第20話
シンデレラは部屋に入ると、すぐにカーテンを閉め、明かりをつけた。
小さな部屋が、電球の黄色い光でふわりと満たされる。
山田王子は、まだ帰っていない。
たぶん今日も、外で食事を済ませてくるのだろう――そう思い、自分だけの簡単な夕食を準備することにした。
冷蔵庫を開け、前日に刻んでおいた野菜を取り出し、野菜炒めの準備を始める。豚バラ肉も丁度よく半パック残っていた。
一緒に暮らし始めた頃は、王子が毎日店まで迎えに来てくれた。
けれど最近は、会合や仕事で帰りが不規則になり、時には会合がひどく長引き、深夜に帰って来ることもあった。
今日の電話では「それほど遅くはならない」と言っていた。だが、会合の状況ではそれも分からないだろう……
シンデレラは手早く食事を済ませて、お風呂にでもゆっくり浸かろうと考え、料理の手を早める。
その時、ガチャリとドアの開く音がした。
シンデレラは思わず手を止め、ドアの方を振り向くと、赤らんだ顔の山田王子が玄関に入ってきた。
「お帰りなさい、王子」
シンデレラはタオルで手を拭き、小走りで駆け寄る。
王子は靴を脱ごうとしているが、体がふらつき手間取っている。
「おう……帰ったぞ。くそ、靴が……」
王子は靴を足から引き剥がし、それを狭い玄関にまき散らして部屋に入っていった。
シンデレラは慌てて靴を揃えようとしたが、王子はもう部屋の奥に入っていく。
ベッドに体を投げ出し、すぐに寝息を立てそうな様子だ。
シンデレラはすぐに王子の後を追い、ベッドの横に腰を下ろし、声を掛けた。
「王子、今日は会合が長引いたんですね。
どうですか、王国を取り戻す準備は進んでいますか?」
「ああ……王国だ? うるさい奴だな」
山田王子は薄目を開けて面倒くさそうにそう言うだけで、また目を閉じてしまった。
それでもシンデレラは、王子たちが秘密裏に行っているという会合の内容が気になって仕方がなかった。
「あの……私でお手伝いできることがあれば、何でも言ってください。作戦がうまくいって、もう一度お城で過ごせるようになったら……きっと夢のようです。頑張ってくださいね、山田王子」
その言葉を聞いた瞬間、王子の体がぴくりと動いた。
ゆっくりと上体を起こし、真っ赤になった顔をシンデレラに向ける。
「だから、お前はうるさいんだよ。王国なんて嘘に決まってるだろう、馬鹿じゃねえのか!」
王子は突然声を荒げ始め、シンデレラの顔を平手で打った。
シンデレラは「キャ」と小さな悲鳴をあげ、その場に崩れた。
「王子…、何をなさるんですか?」
打たれた左頬を手で押さえながらシンデレラは言った。その声は恐怖で震えていた。
山田王子は顔をさらに赤くし、シンデレラを睨みつけた。
「ほんとに面倒くさい野郎だな。俺のどこが王子なんだよ。秘密の会合なんて嘘に決まっているだろうが!今日もパチンコに負けて、むしゃくしゃして酒飲んできたんだよ!」
山田王子は怒鳴ると同時に、手で押さえているシンデレラの左頬をもう一度殴った。
シンデレラは鋭い悲鳴を上げた。体は後ろに吹き飛ばされ、床に肘を強く打ちつけた。
その瞬間、頬と肘の痛みと恐怖感が混ざり合い、意識が朦朧とし始めた。
そして、そのぼんやりとした意識の中で口の中に血の味がするのを感じていた。
川島と銭形、そして一文字の三人は、アパートの2階の奥の部屋へと急いだ。
三人が話をしている間に、カエル男が帰って来たのだろう。話に集中してしまっていたせいで、人が通る気配や物音などには全く気付かなかった。
真っ先に着いた銭形は乱暴にドアを開けて部屋の中に消えて行き、そのすぐ後に一文字も続いた。
川島がドアを開け部屋の中を覗き込むと、銭形と一文字が土足で部屋に上がり込んでいた。そしてすぐに、その二人の後ろ姿の向こうから怒鳴り声が聞こえてきた。
「お、お前ら、何なんだ?!土足で入ってきやがって!」
男の声には、怒りと共にかなりの動揺が含まれているのがわかる。
「不二子、大丈夫か?」という銭形の言葉を聞いて、川島も土足で部屋の中に駆け込む。
銭形と一文字の間からは、顔も目も真っ赤になったカエル男がベッドの上から三人を見下ろしているのが見える。
川島がそのベッドの脇に目を移すとそこには不二子が倒れていた。
「不二子さん!」と、川島は前の二人をかき分けて倒れている不二子の元に駆け寄ろうとしたが、その瞬間、カエル男がベッドから飛び降りてきた。
川島はその勢いに気圧されて、ひるんで引き下がってしまった。
一文字が川島の肩を掴み少し前に出た。
「カエル男、俺が相手だ!」と、一文字は戦いの構えをとった。
「誰が、カエル男だー!」
そう言いながら、激高したカエル男が一文字に殴り掛かったが、上半身を上下左右にしなやかに揺らし、大振りの4、5発のパンチを全てかわしてしまった。
銭形が「ほお。」と、小さく感嘆の声をあげた。
さらに怒り狂ったカエル男は体当たり気味に一文字を捕まえようとしたが、その突進を軽く左にかわした。一連の動きはあまりにも素早く、目の前で起こっているにもかかわらず、川島の目では完全には追いきれなかった。
一文字にかわされ目標を失ったカエル男の体は、慣性によってそのまま突進を続け川島と銭形の方に向かって来た。
さっと川島を脇に寄せ、銭形は目の前に現れた敵の動きに合わせて右ストレートを軽く振った。その拳は的確に相手の顎をとらえた。カエル男は川島の方に崩れるように倒れ、それを何とか受け止めた川島の腕の中でのびてしまった。
「お前、そんなの放っておいて不二子を見てやれよ。」と、何事も無かったかのように銭形が言った。
そうだ、不二子さんだ。川島はドサッとカエル男をその場に転がして、不二子の元に急いだ。
不二子は顔を伏せ、声を殺して泣いていた。
「大丈夫ですか?」
川島は倒れている不二子のそばに膝をつき、恐る恐る声を掛けたが、それ以上何を言ったらよいか分からず不二子の反応をじっと待つしかできなかった。
「不二子、頭は打っていないか?」と、後ろから銭形の穏やかな声が聞こえてきた。
ようやく不二子はその声に反応して、「大丈夫です。」と、弱弱しく応え、ゆっくりと上体を起こした。
不二子の顔は、血の気が無く青白かったが、左ほほだけが赤く染まっていた。よく見ると、唇の端が切れていてそこから赤い血が滲んでいる。それは今できた傷というより、元々あった傷口が開いてしまったように見える。
「どこか痛むところはあるかい?」と、一文字も近づいてくる。
不二子は涙を拭き、「少し肘が…」と言いながら肘をさすったが、「でも、大丈夫です。」と、すぐに付け加えた。
「不二子、こんなろくでもない男と一緒にいるんじゃない。」と、銭形が後ろの方から再び優しく諭す。
その言葉に不二子はのびているカエル男に目を向け、「王子様…」とつぶやいた。
「こんな奴のどこが王子様なんだ、不二子?」と、銭形が続けるも、カエル男の事が気に掛かるようで、不二子は「でも…」と下を向く。
一体、カエル男のような暴力男のどこに惹かれ一緒にいるのだろう?川島には女性の気持ちはよく分からなかったが、こんな最低な人間を拠り所にするなんて人として確実に間違っている。川島は、うつむいている不二子を見ながらそう強く思った。
「不二子さん、この世に、女性に手を上げる王子様なんていないですよ。あなたは、いつもあなたのことを笑顔にしてくれる人と一緒にいるべきです。女性を平気で泣かせるなんて最低な人間のやることだと僕は思います。」
川島は、なんとかその思いが通じてほしいと願いながら話した。
すると、不二子は顔を上げ川島の方を向き、コクッと小さくうなずいた。
「不二子、ここはお前の部屋か?」
川島の後ろから銭形が聞いた。
「いいえ、違います。」
不二子が川島の肩越しに向かって静かに答える。
「それなら、とっととこんな所を出た方がいい。」
銭形の言葉に川島も一文字もうなずく。
不二子が立ち上がろうとしたので、川島は手を貸して支えた。
より近くで見ると、不二子の唇の腫れがさらに痛々しかった。
「ここにはほとんど何もないので、すぐに出られます。自分の部屋に戻ります。」
不二子はしっかりとした眼差しで三人を見回した。
川島はできるだけ暗くならないように、「それじゃあ、行きましょう。」と、率先して動き始めた。
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