知識による領地経営
私の領地経営は、まず「水」から始まった。
瘴気に汚染された水は、領民の体力と気力を確実に奪っていく。
「セバス。領内の元魔術師、あるいは魔術具の知識がある者を集めてください。五人で結構です」
「…承知いたしました」
集められたのは、魔術師団を引退した老人や、手先の器用な鍛冶師たちだった。
集められた者の中に、ひときわ背の高い老人がいた。元王宮魔術師団の技術顧問を務めていた、グスタフだ。
彼は、私が提示した設計図を一目見るなり、震える手でそれを掴んだ。
「こ、これは…! まさか、『簡易魔力フィルター』!? 理論は知っていましたが、実用化は不可能とされていた代物…! あのお方、この術式は…!」
「核となる理論は禁書庫から。設計は私がこの土地に合わせて最適化しました」
グスタフの目に、諦観ではない「技術者としての光」が宿った。
「しかし、このような複雑な術式、我々だけでは…」と他の者たちが不安の声を上げる。
「問題ありません。核となる魔石の調整は私が行います。皆さんは、この設計図通りに、寸分違わず組み上げてください」
私は自ら作業場に立ち、魔石を削り、術式を刻んだ。
公爵令嬢が泥と油にまみれて作業する姿に、老人たちは戸惑いながらも、次第にその的確な指示と技術に引き込まれていった。
三日後。
領都の主要な井戸に、最初のフィルターが設置された。
汲み上げられた水は、瘴気の淀みが消え、信じられないほど清冽な味がした。
「水だ…! きれいな水だ!」
領民たちが、その水を回し飲みし、歓声を上げた。
これが、私の「実績」の第一歩だった。
次なる課題は「土」と「食糧」。
私は、領内の土壌を自ら分析した。
結果は最悪。強酸性、かつ魔力残滓が強く残り、通常の作物が育つはずがなかった。
「セバス。石灰石(せっかいせき)が採れる場所は?」
「北の丘に採掘場跡がありますが…」
「すぐに人を集め、採掘を再開します。土地改良にはまず中和が必要です」
だが、土壌を改良しても、王都から持ってきた作物の種は、この土地の寒さと瘴気の残滓に耐えられないだろう。
私は、一冊の古文書を頼りに、自ら「嘆きの森」の際(きわ)まで調査に向かった。
セバスの悲鳴のような制止を振り切って。
そして、見つけた。
古文書『辺境開拓と経済循環』に記されていた、古代の耐瘴気性植物。
岩陰に、わずかに自生していた黒い穂。
「…『黒麦(くろむぎ)』の原種…!」
私は、領民たちを集め、その黒麦の原種を見せた。
「これこそが、この土地を救う作物です。土壌改良(石灰)と、私が指導する特殊な栽培法を用いれば、必ずやこの土地で収穫が得られます」
領民たちは半信半疑だった。
「どうせ、また枯れるに決まってら…」
「公爵令嬢様の道楽だ…」
私は、言葉で説得するのをやめた。
私は、自ら鍬(くわ)を持ち、改良した畑に入った。
泥に膝をつき、石灰を混ぜ込み、原種から選別した種を植え始めた。
来る日も来る日も、私は領民たちと同じ服を着て、同じ泥にまみれ、畑仕事の先頭に立った。
公爵令嬢の手は豆だらけになり、肌は日に焼けた。
そんな私の姿を、最初は遠巻きに眺めていた領民たちが、一人、また一人と、鍬を持って隣に立ち始めた。
「…仕方ねえな。あんただけに働かせるわけにもいくめえ」
「ああ。どうせ死ぬなら、夢の一つも見てから死にてえ」
彼らの目に、諦観ではない「光」が宿り始めていた。
彼らが私を呼ぶ呼称が、いつしか「追放された公爵令嬢様」から、敬意と信頼を込めた「あのお方」へと変わっていった。
小さな黒麦の芽が、改良された大地から一斉に顔を出したのは、それから間もなくのことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます