第12話 祇園町事件⑧
「えーっと、佐藤です。管理局で働いています」
「えへへ、知ってますよ。私、実はずっと気になってたんです。先輩のこと」
「え?」
「だって、諫花先輩とよくお仕事されていたので」
「ああ、そうか。そうか。諫花さんは人気だね。僕は感謝しないといけないね」
「え、もしかして、いじけました?」
紹介された総務局の斎藤さんは、想像していたよりも軽そうなひとだった。軽いというか、キャピキャピしている。正直に言うと、センターラインを平気で越えて追突してくるような距離感の女性は苦手だ。僕は斎藤さんと付き合うことはありえないと思った。もしかすると、最初から斎藤さんのことは"ありえない"と思うことにしようと決めていたのかもしれないけど……
容姿についてはあんまり言いたくないけど、可愛らしい人だった。茶髪にロールがかかっていて顔が小さい。目は垂れ目がちで右目の目尻の下には小さなホクロがある、唇は口角が少し上がっている。諫花さんを綺麗というなら、斎藤さんは可愛いという形容が似合う。
「冗談ですよ!怒らないでください!」
少し見惚れていて怒ったと勘違いさせてしまったようだった。雰囲気として自然と見惚れてしまうような動物的な可愛らしさがある。
「いやいや、怒ってないよ。それより、この店は?」
「ここは父の行きつけのお店なんです。小さい頃からここに連れてこられていて」
「へぇー、高そうなお店なのにすごいね。あんまり高くされると奢れないんだけど......」
「奢りだなんて、大丈夫ですよ。先輩とこの店に来れただけで私は十分です!」
「そういわれると嬉しいな」
斎藤さんのトップスピードの配球に僕がいなすのに精一杯だった。魔性の女という存在がいるが、斎藤さんももれなくその類じゃないのか。節々に脈ありかのように思わせぶりな言動をする。恋愛経験の少ない男なら骨抜きだろうし、わかっていて騙されるのも悪くないと思えるくらいだった。僕が斎藤さんの罠にハマりかけるのを助けてくれるかのように店員が料理を運んできた。
「お待たせしました。ボロネーゼとシーフードジェノベーゼです」
「ジェノベーゼ好きなの?」
「はい!パスタのなかでは1番好きです。先輩は?」
「正直にいうと苦手かも。味と匂い?」
「うーん、味と匂いが苦手だったら、食べられませんね」
「うん。でも、そもそも僕はあんまりこういうイタリアンレストランとか来ないから縁がないかも。いつもはさ、家でパスタを茹でて、にんにくと鷹の爪、マーガリン、黒胡椒、ウインナーと炒めて、ケチャップで味付けして食べてるんだよね。ケチャップペペロンチーノって言えばいいのかな」
「なんか美味しそうです!!いつもは家で料理されるんですか?」
「男飯だけど料理はするよ。だって一人暮らしだし、安月給だし。外食はもちろん、中食だって高いしさ。生活費を抑えるためにもやってんの」
「へえーすごいです。私、結婚するなら料理ができる男性がいいんです」
「すごいとかじゃなくて、生きるためにやってるんだけどね……。もしかして斎藤さんは料理とかしない系?」
「うーん、勉強中?」
斎藤さんは少し照れた顔をしながら、僕にそういった。
「実は料理にはずっと興味があったんですけど、母親が包丁を持たせてくれなくて。それで一人暮らしを始めてから、料理を始めたんです」
「温室女子で料理経験ゼロか。料理も大変でしょ。危険物とか生み出してない?」
「生み出しまくりですよ。焦がしたりとか。だから佐藤さんと結婚したら、佐藤さんが料理担当です!!」
「そっか、そっか。でも気をつけなきゃダメだよ。斎藤さんと一緒に暮らせるなら、料理くらい安いもんだと思うけどな」
「……」
僕も笑いながら、斎藤さんのように思わせぶりな返答をした。ある種にいたずら心で、斎藤さんを困らせたくなったのだ。しかし、僕の想定を遥かに超えて、斎藤さんは顔を赤らめて、黙り込んで俯いてしまった。攻撃力は高いけど、防御は弱いパターンだったか。
それからは斎藤さんとの会話は続かず、黙々とパスタを頬張るだけで、静かにこのお見合いはおわった。
──────────────
「どうだった?それで!!」
先輩は期待した顔で尋ねてきた。
「先輩、ロクでもない女を紹介しないでくださいよ」
「なにが?悪くないでしょ。かわいいしさ」
「最初から乗せようとする気満々でしたよ。魔性の女ですよ!魔性の!」
「かわいい女に誑かされるのも乙なもんでしょ。だいたい女経験がないくせに、一丁前に抜かしやがって」
先輩はそういって、僕のこめかみを人差し指の第二関節で攻撃してきた。
「痛い、痛い!コメカミグリグリはやめてください!痛いんですよ。無骨な手が!」
「でも、佐藤もバカだな。あんなかわいい子と付き合えるってのに、どうして?好きな子でもいんのかよ」
「いやいやいや、いませんよ。なんというか、ああいうタイプって平気で騙すじゃないですか。あざとい系?」
「騙すって人聞きの悪いこと言ってやるなよ。というか、お前って、まさか諫花派なの?」
先輩は"気づいてしまった!"というような顔をして、どこか面白そうにしている。僕が諫花派であるという噂が漏れるのは防ぎたい。僕は平然を装いながら否定した。あくまでもどちらかといえばという攻めの姿勢を見せながら。
「そんなわけじゃないですけど。まあ斎藤さんと諫花さんだったら、迷わず諫花さんですけどね」
「なんでまた諫花を選ぶかねぇー。だいたいあんな優秀すぎる女と釣り合う男なんていないでしょ。惨めなだけだよ。それよりは斎藤さんみたいなちょっと馬鹿な子におだてられるほうがいいけどな」
「そうですかね。逆に惨めじゃないですか。それよりは諫花さんみたいな人の近くで頑張りたいですけどね」
「ふーん、まあ、そりゃあいいんだけどさ。そういえば、諫花はとうとうパトロンを決めたらしいな」
『え!?』
知らなかった。諫花さんがもうパトロンを決めたなんて。この世界ではパトロン選びこそが出世を左右する。いかに幹部衆からの支持を得るかが重要となる。同世代は30代というキャリアアップを前に、パトロン探しに奔走している。もちろん、僕だって例外じゃない。副局長になるには幹部の誰かによる後押しが必須だろうし、さらにその上を目指すとなれば言うまでもない。
「知らないのか。大当たりだよ。氷男だってさ」
"氷男"とは冷静沈着で、尻尾を頑なに振ろうとしない一匹狼の様子から付けられた別所明のあだ名である。別所さんは国際捜査局で局長をしている。能力的にも、人気的にも次期総監としての期待も高い。石川次長が体制派だとするなら、別所さんは反体制派。次の総監がどちらかになるかによって、時代が変わる。つまりどちら側についておくかで、ポストが決まるというわけである。
「氷男、別所明……。でも次の総監になれるとは思いませんけどね」
「そうかぁ?石川次長を心の底から支持しているやつなんていねぇだろ。この俺たちだって嫌ってんだから」
「だって、もう
「革命だよ、革命。何かが起きる予感がするんだ」
先輩は不適切な言葉を発して、不敵な笑みを浮かべた。まるで、何かが起ころうとすることを知っているみたいに。
「とはいえよ。お前はそもそもパトロンいねぇじゃねぇかよ。せめて石川派か別所派のどちらかについとけよ。俺みたいなC官に将来はねぇけどよ、お前はA官なんだから嘘でも選んどけ。たとえ他方が政権を取ったとしても、優秀な者は見捨てはしねぇだろうからな」
「ありがとうございます。僕が総監になったら、先輩もいいポストにつかせてあげますよ」
大口の冗談の裏には不安があった。というのも、遠藤さんは「政局争いには興味がない」といって断られたし、石川次長には「君の後ろ盾をするメリットは?君がどんな仕事をしようが構わないが、僕の経歴を汚すような頼み事はやめてくれ」と厳しく言われたばかりだからだ。直属の上司である後島局長には政治力がない。ゆえにパトロンとして期待できない。誰を後ろ盾に選ぶかが今後の出世を決めるだなんて、こんな怖いあみだくじを誰が作ったんだ。
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