。


「……なんか、フィーネさん……声が……」


「にゃ……やっぱり色っぽいにゃ……」


 セレスは静かに微笑んだ。


「……ふふ。素直になれば、可愛らしいですね」


 俺は背中へ手を移した。

 摩法――背骨に沿って、霊体の流れを整えていく。


「あ……っ……」


 フィーネの声が、一段高くなる。

 桃色の光が、少しずつ澄んでいく。


「そこ……もっと……」


「焦るな。ゆっくりだ」


 俺は腰のツボ、命門に指を当てた。

 按圧法――3秒押して、2秒離す。


「んんっ……!」


 フィーネの身体が、びくんと跳ねた。

 霊体が淡く輝き、亀裂が修復されていく。


「はぁ……はぁ……っ……」


 フィーネの肩が、激しく上下する。

 尻尾が、ぴんと立っていた。


 ミナが、じっと見つめている。

 リーネも、息をのんでいる。

 セレスは、穏やかに微笑んでいた。


 俺は最後に、胸へ手を当てた。

 軽擦法――掌で優しく、霊体の表面を撫でていく。


「ああっ……」


 フィーネの声が、甘く響いた。

 桃色の光が、金色に変わっていく。


 霊体が――

 ふわり、と全身に広がった。


「……楽に……なってきた……」


 フィーネがゆっくり瞼を開けた。

 潤んだ瞳が、俺を見上げる。


「あなた……ありがとう……」


 頬がほんのり上気し、尻尾がゆっくりと揺れている。


「無理すんな。しばらく休め」


「……はい……」


 フィーネは素直に頷いた。

 いつもの妖艶さは消え、ただ――安堵の表情だけが浮かんでいた。



 月華亭を出ると、夜風が心地よい。


「フィーネさん、大丈夫かな……」


 ミナが心配そうに呟いた。


「大丈夫にゃ。ユージが診たから、絶対治るにゃ」


 リーネが尻尾を揺らす。


 セレスが静かに言った。


「……フィーネさん、少し見直しました」


「え?」


「仲間を想って、無理をする。それは……私にも、分かりますから」


 セレスの瞳が、優しく光る。


「でも……やっぱり、ユージさんへの距離感は近すぎると思いますが」


 最後の一言で、ミナとリーネが頷いた。


「そうだよ!」


「そうにゃ!」


「お前ら……」


 俺は苦笑しながら、夜空を見上げた。


 月が、静かに照らしていた。


(今日も……守れたな)


 三人が、そっと俺の腕に寄りかかってくる。


「先生、お疲れ様」


「ユージ、頼りになるにゃ」


「お疲れ様です、ユージさん」


 温かい夜だった。


〈第35話 完〉


【次回予告】


「ユージさん……私、少し……不安なんです」


 セレスが初めて、弱さを見せた。

 本当の自分。偽りのない姿。

 それでも、受け入れてもらえるのか――


「お前は、お前のままでいい」


 優しい手が、彼女の霊体に触れる。

 シェイプシフターの少女が、初めて心を開く夜。


――次回

第36話「セレスの不安」

おじさん、シェイブシフターの心を癒やす。

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