呪術師殺しの殺人鬼 第一章

黒月ミカド

第1話

 夏の夕方。

 血の海となったフローリングに男の死体が転がっていた。

 仰向けの状態で倒れていたその遺体は全身のほとんどが肉を喰い千切られている。

 死後それほど経っていないが肉を喰われているせいでほぼ白骨化していた。胸から上は辛うじて原型をとどめている。だが、それでも夏ということもあって腐敗が進んでおり、死体近くにある窓から差し込む強い日差しがそれを物語っていた。

 凄惨な遺体に蝿の群れがたかり、腐臭と血の臭いがマンションの室内に充満していた。

 遺体の検分をしていた二人の刑事が顔をしかめた。

 「神谷。こりゃひでえ状態だな」

 そう言ったのは二人のうちの一人である中年の男の刑事だった。

「そうですね。西田さん。とても人間にできる犯行とは思えません」

 そう返事したのは神谷と呼ばれた精悍な顔つきをした若い男の刑事だ。

 二人がそう言ったのは無理もない話である。鑑識によると遺体の全身に犬の噛み傷が何十箇所もあり、死因は頸動脈を喰い破られことによる出血死ということでほぼ間違いないらしい。これはとても普通の人間の死に方ではなかった。

 「犬による被害ということだが……野犬はまず違うよな?」

 「ええ。ここは6階でしかもオートロックですから。そもそもペットは禁止されています。仮に犬がいたとしてもたった一頭だけでこんなことができるとは思えません」

 「そうだよな。じゃあ、犬はどうやってこの部屋に入ってきやがったんだ?」

 「これは骨が折れそうな事件ですね……とりあえず俺はキッチンにいる鑑識に進捗状況を訊いてみます」

 「おう。分かった」

 肥満気味の西田は首元から滝のように流れる汗をハンドタオルで拭いながら返事した。

 神谷は事件現場のリビングから歩き出し、キッチンの床で作業を続けている鑑識の一人に声をかけた。

「何か新たに見つかったかい?」

「はい。見つかりはしましたが……それが妙なんですよ」

 鑑識の捜査員は手を止め、神谷の顔を見るなり首を傾げながら答えた。

「妙というのは?」

「遺体には犬の歯形がくっきりと残っているのですが……この部屋には犬がいた痕跡が一つも残っていないんですよ」

 この捜査員の話によれば犬の唾液どころか毛髪一本も発見できないという。

 もはや怪奇としか呼びようがない事態になりつつある。

「教えてくれてありがとう。作業を続けてくれ」

「お役に立てず申し訳ない」

 鑑識の捜査員は視線をキッチンの床に移して再び作業を再開した。

 

 16時過ぎ。

 事件現場での検分を済ませた神谷と西田は車で警視庁本部に移動中であった。

 神谷が車の運転をしている。

 西田は助手席で窓から差し込んでくる夕日を顔に受けながら煙草の紫煙をふかしていた。よほどに眩しいのか、助手席側のフロントガラスに取り付けられたバイザーを下げた。

 西田は煙草の吸殻を車内の灰皿に押し込むと、グローブボックスから捜査資料を取り出して読み返し始めた。 

 「今回の事件も例の事件と状況が同じだな」

 西田は捜査資料を眺めながら言った。

 例の事件というのはこの夏に入って以来、都内で立て続けに起こっている連続怪死事件である。

 今回で五件目となった。

 一件目は新宿駅のホームで起こった。

 半年前の午前十一時。新宿駅構内。JR中央線ホーム 。

 ホームに立っていた男性が悲鳴を上げてその場に尻餅をついた。

 突然、その男性の服が肉食獣にでも襲われたように引き裂かれていく。謎の痛みに耐えきれずに叫び続ける男性の全身はみるみるうちに噛み傷が現れて血まみれとなった。

 透明な何かの群れに腹を食い破られ、内臓が飛び出して辺りは血の海。

 駅ホームは騒然となっていた。その場に駆けつけた駅員、付近にいた人間も十名近くが同様の怪死を遂げた。事件現場はそこらじゅうに肉片と白骨死体が散乱した地獄絵だったという。

 その事件以後は大規模な被害は出ていない。だが、今回と同様に密室のマンションの部屋で犬に喰い殺された遺体が発見されたという怪死事件が他に四件も起きている。四つの事件の共通点は姿と痕跡を見せない犬によって喰い殺されたこと。もう一つは必ず事件現場には謎の血文字が残されており、「事件の何日も前から毎晩、犬の群れの遠吠えが聴こえていた」という証言も近隣住民たちから寄せられているという点であった。

 解析の結果、血文字に用いられた血液の持ち主は松田春実まつだ はるざね

 十六年前。当時二十一歳。

 幼児誘拐殺人事件を引き起こして逮捕されるも心神喪失の理由から減刑となり、医療刑務所に二年の措置入院をすることになった。ところが二年後、突如として医療刑務所から姿を消したのちに行方不明となった。現在も捜索は続いているが未だに発見されていないという。

 警視庁捜査一課は血文字が古いサンスクリット語の「にえ」という意味であったことと、松田の精神異常性を結びつけ、カルト的儀式を行おうとしていたのではないかと推察している。だが、仮に現場にいたことを証明されても松田が被害者の怪死を起こしたと証明できる証拠はない。そもそも科学的に証明できていない怪奇現象であり、そうした経緯から事件は迷宮入りしつつある。

 捜査一課の刑事たちの噂によれば、今回の捜査会議を最後にお蔵入りすることが決定するかもしれないということだ。

 一連の事件を担当していた神谷と西田にとっては歯がゆい思いであった。

「残念だが諦めるしかねえな。まさか科学的に証明できねえ怪事件にまた関わるとは思わなかったぜ」

 西田は車窓を流れる夕方の街の風景を眺めながら言った。

「俺の父親の事件ですね」

「ああ……あれから何年だ?」

「16年になると思います」

 神谷は遠い過去を反芻するように切れ長の目を細めた。

 神谷高志かみや たかし。32歳。

 警察官として8年のキャリアを持つ。優秀な成績で警察学校を卒業し、数々の事件で活躍してきた。正義感が強く、どんな事件でも解決に全力を注ぐ刑事だ。

 16年前、警視庁捜査一課課長だった父・清家孝典せいけ たかのりが変死している。驚くべきことにその死に方というのが今回の事件の被害者と全く同じ状態であった。彼の父親も犬の群れにでも襲われたように体中の肉を喰いちぎられていた。

 第一発見者は当時16歳の神谷であった。

 事件当日、休暇中だった父親は朝から自宅二階の書斎で好きな推理小説を熱心に読みふけっていた。昼になって神谷は母親に「お昼ごはんできたからお父さん呼んで来て」と頼まれたので書斎に向かった。部屋に入ると父親が椅子に座ったまま変わり果てた姿で死んでいたのである。

 事件後、母親は事件のショックから日常生活を送れないほどに精神が壊れ、精神病院に長期入院となった。実質的に養育者を失った神谷は遠縁の親戚にあたる神谷家の養子となる。義理の両親は人柄の良い人達でいろいろと彼の世話をしてくれた。おかげで東大法学部を卒業し、その後は無事に警視庁の採用試験に合格して警察官になることができた。神谷は義理の両親には一生返しきれない恩を感じているのだが、父親があんな状態で死んだ理由を突き止めるまでは安穏として生きることなどできなかった。

 神谷が今回の事件にこだわっている理由は一連の事件と父親が死んだ事件に共通点があったからだ。

 実は父親が死んでいた書斎机の上には差出人不明の封筒が開封された状態で置かれていたのである。中身の便箋は父親の手に握られており、血で汚れていたが辛うじて判別できた内容は「俺を逮捕した警察の責任者であるお前を呪い殺す」であり、手紙の最後に大きな血の文字が記されていた。その血文字の意味は連続怪死事件の現場に残された血文字と同じ「贄」であったのである。過去の捜査資料によれば血文字に用いられた血液も松田春実のものであり、この男こそすべての事件に何らかの形で関わっているのは明らかだった。

 神谷は自分の手でこの男を見つけ出し、相手が持っているすべての情報を引き出して事件解決に役立てたかった。だが、それも今日の会議で捜査打ち切りになれば叶わぬ夢となってしまう。

「今まで捜査してきたのは何だったんでしょう?」

 神谷のハンドルを握っている手の力が強くなる。

「……そうだな」

 西田は心から残念そうな顔でため息をついた。

 西田は神谷の父・清家孝典の同期であり、相棒でもあった刑事である。二人で数々の難事件を解決させてきた。

 清家の怪死事件で最初に駆けつけたのもこの男だった。西田にとってこの最初の怪死事件は初めて味わった挫折であり、戦友の仇をとれない自分が情けなかった。

「まあ、すべては上層部が決定することですから。我々はできることをやるしかないですね」

「……まあ、悔しいがそうなるな」

「そろそろ到着しますよ」

 神谷が真顔に戻ってそう言った時、警視庁本庁舎の建物が見えてきた。


 17時過ぎ。

 警視庁の会議室で連続怪死事件の捜査会議が開かれた。広い空間で奥行きのある会議室。

 部屋の最奥には長いテーブルが置かれていてそこに捜査一課課長と警視庁上層部の人間たちが着席していた。長いテーブルの傍らの壁にはプロジェクタースクリーンが設置されており、事件現場の写真が次々と映し出されていた。プロジェクターの前では進行役が映し出された写真に合わせて捜査状況を説明していた。

 窓という窓をカーテンで閉め切り、すべての照明を落とした会場の雰囲気は焦燥感に満ちていた。

 刑事たちは眉間にしわを寄せながら配布された資料のページをめくっていた。

 被害者たちの死因そのものが怪奇現象であり、何らかの情報を握っているはずの松田春実の行方すら未だに判明していない。

 スクリーンと向き合うように列を組んで配置された十数台もの折りたたみ式テーブルに捜査一課の捜査員たち一同が着席していた。その中には神谷と西田の姿もあった。

 進行役による説明が終わると会議室の照明スイッチがパチッと入り、天井にあるすべての蛍光灯が一気に点いて室内が明るくなった。

 捜査一課課長の川口は硬い表情を浮かべると言いづらそうにゆっくり話し始めた。

「捜査員諸君。君らも知っているだろうがこの怪死事件の捜査はだいぶ難航している。確かにこの事件で多くの一般市民が被害に遭っており、未だに解決の糸口が見出せていない状況は捜査一課として遺憾に思っている。だが、すでにこの事件は他の案件と比べて遥かに常軌を逸脱しており、我々捜査一課では対応しきれていないことは事実だ。そこで警視庁上層部と協議した結果、今後はこの事件の捜査は異能対策班に一任することとする」

 その発言を受けた捜査員たちからどよめきが起こった。だが、会場が騒然となったのも仕方がないことであった。異能対策班は公安第四課に属しており、呪術や怪異など超常現象に関連した事件を主に担当している班である。

 しかし、現代社会は呪いや心霊などの存在を認めていない。常識的に警察が呪いを事件として真剣に扱うなど有り得ないことだ。が、実際は社会の混乱を防ぐために報道規制がかかっているだけで実際に今回のような怪事件は稀に起こっているらしい。そうした時、この班が現場に現れて何らかの対策を施し、世間に事件の話が流れないように隠蔽工作をやっているそうだ。だが、警視庁内の役職についていない捜査員たちは神谷を含め、この班の活動を見たことがない。政府から警察庁を通じて密裏に指示を受けこともあって所在は公にはされておらず、当然ながら警察庁本庁舎の部署を説明するエレベータ案内にも表記されていないので実態は謎に包まれているのだ。

 公安第四課の業務が資料管理であるために「薄暗い資料室の奥に潜む幽霊班」とも警察庁の中では噂されている。だが、変わり果てた父親の姿をこの目で目撃した神谷は怪異を完全に否定できないのではないかと考え続けてきた。

「これをもって連続怪死事件の捜査会議は終了する。なお、異能対策班は人員不足なので捜査一課からも協力してくれる捜査員を募りたいそうだ。その気がある者は後ほど捜査一課課長室まで来てもらいたい。以上だ」

 川口課長の宣言によって連続怪死事件は捜査一課の管轄ではなくなり、同事件の捜査権限は公安第四課・異能対策班に移った。

 刑事たちの多くは事実上のお蔵入りだと考えているようだった。悔しそうに苦い顔をする者、終わりの見えない事件から開放されてほっとしている者、本当に訳の分からない班に事件を預けて良いのかと訝しがる者など意見は様々であった。

 神谷は今後も怪事件の捜査は続けたかったので異能対策班に協力を申し出ることにした。半信半疑の西田には「あまりおかしな連中に深入りしない方がいいぞ」と心配されたりした。

 だが、神谷の意思は固い。彼にとって常軌を逸した怪事件の真相に辿り着けるのならば、それが陰陽師でも公安警察でも何でも良いのである。


 神谷はさっそく捜査一課の課長室を訪れた。

 川口課長は彼から異能対策班への協力希望の旨を告げられて驚いた。

「君は正気かね? 私は確かにあの場で協力者を募ったよ。だが、それは異能対策班から頼まれてしたことで建前に過ぎない。それにこの警視庁の中であんな胡散臭い班に自分から行きたい者などおらんよ。それでも君はあの班の捜査に参加するというのか?」

「もちろんです。父親の怪事件と連続怪死事件に共通点がある以上、息子としても刑事としても見過ごすわけにはいきません」

 川口課長は神谷があまりにも理路整然と言ったので呆気に取られてすぐには何も言えず、しばらく経ってからようやく口を開いた。

「……そうかね。君がそこまで言うなら仕方あるまい。だが、私個人としてはあの班と関わることはお勧めできないな」

 川口課長は珍しく含みのある言い方で私的な意見を言ってきた。

 神谷は普段、歯に衣着せぬ物言いをしている川口課長の姿を知っているだけに驚いて訊き返す。

「それはどういう意味でしょうか?」

「あまりここではっきりとは言えんが……異能対策班に関わるということはこの国の暗部に触れるということと同義だ。君の信じている正義が必ずしも通用するとは思わない方がいい。それに危険な捜査にもなるだろうから充分に気を付けてくれたまえ。私から言えることはそれだけだ」

 川口課長の言葉はどこまでも意味深だったが本心から神谷を心配しているのは明らかだった。

「ご忠告ありがとうございます」

「異能対策班の方には君のことを報告しておくよ。三日後に公安第四課を訪れると良い。そこで班長から詳しい説明があるだろう」

「わかりました」

 神谷は一礼して背をむけると出入口のドアに向かって歩き出した。川口課長は神谷が課長室から退室するまでずっと呆れた顔で彼の背中を見ていた。


 三日後の朝。

 神谷はいつもより早めに警視庁本庁舎に出勤した。16階の捜査一課を訪れて自分のデスクで怪死事件の捜査資料を整理して段ボール箱に詰め込んだ後、それを抱えたままエレベーターを使って十六階の公安部に向かった。

 十六階フロアは廊下の壁に沿って公安第一課、公安第二課、公安第三課という順で主要な課のオフィスが並んでいた。

 神谷は第四課を探しながら歩いたが付近には見当たらない。

「もっと奥の方にあるのか?」

 神谷は独り言ちながら廊下を歩いていると三、四人の公安職員とすれ違った。すれ違いざまに一瞬だが彼らは警戒するような目つきで神谷を睨んだ。その眼には不信感と敵対心が含まれているように見えた。

 警察の世界は縦社会であり、その縄張り意識の強い枠組みの中では各部門や派閥間の対立というものがある。子供の喧嘩ではないので誰が悪いとかそう言う問題ではないのだが、捜査一課と公安ではそもそも役割が異なっており、性質の違う者同士でわだかまりが生じてしまうのは仕方がないことだ。捜査一課と公安が合同で捜査するという状況は国家に危機を及ぼしかねない大規模なテロ事件が起こった時ぐらいなものであり、よほどのことがない限りは同じ現場に居合わせることはない。そうした背景を考えると彼らの反応は自然なことなのだろう。

 神谷は公安職員たちから鋭い視線を受けても気にせずに会釈してやり過ごした。

 しばらく歩いていると廊下の突き当りに部屋が見えてきた。入口ドアの隣の壁に標識があって「公安第四課」と書かれていた。

「ここか?」

 神谷は一呼吸間おいたあとでドアをノックした。

「どうぞ」と感情のない返事が返ってきた。

 神谷はドアノブを掴んで押し開き、室内に足を踏み入れた。

 部屋の壁際には無数のラックが整然と並んでおり、棚にはそれぞれ年代・事件ごとに整理されたタグ付きのファイルとバインダーが収められていた。

 ドアの近くに事務机が一つあり、その傍らに黒縁の眼鏡をかけた男の制服警官が佇んでいた。

 年齢は四十歳ぐらいで神経質そうに顔をこわばらせていた。

「どういったご用件でしょうか?」

「私は捜査一課の神谷高志という者です。本日よりこちらの異能対策班の捜査協力をさせていただくことになっているのですが」

「なるほど。異能対策班はあちらです」

 黒縁眼鏡の制服警官は部屋の一番奥を指さした。

 指刺された先には曇りガラスを嵌めこまれた数枚の衝立で仕切られた場所があった。衝立には「異能対策班」と大雑把に手書きされた張り紙が貼ってある。

 神谷は衝立の一つをずらして奥へと進んだ。衝立の先にある空間は照明のスイッチが落とされていて暗い。衝立を超えてすぐ左手には革張りの黒いソファー、右手には四つの事務机が並べられ、そこから少し離れたところに班長のものと思われる机が置いてあった。だが、どこにも人影は見当たらず、がらんと静まり返っている。

 ――――おや、誰もいない?

 神谷がそう思った瞬間、背後から何者かの手が伸びてきて彼の肩をそっと触れた。

「……っ!」

 驚いて振り返るとそこには制服姿の中年の男が眠そうな顔で立っていた。目元にはくっきりと墨のように黒い隈ができており、低身長で体型も小太りである。その風貌はたぬきにそっくりだった。

「君が捜査一課の神谷君ですね」

「はい。本日からこちらで捜査協力をさせていただくことになった神谷貴志です。よろしくお願いします」

「私が異能対策班の西浦にしうらです。班長を務めています。こちらこそよろしく」

 西浦は口の両端を釣り上げて微笑み、部屋の照明スイッチを入れた。


 

 西浦は班長の席に着くと、班長の机と向き合う形に置かれたパイプ椅子に神谷を座らせた。

「まず、神谷君にはこれからうちの班が実際に何をやっているかの説明を聞いてもらいます。その上で自分には向かないと判断した場合、すぐに申し出て下さい」

「分かりました」

「では……うちの任務について。まず、一つ目の任務。それは監視です」

「監視?」

「はい。一般市民に危険を及ぼす可能性がある異能力者の監視です。呪術師や霊能者等と称し、超常の力を行使する人間のことを我々は異能と呼んでいます。異能と言っても悪い者ばかりではありません。透視能力で失踪者の行方を見つけたり、治癒の力で不治の病に苦しむ病人を助けている異能も数多く存在します。そういった異能はカテゴリーノーマルと指定します。中にはそれを利用して大金を巻き上げている宗教団体もありますが基本、我々はノータッチです。霊感商法の取り締まりは我々の管轄ではありませんからね。異能の中には我々の捜査に協力してくれる者もいます。あくまでうちは人類の脅威となりうる異能を特定し、監視することで事件を未然に防ぐことが第一の使命です」

「なるほど。仰っていることは理解できます」

「それは良かった。ですが……厄介なのは二つ目の任務です」

 西浦班長はそれまで笑顔で淡々と語っていたが二つ目の任務の話になってから深刻な表情を見せた。どこかその目つきには冷酷さが感じられた。

「暗殺の任務です」

「警察が暗殺?」

「驚かれるでしょうが事実です。我々は呪術や祈祷など名称は色々とありますが超常の力で一般市民を殺害した異能をカテゴリーレッドと指定しています。普通の殺人であれば捜査一課にお任せできますが呪いによる殺人は罪になりません。なぜなら社会はオカルトと称する超常現象の存在を認めていないからです。とは言っても人類の敵となった異能を野放しにはできません。異能どもの蛮行を見過ごせば正常な人間社会は崩壊します。そこで政府は秘密裏に異能特別措置法いのうとくべつそちほうという法案を制定しました。国民を混乱させないように報道規制がかかっていますがしっかりと国会で承認されたものです。この法律は異能が一般市民に対して殺傷事件を引き起こした場合、社会の安全を確保するために対象の異能を抹殺することを認めています。ここまでで何か質問はありますか?」

「……あまりにも衝撃的な話ですぐに出てきません」

 と神谷は正直な気持ちを言った。彼からすれば法治国家であるはずの日本が裏では異能力者と言っても一人の人間を暗殺しているという実態はショックだった。だが、超常的な力で何者かに身内を殺された神谷には被害者の遺族の気持ちが理解できたし、一方的に異能対策班の活動を否定する気にもなれなかった。

「現在の政府が異能の殺害を認めていることはわかりましたが、それ以前はどうだったのでしょうか?」

「異能特別措置法の前身となる法案はありました。明治新政府が呪者屠殺法という法律を制定しています。さらに以前となると陰陽寮の陰陽師を中心に各地域の神社仏閣の神主や僧侶が悪しき呪術者と戦っていました。日本全国で呪物が数多く作られ、異能者同士の戦いが起こった土地は何が起きるか分からないので忌地と呼んで市井の者の侵入を禁止したそうです。心霊スポットと呼ばれるものはその影響を受けた土地に点在しているようです。まあ、高度成長期の宅地開発で多くの山林が切り崩されていますから忌地との境界も曖昧になったのでしょう。科学の発展と同時に伝承や神話といったものは迷信と決めつけられました。忘れるべき忌まわしい記憶として葬られたわけですが人間の血塗られた歴史から生まれた呪いが消えることはありません。はるか昔に比べれば異能者の数は減ったと言われていますがその血脈は累々と続いており、わずかな能力でも扱える呪法が現存しているために異能であればいつでも人間を呪い殺せるのです。我々はそうした異能と戦わねばなりません。私には十人の部下がいますがいずれも能力は持っていません。なので一人のカテゴリーレッドを始末するだけでも一苦労ですよ。そこで我々が編み出した秘密兵器がこれです」

 西浦は不敵に微笑むと胸ポケットから一発の銃弾を指で摘まんで取り出した。

 それは38口径拳銃用銃弾だった。

 だが、弾の表面は赤黒く汚れて金属特有の光沢は無い。

「これは何ですか?」

 「これは通常の銃弾に特殊加工をほどこした呪禁弾じゅきんだんと呼ばれるものです。具体的に言うと、ある高名なチベットの高僧に異能者の能力を一時的に無力化させる術を付与していただいたのですよ。同様の術を付与した手錠など色々とありますがいずれも大量生産できるものではありません。それに高僧にお支払いするご祈祷代はとんでもない額ですからね・・・・・神谷君もこれらを使用する際は慎重にお願いします」と西浦は苦笑いして銃弾をポケットにしまいこんだ。

 西浦は異能対策班に関する一通りの説明を終えた後、神谷に最初の任務を与えた。

「早速ですが神谷君にやってもらいたい事があります」

「何をすれば良いのでしょう?」

「捜査協力者である異能の方と行動を共にし、相談しながら犯人に関する情報を集めてもらうことになるでしょう。まずは彼女とコンタクトを取ってください」

「彼女? その異能者は女性なんですか?」

「たぶん、君も名前ぐらいは耳にしたことがあるはずです。詳しくはこの捜査協力者ファイルに彼女のプロフィールと連絡先が記載されているので連絡してください。今日はこれで帰って結構ですよ」

 神谷はファイルを受け取って西浦に一礼した後、その場をあとにした。

 

 祇園院歌留多ぎおんいん かるた

 現在、YouTubeで活動中の大人気リアル霊能者Vチューバである。神主の装束に身を包んだ美青年キャラクターとして自らの体験談や霊能者として引き受けたお祓いの話を発信し続けている人物だ。本名や素顔などの個人情報は非公開であり、配信動画においても私生活の話題を避けるなど徹底して秘匿性を貫いている。そのミステリアスな部分に魅力があるらしく、すでにYouTubeの登録者数は50万人をきっているほどの人気者である。

 神谷は怪奇事件に巻き込まれている境遇からオカルトなどは大して興味をそそられるものではないのだが、深夜に放送されているニュース番組でも紹介されているのを目にしたことはあった。

 当時、異能者の存在を知らなかった神谷は心霊体験として語っているものの八割は作り話であり、事実を誇張して人気を得ようという浅ましい人物としか認識していなかった。それがまさか正体は若い女性であり、異能者でもあるとは驚きである。

 捜査協力者ファイルには藤岡直子ふじおか なおこ、都内在住の女性と書かれていた。

 藤岡家は代々、女に異能としての力が発現してきた血筋であり、その能力は透視能力だった。透視能力で未来や過去を視ることができ、様々な事柄を言い当てることも得意であったために古くから時の権力者に重宝されていたようだ。明治時代からは異能の力が途絶えてしまったために直子の祖母、母は一般人として生活してきた。それが先祖返りと呼ぶべきなのか直子に異能の力が遺伝されたらしい。

 

 午後六時、夏の日没時間は遅いために神谷と藤岡がいるファミレスの窓際の席に強い日差しが入り込んでいた。店内は涼をとるついでに立ち寄った客が多いためなのか混雑していた。

 神谷は二日前に藤岡直子とメールでコンタクトを取り、こうして彼女が住んでいる自宅の近所にあるファミレスで話をすることになった。

 だが、神谷は彼女と対面して驚いてしまった。彼は透視能力や霊能者というキーワードから相手を根暗の女だろうと想像していたのだが、実際には都内の某大学に通っている普通の娘だったのだ。

 直子は灰色のサマーセーター、紺色のロングスカートというカジュアルな服装で現れた。目は切れ長であり、鼻筋も通っていて端正な顔立ちをしている。肌は色白。艶がある黒髪のロングヘアが似合っていた。

 神谷は自分の動揺を落ち着かせるために深呼吸してから口を開いた。

 「異能対策班の神谷貴志と申します。今回は班長の指示で捜査協力のお願いに伺いました」

「初めまして。藤岡直子です。神谷さんが思ったよりお若い方でほっとしました。異能対策班の人たちって寡黙だし、怖いぐらい真面目なおじさん多いから緊張するんですよね」と直子は朗らかに笑顔ではっきりと言った。

「そうですか? 藤岡さんから見れば俺だっておじさんですよ」

「神谷さんって面白い方ですね。年下に敬語なんて使う必要はありません。堅苦しいのは苦手なので直子って呼んで下さい」

「まあ・・・・・・確かにそうだね」

 嬉々として無邪気に笑う直子に神谷は反応に困って妙な汗をかいてしまった。

 神谷は気を取り直そうとばかりに咳払いをしてから本題に触れた。

「今回の事件、犯人に関して直子ちゃんはどう思う?」

「そうですねえ」と直子は今までの笑顔から一変して無表情になって目を閉じる。彼女はしばらく瞑想しているように思案したあとで瞼を開いて神谷に私見を語った。

「あくまで仮説ですがあたしは容疑者の松田は犬神使いだと思っています。それに天才的な呪術者でもあります」

「犬神?」

「犬神とは狐憑き、狐持ちとなどと共に西日本で広く分布している獣の憑依霊であり、古くは平安時代から伝わる蟲毒の一種です。飢餓状態の犬の首を打ちおとし、さらにそれを辻道に埋め、人々が頭上を往来することで怨念の増した霊を呪物として使う恐ろしい呪術ですよ」

「そりゃあ、随分と残酷な方法だね。だが、その犬の話はあの犯行現場と一致しているな」

 一連の事件で共通して遺体に残された犬の噛み痕が神谷の脳裏に浮かんだ。現場付近では事件前に犬の遠吠えが聴こえたという証言が多数寄せられているにも関わらず、毛髪や唾液が発見されないという奇怪な状況と犬の亡霊のイメージが合致していた。

 直子の話によれば憑き物使いというのは呪物と化した動物霊を憑依させることで自身を守らせたり、敵対者を襲わせるというのが基本となるらしい。あまりにも強力過ぎて平安時代からはすでに禁止令が発行されていたそうだ。逆に言えばそれだけ相手を確実に呪い殺せる効力があるということであり、呪いに対する対する耐性や防衛手段を持たない一般人を始末するのは容易だろう。蟲毒で使役される憑き物と呼ばれる動物霊は霊的な存在でありながら標的に対して物理的な危害を加えることが可能であり、生きている動物のように体力的な制限が無いためにどこまでも追跡できるという厄介な存在でもある。遺体を喰い破った痕跡がありながらも毛髪や唾液が無いのは霊的存在だという証拠である。

「ただ、あくまで梵字に使われた血液が松田と一致しただけで彼が犬神使いという確証はないんですよね。もう少し情報が欲しいです」

 「そうか・・・・・・ちなみに直子ちゃんの透視能力でどうにかなったりしないかな?」

「透視だって万能じゃないんですよ」

 直子は溜息をついて「やれやれ何も分かっていないこいつ」と言わんばかりに呆れた表情をした。

「透視すると馬鹿みたいにお腹が空いちゃうし、その割に拾える情報は断片的で燃費が悪いんですよね」

 直子は注文したストベリーパフェをスプーンで口にほおばりながら愚痴気味に言った。

「そういうものなのか」

「そういうものですよ。神谷さんはもっとオカルトを勉強しましょう」と直子は学校の教師のように偉そうに言った。

「さすが専門家だな」と神谷は感心したように頷き、アイスコーヒーを一口で飲み干した。

「さらに情報を得るには対象者の私物がもっと欲しいですね。相手の家に行ってみたりすれば、その人物の思考や発しているオーラの色なんかも判明しますよ」

「なるほど。なんだか犯罪プロファイリングに似てるな」

「近いかもしれませんね」

「それなら、さっそく松田の生家に行ってみよう。彼の両親は他界しているが祖母はまだ存命しているそうだ」

「いいですね。生家なら相手の幼少期を知ることができると思います。個人差はありますが異能の発現時期とされるのは子供の頃だと言われています」

「分かった。明日から行こう。ちなみに直子ちゃんは予定とか大丈夫かい?」

「問題ありません。夏休み期間ですしね」

「了解。明日、自宅へ迎えに行くよ」

「よろしくお願いします。今日はこれで解散しましょう」

「こちらこそよろしく頼むよ」

 神谷は直子と別れ、翌日に備えて本庁には戻らずそのまま帰宅した。

  

 

 

 

  

 





 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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