第27話 夢の列車
ホームを、爽やかな初夏の潮風が通り抜ける。
空は澄みわたり、ビルや商業施設が立ち並ぶ街並みの向こうに、水平線がみえる。
二人は輸送車で、科学技術局から南寺駅まで送ってもらった。南寺駅は地方都市の中心にあるハブ駅で、東西南北を結ぶ幹線がここで交わる。
今回、南寺駅から乗るのは――夢の列車〈ドリームトレイン〉。かつて鉄鋼業が栄えたポートシティを目指して、こぞって男たちがこの列車に乗り込んだ。成り上がりの夢を乗せて走ることから、ドリームトレインと呼ばれるようになったという。
「風が気持ちいいわね」
「ほんとですね。遠くには島が見えますよ」
街の先には青い海と点々とした島影が見え、スピーカーからは鳥のさえずり流れている。人口音なのに、なぜだか心が落ち着く。今だけは穏やかな世界を信じてみたい、そんな気持ちにさせられる。
ーーまもなく、3番線に列車が参ります。危ないので、黄色い線の内側までお入りください。
アナウンスと警告音がホームに鳴る。
「ミナトくん、いよいよ出発ね」
網浜はチケットを見ながら、声を弾ませた。どこか子どものようで、無邪気な期待が滲んでいた。
やがて、向こうから低い重低音が響いてきた。地面がかすかに震えると、視線の先に銀色の車体がゆっくりと姿を現してくる。
車体の側面には、淡い水色のラインが刻まれている。そもそも"ドリームトレイン"というのは愛称であり、正式名称は海岸鉄道。水色のラインは波や潮風をモチーフに、その名の通り、東から西へ、西から東へ、海岸線沿いを大横断し、滑るように走る特急列車だ。
列車がホームに止まると、足元が一瞬だけ、ぎらりと光った。太陽の光を車体が反射した。ドアが開くと、大勢の人が降りていったが、乗る人は少なかった。
「じゃあ、乗ろっか」
ミナトは軽く頷いて、カバンの取っ手を握った。一歩、列車のなかに足を踏み入れた瞬間、時間の流れが変わった気がした。外に流れていた初夏のざわめきが遠ざかって、代わりに低いエンジン音が胸の奥に響く。
そして、ふたりが座席に腰を下ろす頃には、窓の景色がゆっくりと流れ始めていた。
「緊張してる?」
網浜がからかうようにミナトに話しかける。
「少しだけ。……でも、楽しみです。記憶を取り戻す手がかりになるかもしれませんし」
網浜はうんうんと頷き、カバンからパンフレットを取り出した。駅のホームに置いてあったものをいつの間にか、手に取っていたらしい。
淡いブルーのラインが目立つ表紙には、海岸鉄道 特急 西行きと書かれている。
「ねえ、見て、ここ。『海沿いの区間では、車体を外側にわずかに傾けて走行します』って。潮風を切り裂きながら、走るためなんだって」
ほどなくして、列車は市街地を抜け、窓の視界いっぱいに海が広がった。窓辺の光が一段と強くなり、海面の反射が室内にちらちらと揺れて差し込んでくる。
「わあ……」
ふたりは思わず息を漏らす。
さっきまで遠くに小さく見えていた島々が、今は緩やかな曲線をもって、島の形を見せている。海沿いには、赤茶色く鉄錆びた倉庫や、魚網を干している小さな漁村がぽつぽつと現れた。
列車はパンフレットの記載を守るかのように、速度を上げていく。風を切り裂くと、潮の匂いが車内に流れ込んでくる。エンジンの唸りも大きくなり、床下の震えもわずかに強くなる。
「ねえ、ミナトくん」
網浜がふいに声を潜めた。
「?」
「ドリームトレインってさ。昔は”成功するための列車”って言われてたらしいけど……今はどうなんだろうね」
「そういえば、乗る人も少なかったですよね」
網浜は少し腰を浮かせて、ぐるりと周囲を見渡す。
「なんとなくだけど、昔の活気の残り香みたいなのがするよね。人がどれだけ減っても、列車だけは昔のまま頑張って動いてるっていうか」
簡素で柔らかくない座席、ひんやりとした金属の壁、カーテンに残った薄いシミ。
外面とは裏腹に、車内に豪華さはない。それでも、車体の奥底には長い年月を走り抜けてきた体温のようなこころが宿っているような気がした。
ミナトは指先で肘掛けをなぞる。そこにはちいさな無数の傷が刻まれていて、誰かの旅路の記憶が重ねられているようだった。
「昔、ここに座っていた人たちは、どういう気持ちで座っていたんでしょうね」
「とにかく夢中だったんじゃない?絶対に成功するとか、家族を楽にさせるとか、そういう熱気があった時代だったと思うし」
何もなくて、何もかもがあった時代。
戦争が終わって、技術革新が群発する時代。
彼らは時代の寵児となって、世界をここまで連れてきた。ただし、そんな時代が停滞して久しい。
「……なんだか、皮肉ね。人が夢を追って溢れかえっていた列車が、今ではこんなに静かなんだもん」
「そうですね」
体裁だけ取り繕って、実態が伴わない。成長主義のなかに、簡素なまま取り残されている。降りようにも降りられない状況は、この社会の縮図そのものだといえた。
――次はハイユン峠、ハイユン峠。左手には、断崖と入り江の景観が望めます。
車内アナウンスが静かに流れる。
「もう、ハイユン峠!?やっぱり特急は速いわね」
「ハイユン峠って海霧が有名なんですか」
ミナトはパンフレットを見ながら、そう尋ねた。
「そうよ。ここは海霧の名所なの。あの断崖も凄いわよ。始祖神
「今日は海霧見えますかね?」
「そうね。季節的には見えてもおかしくなさそうだけど、最近は温暖化だからどうかしらね。霧が見たいなら、この川を北上して夜城に行くほうが速いわ」
「夜城も霧が有名なんですか」
ミナトの問いに網浜はクスリと笑った。
「そうね。乗客に霧の名所を聞いてみなさい。全員が夜城だと言うわよ。夜城ってのはね、そのむかし王都だったの。そもそも夜城という名前は、濃い霧のなかに夜でも赤い火を灯しながら聳え立つ王城から名付けられたのよ。一年中霧が立ち込める幻想的な街、だから
ミナトは列車の下に流れる大河を見下ろしながら、胸の奥でひそかな高鳴りを感じていた。この奥に、ずっとずっと向こうにその夜城がある。話を聞くだけで、ざわめくような好奇心が沸き立ってくるような気がした。
だが、その高鳴りは、列車の揺れの変化によって中断される。
――コツッ
車輪が何かを踏んだような微かな揺れが、足元に伝わってくる。最初はただの継ぎ目かと思った。しかし、それは二度、三度と間隔を詰めて大きくなっていく。席の膝掛けもわずかに震える。
「……何かしら?」
謎の異音に眉をひそめる。様子を伺うより早く、列車が急激に減速を始めた。
ガタン、と重い衝撃が来ると、窓の景色がスローモーションに変わった。乗客の誰かが短く声を上げ、荷物棚からは鞄が転がり落ちる。
非常ブレーキの赤ランプが車内に緊急事態を報せる。
「何よ、なんで止まるの」
車内の照明が、ふっと一段暗くなった。まるで、雲が太陽を隠したかのように思えたが、違う。視界のなかを、ゆっくりと白いものが流れている。
「……え?」
ミナトは思わず窓に顔を寄せる。外の景色が、徐々に白い煙に飲み込まれている。
「海霧にしては濃すぎない?」
網浜の声がかすかに震えた。
その霧は、山肌を滑り落ちるように低く沈み、海面を跳ねるように生まれている。一面が濁ってくる。まるで、この場所そのものが呼吸をして吐き出しているかのような異常な密度。微粒な濃い霧は体に吸い付いてくるようにも感じた。
そして、静けさを破ったのは、不気味なアナウンスだった。
ーー乗客の皆さまにお知らせします。当列車は、特別規約により、緊急停止措置を実施しました。
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