第18話
「次元、ちゃんと地味な服装に着替えてきたな」
銭形は腕を組み、川島の全身を頭のてっぺんからつま先までじろりと見た。
「一応、不二子さんに気づかれないようにしないと……。やってることが、ストーカーまがいですからね」
「馬鹿なことを言うな!」
銭形は鼻を鳴らし、声を張った。
「俺たちは不二子を助けてやるんだ。ストーカーなんかと一緒にされちゃ困る」
「そ、そうですね…」
川島は小さくうなずきながら、どこか落ち着かない気分に包まれていた。もしかしたら、少しだけ怖さを感じ始めていたのかもしれない。
ここまで来ておいて自分で何をしたいのか整理できていなかったし、銭形という不確定要素も川島を十分に不安にさせていた。
その怖さを紛らわせようと、川島は無理に口を開いた。
「銭形さんは、夕飯は何を食べたんですか?」
「俺か? 俺はいつもカップラーメンだ。『岡谷』で調達する、1個88円のやつな」
「銭形さんも『岡谷』によく行くんですか?」
「ああ、しょっちゅう行くぞ。あそこは何でも安いからな。」
「僕もよく行ってますよ。今まで知らないうちに、けっこう近くにいたんですね」
「ん……ああ、そうかもな。」
二人は、意外にも同じ生活圏の中で、同じような日々を過ごしていた。
不思議なもので、それが分かると、銭形という男がより一層身近な存在に感じられてくる。
「サフラン」に着くまでの道すがら、二人は久しぶりに再会した友人同士のように、他愛のない話を交わしながら歩いた。
道路沿いの街灯が少しずつ灯り始め、アスファルトに落ちた二人の影が、並んで長く伸びていた。
銭形との話で、先ほどまで感じていた怖さをすっかり忘れていた川島だったが、遠くに「サフラン」の看板がぼんやりと浮かび上がるのを見た瞬間、再び喉の奥あたりがそわそわと落ち着かなくなった。
銭形はいつの間にか神妙な顔つきに変わっていた。
「ここらで、不二子が出てくるのを待つぞ」
そう言って、川島を制した。
銭形は左腕の時計をちらりと見た。
川島が横目でのぞくと、白いGショックの針は8時5分を指していた。
二人は店から少し離れた電柱の陰に身を潜め、「サフラン」の入り口をじっと見つめた。
銭形はまるで石像のように動かず、目だけを鋭く光らせている。
一方、川島はどうにも落ち着かず、「サフラン」と自分のスニーカーを交互に眺めていた。そして、しばらくするとその口からは少しずつ静かなため息が漏れ始めた。
不二子を待ち始めて20分ほどが過ぎた。
ちらりと横目で銭形をうかがうと、彼は変わらぬ姿勢のまま、まるで何かの気配を感じ取ろうとしているように、店の奥をじっとにらみ続けていた。
銭形はこの状況に、何ひとつストレスを感じていないのだろうか?
川島はそんなことを、ため息まじりに考えていた。
その瞬間——店内の灯りがふっと消えた。
続いて、ドアの鈴が小さく鳴り、不二子が姿を現した。
それを見た瞬間、川島の鼓動は一気に跳ね上がった。
胸の奥が熱くなり、呼吸が浅くなる。
「行くぞ」
銭形が低く耳打ちした。
川島は絡まりそうな足を必死に動かし、銭形の後に続いた。
不二子はドアに鍵をかけると、二人が潜んでいた方とは反対の方向へ、足早に歩き出した。
川島と銭形は一定の距離を保ちながら、夜のアスファルトをきしませぬよう、音を殺して後を追った。
今日の喫茶店は、いつもと変わらない一日だった。
客の数もそこそこで、それほど忙しくもない。
最後のお客が8時少し前に帰り、店主のおばあさんも、いつものように8時ちょうどで店を離れた。
その後、シンデレラはキッチンの片づけと、明日の料理の下ごしらえを始めた。
仕事を前倒しで行うと、明日の朝やることがなくなってしまう――そう分かっていても、昔から彼女は“何もしない時間”に耐えられない性分だった。
特にこの町に来てからというもの、一人きりで静まり返った店に立っていると、不安というより“取り残されている”ような心細さを覚えることがあった。
だから今夜も、シンデレラは目につく仕事を片っ端から片づけていった。
気づけば、掛け時計の針は8時25分を指していた。
正確には閉店は8時半――けれど、もういいだろう。
彼女はふっと息をつき、裏口や窓の鍵を確かめ、すべての灯りを消してから、静かに店のドアを閉めた。
今夜は山田王子が迎えに来られない。
昼過ぎに電話があり、「秘密の会合が長引きそうだ」とのことだった。
この町では、これまで危険を感じたことは一度もない。
それでも、一人で帰る夜だけは、なぜだか早足になってしまう。
冷たい夜風を受けながら、シンデレラは十数分の道のりを歩いた。
王子と暮らしているアパートにたどり着き、階段を上がりながらふと上を見上げる――窓のカーテンの向こうは、暗いままだった。
山田王子は、まだ会合中らしい。
シンデレラは鍵を取り出し、素早くドアを開けると、ほっと息をつきながら部屋の中へと入っていった。
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