死んでいるはずの幼女に転生したら主人公のライバルキャラに溺愛されています!?

かほのひなこ

プロローグ

 雨が強く体を打ちつける。ゆっくりと足を前に前に動かす度に、パシャパシャと下から音がする。その音が、雨の降る音と混ざりあって頭に響く。ずっと頭が痛い。


 どうすればいいのか、分からない。そもそも何でわたしはここにいるんだ。……何も思い出せない。


 やるべきことが分からなくても、分かることはある。足を動かさなくちゃいけないってこと。早く一歩でも先に逃げなくちゃいけないってこと。


 そう言われたから、大切な人達に。だから急いで進まなくちゃ。


 だって、だって、わたしはまだ死にたくない。ここで終わる訳にはいかない。


 逃げろと、前へ進み続けろと、指令を出す脳に従い体を懸命に動かし続ける。


 しかし、バシャッとすごい音がしたと同時に、体に痛みが走る。倒れたのだとすぐに気づいた。


 痛い。痛い。怖い。死にたくない。死にたくない。死にたくない!


 わたしは手を前に置き力を入れて、体を引っ張り前に進む。


 早く少しでも先に行かなくちゃ。全身の痛みに意識を失う前に、少しでも前に。一秒でも長く生き残り続けるために。


「君、何をしてるの」


 どこからか声が聞こえた。低い声だ。聞き慣れた――の声ではない。聞き覚えのない声だった。


 ゆっくりと顔を上げるが、声の主の姿は雨に阻まれてよく見えない。かろうじて髪の色が黒いのが分かるぐらい。目も霞んでいるのだろう。それ以上は何も分からなかった。


「……死にそうだね」


 声は小さかったが、雨音には紛れずに私の耳まではっきり届く。澄んだ綺麗な声だった。


「……た、す……けて」


 助けを求めようと声を出そうとするが、上手く声が出せない。沢山叫んだような気がするから、きっとそのせいだ。なぜ叫んだのかはよく分からない。何か、理由があったような気がするのに、頭が痛い。


 その人はかがんでわたしの目をじっと見つめる。その瞳は、月のように美しい金色の瞳だった。それを見て、脳裏に何かが蘇りそうになる。見たことがある気がした。どこかで、遠い昔に、わたしはこの色を知っていた。


「生きたいの?」


 当たり前のことをその人は問いかけてくる。分からないことを聞く子供のような声色に、この人は本当に分からないのだと、回らない頭でも何とか理解できた。


 この人の事情は知らない。わたしは自分のことすらよく分からない。ここでの正解は分からないけど、わたしが今取るべき選択肢はひとつしかない。


 わたしは持てる力を振り絞って、人間がもつ揺るがないひとつの欲を、目の前の人物に向けて吐き出す。


「い、生き……たい……! しに、たくは、ない……」


「そう」


 簡素なひとことだったけど、先程までの言葉とは何かが違っていた。


 その何かを理解しようとするけれど、全力で叫んだせいか、視界が揺れる。意識をこれ以上保ってられない。でも目を閉じたくない。このまま死にたくない。


「大丈夫。ゆっくり休みなよ」


 薄れゆく意識の中聞こえたのはそんな言葉。安心させるような柔らかい声と、暖かい何かに包まれて、わたしは意識を手放した。





 真っ暗い中が怖かった。何も無い世界。黒に囲まれて必死に恐怖から逃げようと、目を開ける。


 まず目に入ったのは、見たことのない天井だった。状況を把握するために体を起こそうとするけれど、全然力が入らない。


 体が動かないのなら、自分に問いかけるしかない。眠る前のことを思い出そうとするけれど……思い出せない。


 目に入ったのが、知らない天井で当然だ。わたしの中に記憶が全然ないんだから。家族のことも、好きなことも嫌いなことも、自分の名前すら思い出せない。


 ここで寝ていても、きっと記憶は蘇らない。頑張って体に力を入れれば、何とか起き上がれた。体は痛いが、動かないほどではない。わたしは痛みに耐えつつ、部屋を探索する。


 部屋に置かれているインテリアは襖に、タンスに、押し入れ、と和風なものが多い。振り向けば、わたしの後ろには鏡のついた台があった。


 そこに写ったわたしの顔、それには見覚えがある。自身の顔だから、人間の顔の中で一番見覚えがあるのが当然。


 でも違う。そんな理由じゃない。


 思い出そうと必死に考える。どこかで見たんだ。それもそんなに前じゃない。本当につい最近。現実ではない、紙に描かれた姿。


 ……あぁ、そうだ。この顔は、あの少女のものだ。


 物語の開始直前に死んだ。主人公の相棒キャラの、元主人である夫妻の子ども。子供らしく可愛らしいパッチリとした瞳と、よく手入れされた光沢のある長い髪。本誌で数週前にその姿がようやく明かされた……錠乃優愛そのものだ。


「あぁ、起きたんだね」


 聞こえてきた声の方に視線を向ける。


 いつの間にか開いていた襖の奥に立つ、真っ黒な髪と同じ色の服を着る整った顔立ちの男性がいた。そしてその人にも見覚えがあった。


 主人公の先輩であり一匹狼。生徒会長でありながら、街の不良を束ねる番長。ミステリアスで、読者人気の高い主人公のライバルキャラ。


「傷の手当はしたけれど、まだ無理して動かない方がいい」


 ――雨宮桜也がそこにはいた。


 頭が上手く動かない。出会いの記憶はさっぱりだ。抜け落ちて消えてしまったかのように、真っ黒な空白。


 空白の中の概要だけを、わたしは瞬時に悟ることが出来た。


 何故か現世の記憶を思い出せないわたしは、前世の記憶だけを先に思い出してしまったのだ。

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