「推し」がくれるもの
長櫓愛希
「推し」がくれるもの
あなたには「推し」はいるだろうか?
そもそも「推し」や「推し活」という言葉はいつから言われるようになったのだろう…?
気になって調べてみたところ、そのルーツは、遡ること1980年代のアイドルブームから始まっていたのだという。いやはや、そりゃぁ知らなんだ…(´・ω・`)
その後、2010年頃からの某 大所帯国民的女性アイドルグループの大ブレイクに伴い、「推しメン」、「推し」、「推し活」なる言葉が、巷に浸透するようになったのだそうだ。
かつては、アイドルやアーティストを「応援する」とシンプルに言っていたものだが、今では「推す」のひと言に、想いのすべてが込められているようだ。
「推し」を追いかけてライブやイベントなどに出かける日もあれば、写真や映像を眺めるだけの日もある。また、ライブグッズを身につけて身近に感じたり、お守り代わりにする人もいる。
どんなかたちであれ、人それぞれ自分の心の中で「推し」が輝いているのを感じるだけで、何気ない日常が少しだけでも色づいて見えるのだから本当に不思議だ。
考えてみれば「推し」とは遠い存在で、直接会話を交わす機会はほとんどない。
だが、そうとわかっていても、彼らの発する言葉、頑張っている姿、笑顔、そしてたまに見せる弱さや涙を垣間見るたびに、元気になれたり気持ちが救われたりもする。
例えば、毎日の仕事で心が折れそうな日、理由もなく不安な気持ちに襲われたり、悲しみや苦しみに苛まれた時など、推しの歌声や言葉、笑顔にどれほど救われるのかを、私も身をもって実感している。
余談だが、私の場合は がんで闘病していた際、当時の「推し」の存在にずいぶん助けられたからだ。
決して順調ではなかった治療のさなか、苦しくてつらくて、幾度も「死」の不安に押し潰されそうだった時など、ベッド周りに飾っていた「推し」の写真やポスターの笑顔、そしてテレビに映る姿に、だいぶ気持ちが助けられた。
当たり前だが、直接「負けるな!頑張れ!」と声をかけてもらったわけではない。ただただ、その存在を感じるだけで、「よし…もう少しだけ踏ん張ってみるか」、「負けてたまるか」と、何度も背中を押してもらえたものだ。
だいぶ前、ある人から「どうして、そんなに夢中になれるの?」と尋ねられたことがある。また、別の人からは「推し活なんて虚しいだけでしょう?どうせ、陰でファンを裏切って誰かと付き合っていたりしているんだから…」そう一蹴されたこともある。
なんで、そんな夢もへったくれもないこと言うのだろうかと思わなくもないが…。
まあ、確かに。
昨今も、芸能人の結婚や熱愛報道は後をたたない。熱愛報道などに一喜一憂することもあるのは否めないが、今はそこには触れないでおくことにする。これに関してはまたの機会に…。
推し活は、単なる趣味にとどまらず、それを超えた「生きる力、心の栄養」なのだと私は思っている。
少し大げさかもしれないが、人生において目標を見失いそうになっても、「推し」の存在が希望の光を灯してくれるような、そんな風に感じるのだ。
――推しがいるから、今日も生きる力が湧く。
いや、私の場合は、
――推しがいてくれたから、今、自分はこうして生きている
……の方がしっくりくるかもしれない。
これから先、いずれは「推し」の活動が終わる日が必ず来る。だが、彼らがくれたものは、これからもずっと、我々が生きている限りそれぞれの心の中で生き続けるだろう。
★★★★★★★★
推し活されている方、されていた方には、きっとわかっていただけるかな?…と思いながら書いてみました。
推し活、私も以前はめちゃくちゃしていましたね…(*´艸`*)♥
ちなみに、今は当時の「推し」からは卒業しましたが、その方は今も活躍されています。
今は、以前ほどの熱はないものの、陰ながら……例えるならば、星飛雄馬のお姉ちゃんの如く静かに応援しております!ヽ(=´▽`=)ノ✨
ヽ(=´▽`=)ノヾ(ーωー;) 例えが古いわ💧
ヽ(=´▽`=)ノヾ(ーωー;) 今の若い衆にゃわからんよ…。
皆さまにも「推し」はいますか?(*‘ω‘ *)♥
「推し」がくれるもの 長櫓愛希 @carameldrops
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