第10話 声が消える、その前に

梅雨が終わり、街は夏の匂いに包まれていた。

 セミの声が遠くで鳴いて、陽射しが眩しい。

 葵と俺は、同じ作品のアフレコを続けていた。

 新作のタイトルは『Eternal Tone』。

 物語は、“声を失いつつある少女”と“その声を記憶に刻もうとする青年”の話。

 偶然か、必然か。

 またしても、俺たちの過去と重なるような物語だった。

***

 収録が始まる。

 ブースの中は冷房の音だけが響いている。

 葵は少し咳をした。

 「大丈夫?」

 「うん、ちょっと喉を使いすぎただけ」

 「無理すんなよ」

 「大丈夫。……私、声の人だから」

 笑ってそう言うけれど、その笑顔が少しだけ痛かった。

***

 その夜。

 葵からの電話。

 「……ねぇ悠真」

 「うん?」

 「私ね、しばらく声を休めようと思う」

 「……やっぱり、喉の調子?」

「うん。でもそれだけじゃない。

  少し、自分の声と向き合いたいの」

 静かな沈黙が流れた。

 「怖いんだ」

 「何が?」

 「もし声を失ったら、私、何者でもなくなっちゃう気がして」

 その言葉が胸に刺さった。

 葵の“声”は、俺にとって世界そのものだった。

 その声が消えるなんて、考えたくなかった。

 「……葵。

  もし君の声が消えても、俺はちゃんと君を覚えてる。

  声じゃなくても、ちゃんと伝わる」

 少しの間。

 そして、彼女が小さく笑った。

 「……ありがと。

  悠真がそう言ってくれるなら、少しだけ勇気出る」

***

 数日後。

 葵が休養に入った。

 SNSでも一時的に活動休止を発表。

 ネットでは「喉の療養」と書かれていたけれど、

 俺はそれが“心のリセット”でもあることを知っていた。

 毎日、彼女から届く短いメッセージ。

 > 『今日は声出さずに読書してた』

 > 『風の音がね、少し似てるの。あなたの声に』

 読んでいるだけで、胸がいっぱいになった。

 たとえ声がなくても、彼女はちゃんと“生きてる”——そう感じた。

***

 季節が少し進んだ。

 蝉の声が少なくなって、風が秋を運んできたある日。

 俺はスタジオを訪れた。

 録音ブースには、誰もいなかった。

 代わりに、マイクの前に小さなメモが置かれていた。

 > 『悠真へ。

  このマイクで最後に声を録った。

  “声が消える前に、あなたに届けたかった言葉”です。』

 心臓が鳴った。

 録音ボタンを押す。

 スピーカーから、懐かしい声が流れた。

 > 「悠真。

  もしこの声を聞いてる頃、私がもう声を出せなくなってても、

  悲しまないで。

  私、あなたに出会えて幸せでした。

  あなたの声が、私の生きる理由だった。

  だから次は、私があなたを支える番。

  ——この声が消えても、心で隣にいるから。」

 涙が止まらなかった。

 スタジオの灯りが滲んで、世界がぼやけた。

 「……葵」

 マイクの前に立って、俺は静かに言った。

 「俺の声も、君に残すよ」

 録音ボタンを押して、目を閉じる。

 > 「葵。

  君の声が消えても、俺は一生、君を呼び続ける。

  君の名は、俺の生きる音だから。」

***

 ——半年後。

 秋が終わり、冬の匂いが戻ってきた頃。

 葵は少しずつ回復して、再び声を取り戻していた。

 久しぶりに会った彼女は、柔らかい笑顔をしていた。

 「ねぇ悠真」

 「うん?」

「声って、不思議だね」

 「どうして?」

 「消えても、心に残る。

  届かなくても、感じられる」

 「それは、君の声だからだよ」

 葵が少し照れながら笑った。

 「じゃあ……これからも、聞いてくれる?」

 「ずっと」

 手を重ねた。

 その瞬間、冬の風が吹き抜けた。

 雪がちらりと舞う。

 あの日と同じ空の下で、

 二人の声が、静かに重なった。

 > 「——君の声が、届くまで」

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君の声が、届くまで 小説王に俺はなる!! @Nikotu4577

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