自分を一般人だと思い込んでいる勇者の右腕を観察した話。
猫大。
自分が一般人だと思い込んでいる勇者の右腕を観察した話
「自分を一般人だと思い込んでる勇者の右腕を観察した話。」
彼は、自分をただの一般人だと思っている。
ここヴァンダム王国の冒険者ギルド内に併設された酒場で、今日も私は彼を観察している。
彼の名前はリュウイチ・ミゾベ。
今や、この国でその名を知ぬ者などいない。
名高いパーティー<蛮勇の炎>の副リーダーにして稀代の賢者である。
ーーにもかかわらず。
今日も彼は酒場の喧騒の中でひとり
「……自分はただの一般人で、静かに暮らしたいだけなのに」
と、ぼやいていた。
彼は今から1年ほど前に、自分を"勇者"だと名乗る男ーー<蛮勇の炎>のリーダー、アラン・ドマに無理やり引きずられてギルドにやってきた。
当初、誰もが思った。
「また、大口を叩くルーキーが現れた」と。
そういう新人は珍しくない。
最初の三か月は勢い任せで突っ走るが、試練の壁にぶつかり、やがて去っていく。
それがこの世界の常だ。
魔物討伐の初期依頼は、ギルドが厳しく管理している。
新人に割り当てられる魔物のランクはたかが知れているし、運が悪くない限り上級種に遭遇することもない。
それでも、最初の昇進試験ーー”グール討伐”を前に、多くが辞めていく。
町の共同墓地で毎月決まってグール討伐が行われる。
かつて親しかった人間が、腐り果てた死者となって襲い掛かってくるのだ。それを前にして心を折らぬ者が、いったいどれほどいるだろう。
冒険者という仕事は、そう簡単に務まるものではない。
そんな試練の説明をしている最中に、アランは突然、こう言い放った。
「なぜ、リッチを討伐しないのか?」
静まり返る講習室。
グールはリッチという上位の魔物によって造られる。
つまり、元を断てば、毎月の討伐は不要になるーーと、彼は言ったのだ。
そんな理屈は、誰もが一度は考える。だが、現実は、理屈など通じない。
リッチは物理攻撃を受け付けず、魔法にも強固な体制を持つ。上位魔法を限りなく放ち、死者の軍勢を率いる存在に、いったい誰が抗えるというのか。
唯一対抗できる、ミスリル級以上の冒険者たち。
だが、彼らは国の防衛や国家事業の要であり、毎月一度のグール発生ごときで、動くはずがない。
幸い、リッチは自ら街を襲うことない。
傲慢にも、作ったグールだけ放ち、夜が明ければ霧のように消えていく。
そうした理不尽な現実の中で、誰もが黙って墓地へと向かう。
ーーただ、あの勇者と、その”右腕”を除いては。
日が暮れた共同墓地には、文字通り地獄が広がっていた。
生ぬるい風に乗って言いようもない臭気が漂い、墓を破って死者たちが這い上がってくる。その亡者達の中心に、亡霊の王ーーリッチが佇んでいた。
冒険者達はグールを街にはいらぬよう、あちらこちらで戦闘を開始していた。
そんな喧騒の中を雄叫びを上げて、中心に突き進むパーティーがいた。<蛮勇の炎>だ。
「うぉぉぉ、リュウイチ!俺の援護しながらついてこい!リッチの首を取りに行くぞ!」
「無茶しすぎだアラン! やれやれ、オレは一般人なんだぞ。そんな期待をするなよ…」
言いながらも、彼の手からは確かに魔力が迸っていた。
アランは巨大な戦鎚を振りかざし、肉薄したグールを粉砕していく。その背後から、リュウイチの詠唱が響いた。
青白い光が闇を裂き、爆ぜる魔力がアランの進路を切り開く。
光と爆音、鉄と骨がぶつかり合う音。
その中で、異様なほど2人の姿が鮮烈に焼き付いていた。
あの時その場にいた誰もが思った。
「あいつら、リッチを本気で討つ気だ」と。
……ふぅ。
ここまで書いて一旦筆を置き、凝り固まった目頭を解す。
私は観察した内容をノンフィクションとして本にまとめている。完成した暁には出版し、不労所得を得て自堕落に暮らすのだ。
そのため、誰にも気づかれないように"蛮勇の炎"にこっそりついて行っている。私は戦闘ができない。ぶっちゃけ怖い。死にたくないのだ。でも、金は欲しい。だから私は命がけで観察する。
…にしても、デタラメだ!
なんでただの一般人が中級魔法をぶっ放せるんだ!
おかしいだろう!
しかも冒険者になりたてのヤツがだ!
その後もドラゴンをワンパンで屠ったり、魔王を上級魔法で蹴散らしたり無茶苦茶だ!
何度流れ弾で死にかけたことか…
…それでも、彼が魔法を放つ瞬間だけは、息を飲んで見入ってしまう。
ああ、やっぱり"一般人"じゃない。
私は、ただの物書きだ。
明日も彼はきっと「一般人だ」と呟くだろう。
だから、私は筆を取る。
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思い付きで書いてみました。
自分を一般人だと思い込んでいる勇者の右腕を観察した話。 猫大。 @dorf_katze
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