第19話 別れと髪飾り

 翌朝。


 アークベル邸の中庭は、白い霧に包まれていた。

 白薔薇の花びらが朝露に濡れ、静かに光を反射している。


 出立の準備は、ほぼ整っていた。

 馬車に荷が積まれ、セレスの旅支度も終わっている。


「本当に、行ってしまうのね」


 白いベンチに座るエリシアが、小さく微笑んだ。

 セレスはその隣に腰を下ろす。


「……はい」


「寂しくなるわ」


「私も、です」


 二人はしばらく黙って庭を見つめていた。

 白薔薇が揺れ、風が優しく吹き抜ける。


「ねえ、セレス」


「はい?」


「あなた、本当の名前は?」


 エリシアの問いに、セレスは首を傾げた。


「……本当の名前?」


「ええ。セレスは、私の影武者としての名前でしょう? あなたが生まれた時、誰かがつけてくれた名前があるはず」


 セレスは少し考え、俯いた。


「……覚えていません。奴隷市に売られる前のことは、ほとんど……」


「そう……」


 エリシアは穏やかに微笑んだ。


「なら、セレスがあなたの名前よ。私が与えたものじゃない。あなた自身が選んだ名前」


「……!」


 セレスの目が、見開かれる。


「私が……選んだ?」


「ええ。だって、あなたは――セレスとして生きてきたんだもの」


 エリシアはセレスの手を取った。


「これからも、セレスとして生きていって。それが、あなたの本当の名前」


 セレスの目に、涙が滲んだ。


「……はい」


 ◇


 しばらくして、ミナとリーネが中庭にやってきた。


「二人とも、ここにいたんですにゃ」


「もうすぐ出発だよ」


 ミナが声をかける。


「ええ。今、行くわ」


 エリシアは立ち上がり、懐から小さな箱を取り出した。


「セレス。これを、あなたに」


「……これは?」


「開けてみて」


 セレスが箱を開けると――中には、美しい髪飾りが入っていた。


 銀細工に、小さな白薔薇の装飾。

 アークベル家の紋章が控えめに刻まれている。


「これ……お嬢様の」


「ええ。私が初めて社交界に出る予定だった時のために――父が作ってくれたものよ」


 エリシアは、セレスの髪にその飾りをつけた。


「でも、私は結局、出られなかった。だから――あなたに」


「そんな……大切なものを」


「あなたの方が、ずっと大切よ」


 エリシアは微笑んだ。


「あなたは私の代わりに――いいえ、私のために、生きてくれた。だから、この髪飾りはあなたのものよ」


 セレスの涙が止まらなくなった。


「エリシア様……」


「もう様はいらないって言ったでしょう?」


 エリシアが笑う。


「これからは、対等よ。妹であり、友である――セレス」


 セレスは、エリシアを抱きしめた。


「……ありがとう」


 その声は震えていた。


「私、頑張ります。エリシアが誇れるように」


「ええ。でも、無理はしないでね」


 二人は、しばらく抱き合っていた。


 ◇


 ミナが小さく呟いた。


「……いいな」


「ん?」


 リーネが振り返る。


「あんな風に、大切な人がいるの」


 ミナの声は少し寂しげだった。


「あたしには……家族、いないから」


「ミナ……」


「でも、いいの。今は、ユージがいるから」


 ミナが笑う。


「それに、リーネもいる。それだけで、十分」


「ミナ……」


 リーネがミナの手を握った。


「あたしも、家族いないにゃ。でも――ミナがいてくれるにゃ」


「……うん」


 二人は手を繋いだまま、セレスとエリシアを見守った。


 ◇


 馬車の前。

 執事セバスチャンと、レイモンド卿が見送りに来ていた。


「セレス。どうか、元気で」


 レイモンドが静かに言った。


「はい。ありがとうございます」


 セレスは深く頭を下げた。


「お前には、ひどいことをした。許してくれとは言わない。だが――」


 レイモンドの手が、震える。


「――幸せになってくれ」


 セレスの目に、涙が滲んだ。


「……はい」


 執事セバスチャンも深く頭を下げた。


「セレス様。どうかお幸せに」


「ありがとう、セバスチャン」


 セレスは屋敷を振り返った。

 白い壁、白薔薇の庭、そしてエリシアの部屋の窓。


「……さようなら」


 小さく呟いて、馬車に乗り込んだ。


 ◇


 馬車が動き出す。

 セレスは窓から身を乗り出し、エリシアに手を振った。


「エリシア! また会いに来ます!」


 エリシアも微笑み返す。


「行きなさい、セレス。あなたの、新しい人生を」


 セレスが微笑む。


「でも…寂しくないんです」


「え?」


「ユージさんが言ってくださいました」


セレスが胸に手を当てる。


「私たちは、遠く離れても繋がっていると」


エリシアも胸に手を当てた。


「……本当。温かい」


「ええ。エリシアの、心が感じられます」


二人が微笑み合う。


「だから、寂しくない」


「ええ。いつでも、繋がっているから」


 白薔薇の花びらが、風に乗って空へ舞い上がった。


 動き出した馬車の中。

 ミナが、セレスの隣に座った。


「セレスさん、髪飾り似合ってるよ」


「ありがとう、ミナさん」


 リーネも頷く。


「すっごく綺麗ですにゃ」


「ふふ、ありがとう」


 セレスは髪飾りに触れ、窓の外を見た。

 屋敷が遠ざかっていく。

 エリシアの姿が小さくなっていく。


(私の時間は、本物)


 エリシアの言葉が胸に響く。


(これから――私として、生きていく)


 ミナがセレスの手を握った。


「……もう、敵じゃないんだね」


「敵……?」


「うん。最初、あたし――セレスさんのこと、ちょっと警戒してた」


 ミナが照れたように笑う。


「だって、すごく綺麗で、完璧で――ユージが取られちゃうんじゃないかって」


「ミナさん……」


「でも、今は違う。セレスさんは、仲間」


 リーネも尻尾を揺らす。


「そうですにゃ! これから、一緒にユージ堂で頑張るにゃ!」


 セレスは、二人を見て微笑んだ。


「……はい。よろしくお願いします」


 三人は、手を重ねた。


 俺は御者台から、その様子を見ていた。


(みんな――それぞれの痛みを抱えて、ここまで来た)


(ミナは孤児として。リーネは差別を受けながら。セレスは影として)


(でも今――三人は笑っている)


 馬車が白い街を抜けていく。

 光の道が、遠くまで続いていた。


(癒やすことは、繋ぐこと。そして、繋がった先には――新しい未来が待っている)


 〈第19話 完〉


【次回予告】


 ファングレストへ、帰還。

 街の人々が、三人と一人を笑顔で迎える。

 そして――セレスが見つける、新しい居場所。


――次回

第20話「帰還と予感」

おじさん、安堵の中で選択を迫られる!


 ◇◇◇

 作者からのお願い。


 ここまで読んでいただいてありがとうございました。


 よろしければブックマークと応援、そしてレビュー【☆☆☆】の方、何卒よろしくお願いします。これから物語を続けていく上でのモチベーションに繋がります。

 コメントも頂けると、深く礼をします!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る