電車でぶつかった日

えいじ

救いの手紙

JR車内。


 車内トイレから出てきた田代優紀(たしろ・ゆうき)は、時計を見て小さく焦ったように息をのんだ。目的の駅がもうすぐだ。ドアの方へと急いで歩き出したその瞬間。


 「きゃっ……!」


 ちょうど降りようとしていた桜田博人(さくらだ・ひろと)とぶつかり、二人は勢いのまま倒れこんだ。


 「わっ……! ご、ごめんなさい!」

 「いえ……こちらこそ。」


 博人はうつむいたまま、目を合わせることもなく立ち上がる。どこか沈んだ雰囲気を纏ったまま、彼は無言で電車を降りていった。


 優紀は慌てて立ち上がり、床に落ちた一枚の紙切れに気づく。


 「あれ……何か落としましたよ!」


 声をかけたが、ちょうど後ろから人の波が押し寄せ、博人の背中はもう人混みに紛れて見えなくなっていた。


 (あー、行っちゃった……。でもこれ、あとで渡せたらいいな)


 ため息をつきながら拾い上げた紙には、震える文字が綴られていた。

 “すみません。家族へ”


 (……これって)


 優紀の心臓が、ドクンと音を立てた。何か、嫌な予感がした。



高台の公園。


 夕暮れのオレンジが街を包み、風が優しく頬を撫でる。

 博人は人気のない高台に立ち、無表情のまま街並みを見下ろしていた。


 (……これで、楽になれる)


 そのとき、背後から明るい声が響く。


 「はぁ……いい眺め!」


 「え?」


 思わず振り返ると、そこにはさっき電車でぶつかった女性、優紀が立っていた。彼女は息を整えながら、夕陽を見上げている。


 「あ、すみません。びっくりさせちゃいました? あなたも、この景色を見に来たんですか?」


 「いや、僕は……」


 「いいですよね、この場所。空も広くて、風が気持ちよくて。なんか、疲れが取れる気がします」


 優紀はにっこりと笑った。

 その笑顔はどこか無邪気で、まっすぐだった。


 博人は少し戸惑いながらも、その明るさに押されて口を開く。


 「あの……あなたは?」

 「申し遅れました。田代優紀と申します」

 「……どうして僕に声をかけたんですか?」

 「それは……直感です」


 「は?……」


 拍子抜けするような答えに、博人は思わず眉をひそめる。

 だがその瞬間、胸の奥にほんのわずかな温もりが灯った。

 さっきまで頭の中を支配していた思考が、少しだけ遠のいていく。


 (なんかもうどうでもよくなった……もういいか。今日は帰ろう)


 「では失礼します」


 立ち去ろうとする博人の背に、優紀の声が届いた。


 「えっ、もう帰っちゃうんですか? じゃあもしよかったら、またここでお話ししませんか?」

 「……え?」

 「私、お恥ずかしながらあんまり友達いなくて。時々、ここで愚痴とか話せたら嬉しいなって」

 「何で初対面のあなたと?」

 「直感です!」

 「……また直感」

 「ふふっ、いいじゃないですか。そういうのって大事ですよ?」


 博人はあきれたように肩をすくめたが、その顔にはほんの少しだけ柔らかい笑みが浮かんでいた。

 それは、彼自身も気づかないほど、微かな笑顔だった。



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