宿敵登場





 かくして地味同盟は動き始めた。動き始めてどこに向かうのか、私自身さっぱり分からない。私の野心がどこにあるのかもわからない。ただ地味女たちの誇りを満天下に知らしめる、その熱情だけが存在するのだ。


「で、なんか同盟として明確な活動とかするの?」


 いつでも冷静な京香がそんなことを言ってくる。


 昼休みの学食の中だった。我が舞坂高校の学食はあんまり美味しくないので大抵は閑散としている。購買部のパンのほうが美味い、と公言する者もいる。私もそう思う。しかし味噌ラーメンだけは結構好きで、たまに食べたくなって今こうしている。


 で、それに素直に付き合っている京香や佳奈も地味同盟には諸手を上げて賛同している訳ではないのかもしれないけれど、今のことは拒否されていないということだ。とてもよろしい。


「別に集団活動とかは考えてないよ。これは繰り返すが魂の問題なのだ」

「それって友達付き合いとどう違う訳?」

「だから魂の問題だって……」

「全然論理的じゃないよ。同盟というからにはなにか綱領みたいなものが必要なんじゃないの」

「おお、京香はとてもいいことを言う」


 3人揃って、隅っこの席でみんな味噌ラーメンを啜っているのはいかにも地味だと言えた。とても心地いい。ひとりで啜るよりもふたり、3人と仲間は多い方が良い。ラーメン仲間を増やすのもこの同盟の目的のひとつである。


「京香は参謀タイプだね」

「まあ主役になりたがるタイプとは思ってないけど、だったらリーダーはあんたなの?」

「まぁ言い出しっぺの責任だぁね」


 しかし地味同盟の綱領とはどういうものだろうか。自慢じゃないが私は法律的な、そういった論理的な言葉を構築する力に欠ける。パッションの女だからだ。となれば論理は京香に任せたいのだけれど、彼女は彼女で私任せにしそうだった。


「まぁすぐに決めるこたぁないっしょ。すこしずつ詰めていきましょそうしましょ」

「紀子はどこまでもお気楽ね」


 その間、佳奈は一言も喋らずにラーメンを啜っていた。彼女はそれに加えて大盛りのライスも頼んでいる。その陰気な雰囲気を裏切り、異様に美味しそうに食べ、おまけに健啖家でもあった。そのくせ太ったところが全然見当たらないのが、なんだか悔しい。栄養はすべて脳(彼女は成績優秀である)とおっぱいに行っているのかもしれない。


 しかしここでは佳奈の意見も聞いておかなければならない。


「カナちんよ。あんたはどう思う」


 するすると口の中に麺を啜っていた彼女。その動きをいったん止め、自信なさげに瞳をうろうろさせ、それから顔を俯かせた。


「別に……あたしはどうでもいい」

「暗いなぁ。そんなんじゃ男が寄ってこんぞ」

「ひとのこと言えるの」

「そりゃまあ、私だってどこに出しても恥ずかしい非モテ女子だけどさあ。そうあからさまに言われるとちょっと傷付くぞ」

「まずはそこからね」


 冷静に口をはさむ京香。このクールさは見習いたいと思うのだが、私の中にあるパッションが邪魔して今のところ上手く行っていない。


「どういうことさ」

「つまり恋愛関連について。ここは最初に決めておくべきじゃない?」

「ふーむ」


 私が腕を組むと、彼女はさらに続けた。


「地味同盟とかいう字面からすれば、恋愛禁止のような感じになるんだと思うんだけど」

「男なんかなんぼのもんじゃい! ってか?」

「別にそこまで開き直りはしないけど」

「女同士ならいいのかなぁ」

「私とあんた、もしくは私と佳奈がそんな関係になるのは天地が引っ繰り返ってもありえないけれどね」

「私とカナちんは?」

「ちょっと怪しい」


 そんな馬鹿な、と言ってから私はしばし考えた。恋愛。恋愛か。私とてうら若き乙女なのだから憧れがない訳でもないけれど、いっぽうではそれはどこか遠くの世界で行われる行事だとも感じていた。ついでに言えば好きになった男子なんかもいない。


 恋をすれば変わるんだろうか――しかし特定の男子に恋する自分をいまいち想像できないのも確かだ。恋に恋する乙女、いやその手前に踏み止まっているのが私だと言える。


「まぁ、モテないからってビアンに走るさもしいことはしないようにしよう」

「で、恋愛禁止なの? 自由なの? それはあんたが決めなさいよ」


 私はちょっとだけ京香に逆襲したいと思った。


「私が決めちゃっていいのぉ? いまのところ恋愛状態に一番近いところにいるあんたが、そう言っちゃうんだぁ?」

「な、なにを言っているの」

「文芸部の蒔田先輩。我々地味同盟情報部はそのネタをしっかりとつかんでるんだぜ」

「は、はぁ?」


 クールな京香のイメージがにわかに崩れていくのを見るのは中々に面白い。彼女は必死に取り繕うとしているけれど、焦りは確かに滲み出ている。だが私もただイジるだけの為にこの話を出したのではない。彼女の恋愛は上手く行って欲しい。彼女は恋愛と意識していないようなのだけれど。


「蒔田先輩はそんなんじゃないし。むしろ星崎先生のほうが……」

「奪い取っちゃえよ」

「そんなことできるか!」


 ふん、と京香は鼻息を荒くした、きゅっと眉を引き締める。中々綺麗な顔立ちになる。こいつは真面目な顔をしている方が可愛いタイプである。だが今はそんなことはどうでもいい。


「ま、それはまだいいさ。じゃあ地味同盟では恋愛は自由としよう。ただ……」


 京香の引き締まった細い眉が、「ひそめる」というまで絞られる。佳奈は麺を啜るのを止めてはいるが。怪訝な表情でこちらを見ている。私はことさらに自信満々な顔を見せた。自信がない時ほど傲然とせよ、というのは私の人生の指針だった。誰に教えられたものでもなく、それにそれで得をしたこともないけれど、これは矜持の問題なのだ。


「地味同盟の誰かが恋をしたのなら、ほかの同盟員はそれを全力で支援すること! そして晴れて成就した時には妬むことなく全力で祝福すること! どうだ」

「あんたにはそれが出来るの?」

「もちろんできるさ」


 元々私はひとの恋愛で嫉妬するようなタイプではない。まあ、他人事だったからっていうのもあるけれど……


「まぁ私が高校生活でこれから恋愛するとも思えんけどね。ふはは」

「なんでそんなんで自信満々なの……」


 ボソッと呟いたのは佳奈。だが私は全然気にしない。


「あんたにも男が出来りゃ私は全身全霊で祝ってやるよ」

「……あたしは現実の男なんかいらないし」

「そういう古いオタクみたいなこと言うなよ~」


 佳奈は誤魔化すように再びラーメンを啜り始めた。なんだかやけくそ気味にラーメンとごはんを豪快に掻っ込む。この幸せそうな食べ方を見て惚れるようなヘンテコ男もどこかにはいると思うのだが、残念ながらまだそういう男は出て来ていない。もっとも、彼女の場合は男を作る前に己を矯正すべきなのだが。男が出来ることによって矯正される可能性もあるが、理想を言えば自ら立ち直るべきだ。


 ――佳奈は、本当はもっと明るくてアホの子のはずだ。私はそれを信じている。


 という訳で思いもかけず恋愛話になってしまったが、花の女子高生なのだから仕方ないだろう。地味女だけど。京香が指摘した通り、ここは避けては通れない議題だった。しかしなんにせよ私の方針に反対する者は現れなかった。とてもよい。


 それから細々とした綱領が合議の中作られていったのだが、細々としているのでここで詳しく内容を語ることはしない。必要があった時に適宜開陳していく。


「ふふふ。これでじつに『同盟』らしくなったな」

「あんたがそう思ってるんなら、それで別にいいけど」


 どうも京香は、まだこれが私のたまたまの思い付きに過ぎない遊びだと捉えているようである。しかしそんなものではないのだ。この地味同盟は単に高校生活をよくしようという、それだけではない遠大な野望がある。志を同じくする3人が一生を懸けて守る、貫き通す、そんな誇り。


「さあ手をかざして」

「はぁ?」

「なに」


 訝しむような顔をしつつも、京香も佳奈も手を差し出す。根がいい子たちなのだ。この愛すべき馬鹿女たち、もちろんそれは私自身も含まれるが、それは守られなけらばならない。オトナが守ってくれないのであれば、自分で自分を守らなければならない。


「なにがしたいの」

「分かるっしょ」


 私がその上に手を当て、がちっと手と手を組み合う。そしてふたりに目配せして一生懸命全力で、自分自身のアホ面を引き締める。そして。


「我ら3人、生まれた時は違えども――」

「桃園の誓いならやらないよ」


 京香はぱっと手を離し、義姉妹の契りから抜けてしまった。それから佳奈も抜けた。ひとり私が間抜けな顔を晒す。


「いいじゃないかよう」

「そこまで深刻にするのも、あんたの狙いからは外れるんじゃない?」

「キョーカはいつでも冷静だな。まぁ確かにそうなんだけどさ。でもこういうノリもあっていいじゃん。ノレよ」

「やだ」

「馬鹿馬鹿しい……」


 なんだか私がひとりで空回っているようにも見えるが、それでもいいのである。こいつらの幸せ、そして自分自身の幸せをつかむためなら道化役だってなんだってやってやる。そういった意志がこの地味同盟には込められている。生前は理解されないかもしれない。しかし天才はいつだって後世から評価されるものだ。


「さあまずは喰おう。いい加減にしないと麺が伸びるし昼休憩も終わっちまう」

「それはそうね」


 という訳でここからは一生懸命麺を啜った。飯を食べることでさえも一生懸命。なにごとにも全力投球。それは綱領のひとつであり、早くもそれは守られた訳だ。ちなみに佳奈はすでに食べ終わっていて。頬杖を突いて明後日の方向を見ている。この場にい続けているということは、地味同盟から離反はしないのだろう。喜ばしいことである。


 それで終わっていればよかったのだが。


「ふーん。地味女同士で徒党を組んで、なにかそれで面白いことがあんの?」


 昼休憩も終わりというところで絡んできた女。私はこいつを中学生の時から知っている。名前は瀬島由美せじまゆみという。私、というか私とは対極の派手女、一言でいえば「ギャル」である。どういう訳か、こいつはいつも私に突っ掛かってくるのだ。しかし地味同盟を馬鹿にされるのなら戦うしかない。


「地味同盟とか、馬鹿じゃないの?」

「あんたのようなパッパラ女にはこの同盟の崇高な目的は一生理解出来ないさ」

「理解出来なくていいよ。それにパッパラ女なのはあんたのほうでしょ」

「それはどうかな? いや、それは私達が判断することではない。歴史が判断してくれるだろう」

「やっぱり馬鹿じゃん」

「価値観が根底から違うと言って欲しいね」


 そんな由美の後ろに付いてくる小柄の女子がいる。ショートボブの小狸。そいつの名は氷上唯ひかみゆい。由美の腰巾着というかコバンザメというか太鼓持ちというか……ほかになにかいい表現がないか探してみたが見付からなかった。まあつまりはそういう小物である。そして小物ゆえに性格はひねくれている。隠してはいるが私はそれをしっかりと見据えている。


「へーんだ。お前らみたいなミジンコが集まったところで、世の中はなぁんにもかわんないんだもんね」

「変わるのはいつだって世界じゃない。自分たちさ」

「なぁに偉そうなこと言って。所詮お前らなんてちんけアホ女どもじゃん。男も寄ってこない。ねぇ由美?」

「まったくね」

「別にあんたらがどう思っていてもいいよ。これは魂の問題なのさ」

「あたしがそれをぶっ壊す、って言ったら?」


 全力で立ち向かってやるよ――と私が堂々と言う前に、なぜか佳奈が立ち上がった。幽鬼のような顔付きではあるが、どことなく意志の力を感じるような気もする。ともあれ、彼女は私と由美の間に割って入り、由美を睨み付けた。なんだか異様な迫力がある。だが無言だった。


「な、なによ」


 由美はどことなく気圧されているようだった。私も佳奈の無気味な圧にやや動揺していた。こいつ、こんな奴だったっけ?


 なおも無言。佳奈はそこそこ身長があるからより迫力が増して見える。


「……な、なんか文句あるならなんか喋ってみなさいよ!」


 しかし佳奈は暗黒の瞳で由美を睨み付け、ときおり唯にも牽制を入れる。馬鹿女ども(私たちのことではない)はすこしずつ後ずさりし始めた。おお、なんという佳奈の存在感。その纏っているオーラはまだ陰のものだけれども。


「ね、ねえ。もう止めようよ、由美。こんなキモいのにいつまでも関わってられないって」

「そ、そうね」


 そう言ってふたりはそそくさと去って行ってしまった。この場は佳奈の完全勝利である。勝って誇り高い訳でもないが。


「……意外と勇気あるんじゃない。喋んないのはどうかと思ったけどさ」

「あんなのに馬鹿にされるのはイヤなだけ」


 それから彼女は食器とトレイを持って返却口に向かう。ここでそのまま立ち去っていれば様になるのだが、微妙に締まらない。だがそういった真面目なところも彼女のいいところなのかもしれない。


「……休憩終わるよ。早く教室に戻らないと」


 その背中を、私と京香は茫然と見やっていた。


「カッコいい……のかなぁ?」

「ここはカッコいいということにしときましょ」


 まあ、底を見せない佳奈にもそれなりに仲間意識はあるのだろうと、それを確認できただけでもここは良しとしよう。私はそう思った。

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