序章 運命のはじまり

『スミスター男爵の愛人が子どもを産んだらしい』。領内でこのうわさばなしが広まったのは、これで三度目だった。

 四度目は許してなるものか。その怒りを夫に知らしめるかのように、夫人は使用人が産んだ娘をひどしいたげた。

 身勝手な男爵。理不尽な怒りをぶつけてくる夫人。口もいてくれない使用人たち。

 貴族の愛人の娘として生まれた彼女の人生は、生まれた時から散々だった。

 それを悲しむことも、変わりたいと思うこともなかった。彼女にとって、ただそうあることが当然だったからだ。自分が生まれてきたことは間違いで、家庭を壊す不協和音で、誰からも愛されることはない。

 産みの母は自分を置き去りにして行方をくらませ、父と呼べるはずだったその人は、目も合わせてくれない。夫人の怒りや異母兄妹きようだいたちのいじめから逃れることはできず、陰に隠れて一日をやり過ごす。

 一生変わらないと思っていた。陽の光を浴びることはない、あってはならない。そう思っていた。

 彼らと出会うまでは。

 高名なとある魔法使いから、男爵家の娘を弟子にと申し出があった。人々は大喜びで娘のニーナを祝福し、魔法使いの到着を待ちわびていた。だから少女は邪魔をしないように屋根裏部屋でうずくまって息を潜めていた。

 それなのに、魔法使いが弟子を伴って現れたのは屋根裏部屋だった。

「やはりこの子だったな。不安定だが大きな輝きを秘めた魔力の反応……間違いない」

 美しい白髪の男性は、屋根裏部屋の隅で息を潜めていた少女に目を向けた。

「初めまして、我が弟子よ。私の名はシルヴァルド・アルスフィア。この帝国で一番強い魔法使いだ」

 そう言って、ニヤリと笑った。

「まほう、つかい……」

「そう。魔法使いだ。君の師匠となる、偉大なる魔法使いだ!」

 輝くような笑顔で、美しいその人は名乗る。

 不思議な夢でも見ているような気分だった。何かの間違いだ。

 頭ではそう分かっているのに、宝石のように光り輝く紫の瞳から目がらせない。

「あの、わたし、きっとまちがえて」

「間違いなんかじゃない。私はずっと君を探していた」

 その時、慌てたような激しい足音と共に、血相を変えた夫人が飛び込んでくる。

「魔法使い様! その者は私の娘ではございませんわ!」

「娘ではない? そうか、ならば騒がせてすまなかったな。もうここに用はない」

 シルヴァルドと名乗った男性は夫人にいちべつもくれず、吐き捨てるかのようにそう言った。

 夫人は少女を鋭くにらみつける。

 すると、男性の後ろから青い瞳の少年が出てきて、少女の前にかばうように立った。

 そうして少女に手を差し伸べ──。

「行こう────今日から俺が、お前の兄弟子だ」

 月の輝くこの夜こそ、運命の出会いのはじまりだったと、後に少女は知ることになる。

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