最後のワルツを

山田ねむり

最後のワルツを

「姫様、次のワルツを僕と一緒に踊って頂けますか?」


 宮殿いっぱいに広がる花の香り、ガラスで出来た天井から降り注ぐ月光。そのどれもが姫様に向けられた祝いのものだ。


 これが誕生日パーティーならどれだけ良かったか。

 残念ながらそんな優しいものじゃない。今宵行われているのは、姫様が敵国だった王子に嫁ぐ祝いのパーティー。言わば生け贄を送る前祝いだ。


 一国の王女が政治の道具に使われるなんて、今に始まった事ではない。姫が蝶よ花よと育てられるのはこの時の為だと人は言う。


 それでも、僕は許せなかった。

 だって姫様は、この国の為に毎日祈りを捧げ、戦争に疲弊する国民を励まし続けた聡く、美しい女性なのだ。豪華な宮殿に居ても質素な生活をし、少しでも国の為にと金を回してきた女性の末路がこれだなんて。


 別れを告げられるだけマシだと言う者もいるが、僕はこんな酷な祝いの会はないと思う。皆が建前上、姫様に向かって「おめでとう。幸せになって下さい」と口にする。それを姫様は笑って「ありがとう」を返すのだ。


 敵国だったとは言え、因縁は少なからずある国にたった一人嫁ぐ姫様に向かって。自分じゃなくて本当に良かったって顔をして、貼り付けた笑みを姫様に敵国へ贈る。


 心底反吐が出る。

 僕には大広間に飾られる数多の花は姫様を繋ぐ枷に、ガラス張りの空からは月が姫様を監視しているようにしか見えない。逃げる事は許さない、と言っているようで気味が悪い。


 姫様に贈られる全てがこの国の為に責務を果たせ、そう言っているように思えて胸が苦しい。それに腹が立って仕方がないんだ。

 

 でも、僕に王が決めた婚約を覆せるほどの力はない。悔しくて、どうにかなってしまいそうなくせに、何も出来ない自分にただ、絶望するしかない。それが一番腹が立つ。

 僕には涙を流す資格すらなく、周りと同じ笑みを姫様に贈ることしか許されない。


 僕はただ、姫様にはこの国で幸せになって欲しかった。


 僕の隣でなんて贅沢は言わない。姫様を大事にしてくれるなら、誰だって良いんだ。彼女が愛したこの国で、彼女が愛されている姿を眺めていたかった。そんなささやかな夢すら、現実は簡単に打ち砕く。


「喜んで踊らせて頂きます。」


 桜のように儚い声と手のひらに乗せられた指が僕を今宵に引き戻す。これが姫様との最後のダンスになる。そして、宰相の息子として姫様と幼馴染み同然に育ってきた僕が姫様と気軽に呼べる最後の瞬間でもあった。


 宮殿に演奏が鳴り響く。

 姫様の白く細い腕は細僕の肩へ。自然と僕も姫様の腰に腕を回す。そして踊るんだ。


 ガラスの靴が軽快に床を叩く。ふわりと舞うドレス。広がる花の香りより甘い一輪の華の姿をした姫様は、月光に照らされて大輪の薔薇となり、大広間の中心で花開いた。まるで、今だけは私が主役だと主張するかのように。


 僕の揺らぐ心を見透かすように、姫様は昔と変わらない微笑みを浮かべた。貴方も笑いなさい、最後まで責務を果たせ。そう言わんばかりの強い瞳で。


 彼女は紛れもなく、最後までこの国の王女だった。


 僕は無性に苦しくなる。

 なんで貴方はいつもそうなんだ。

 もっと弱い音を吐いて欲しかった。

 苦しい時は涙を見せて欲しかった。

 僕を、頼って欲しかった。


 貴方はいつも僕なんて眼中にもなくて、軽い足取りで前に進んでいく。まるでこのワルツみたいに。三拍子のリズムに合わせて華麗に優雅に、そして艶やかに。その先の未来は明るいと信じてやまない。そんな足取りで歩いて行ってしまう。


 でも、姫様だって気がついているんだろう?


 貴方が行く道は裸足で茨道を踏み付けていくようなものだって。足裏は血に染まり、歩いた軌跡に残るのは赤い足跡だけ。腕も顔も傷だらけになって、それでも引き返す事は出来ない。許されない。この先はそんな狂った道だ。


 それでも貴方は、進むのですか?

 行ってしまうのですか?


 たった一言、行きたくないと言ってくだされば僕は……。


「ねぇ、ホープ。」


 不意に呼ばれた自身の名前。

 眼前の姫様は少し顔を崩した。いつもは王女として微笑むだけの彼女が、珍しく十六歳の娘の顔をしていた。


「こうして踊っていると、まるでこの世界には私と貴方の二人しか居ないみたいね。」


 肩から伝わる感触、腰から伝わる熱、絡めまる指と指。目の前に広がる貴方は、美しいスカイブルーの瞳に金糸の様に細く柔らかな髪を揺らす。


 音楽の代わりに鼓動が三拍子を打ち、雑音は声に掻き消される。ワルツは曲の構成上、特に女性は他のダンスより大きく回り目紛しく景色が変わる。目の悪い僕も動く景色の中でしっかりと捉えられるのは目の前の姫様だけ。


 そう思えば、このワルツを踊っている間だけはたった二人の世界にいるように思えてくる。


「なんてね、冗談よ。貴方があまりにも暗い顔をするから。」


 ごめんなさいねと、無邪気に笑う姫様は年相応の娘に見えた。

 

 時々、僕はこんな事を思う。

 もしも平民に産まれていれば、もしも産まれてくる年代が違えば、僕たちは……。なんて、貴方と同じ面白い冗談を、考えてしまう。


 僕たちはずっと同じ方向にクルクルと回りながら進んでいる。決して交わる事はなく、手が届くこともない。


 僕のこの想いを口には出来ないと同じ。ならばせめて、この時間だけは笑おう。彼女がそうしてくれというのなら、一粒の後悔も残らないように。


 今このワルツが終わるまでは、国を想い他国に嫁ぐ姫と宰相の七光りと呼ばれるだけの息子ではなく、十六歳のただの娘と青年でいたい。


 神よ、そのぐらいの夢を見せてくれ。

 僕は顔も見たことがない神に初めて祈り、姫様に笑みを贈った。


「ホープ、楽しいわね。」


 大輪の薔薇が揺れ、一枚の花弁が離れて空を舞うように。ひらりと浮いて、ふわりと空気に乗る。そのぐらい軽い夢の中、僕たちは周りに聞こえないの小声で過去を口ずさんだ。


 姫様が水溜りで足を滑らせて転んだこと。僕が意地を張って登った木から降りられなくなったこと。一緒にダンスのレッスンを受けたこと。

 

 あの日もワルツを踊っていた。今よりもっと無邪気に、何者でもなかった二人だけの世界で。僕が姫様を好きになった日を鼻歌みたいに囀った。


 このまま時間が止まってしまったらいいのに。

 甘く脆い鳥籠に閉じ込めるみたいに。そうすればずっと貴方と触れ合える。こうやって近くで僕だけを映し笑っていて欲しかった。


 熱い想いとは裏腹に、舞い上がった花弁はくるりと弧を描き終わればあとは落ちて行くだけ。この楽しい時間も終わってしまう。


 曲が止まれば目覚めの合図。

 ひとときの夢が泡沫に消えていくみたいに、肩からするりと抜け落ちる小さな腕の重み。コルセットで締め上げた細い腰が少し離れて、手のひらにあった熱は冷めていく。絡めていた指先が最後、ちょこんと触れ合って離れた。


「ホープ、ありがとう。良い時間でした。」

 

 離れた二人の間を一枚の空気が隔ててしまう。そうなればもう、姫と宰相の愚息が二人、いるだけ。


「こちらこそ、素敵な時間をありがとうございました。」


 最後は儀式的にこの国の去る姫に向けて「お元気で」とさようならを交わし、会釈をしたまま彼女が歩き去るのを待った。ガラスの靴がくるりと背を向ければ、コツンと音を立てる。ゆっくりと確実に遠くなるその音に、涙を殺して。


「姫様。どうか、幸せになってください。」


 僕は彼女の背に小さく投げかけた。

 返事なんて期待していなかったのに、ガラスの靴の音がピタリと止み、右足だけがこちらを向いた。


「もちろんよ。」


 その言葉と無邪気な笑みを一つ残し、姫様はこの国を去って行った。


 

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最後のワルツを 山田ねむり @nemuri-yamada

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