残り香

EF

Hangover

 ライアン・トレンスは寝台に横たわっていた。

 筋肉質な腕は、黒くマットな人工筋繊維に置換され、両眼は今やヘルメットとの接続以外の役割を持たない、只の虚となっている。

 腕や身体のあちこちにある身体置換機械インプラントの接続部は、透明のDBC半透膜によって覆われていた。未だ、生体分子が身体置換機械インプラントと結合しきっていないのである。


 神経接続ポートにMDPケーブルが刺さり、脇のカメラに繋がっている。

 視界が来訪者の姿を捉えた。肌が黒い長身、シャッターグレイズの光学義眼の男。そして、眼窩を跨いで、横長のモノアイが埋め込まれている、ガタイの良い男の二人だ。

 身元確認————ディーシャス・デッカード中尉とフェルディナンド・エルナンデス曹長。原隊では上等兵だったライアン・トレンスが異動した先、デルタトロニクス第27特殊任務小隊の小隊長と副隊長だ。

 ライアンは、寝台上で出来る限り姿勢を正した。


「こんばんは、トレンス上等兵。

 既に上から任官連絡を受け取っているだろう。

 異動先で上官を勤めるディーシャス・デッカードだ。階級は中尉。

 横のこいつは」

「フェルディナンド・エルナンデス。階級は曹長」


 ライアンは頷く。まだ人工筋繊維が癒合しきっていない現状、敬礼も出来ない。


「早速だが、二週間後には月面に向かってもらう。我々とはそこで合流だ。

 現場配置までのリハビリテーション計画レジメンは受け取っているだろう。それに従って身体置換機械インプラントに慣れ、最高のパフォーマンスを戦場で発揮できることを期待する。

 さて、これは個人的な質問だが————その人工筋繊維などを得て、どう感じる?」

「多少、奇妙に感じます、中尉。

 これまで生身で戦ってきたもので、この拡張関節や筋繊維の強度には……慣れない。少しでも動かせば肘を壊してしまうのではないかと恐れを抱くほどであります」

「そこまで下手に作られては居ないさ、安全プロトコルを逸脱すれば別だが……

 ジーンフィル・バイオの第七世代拡張生化学繊維だ。双極操作性も付いている。違和感なく動かせるようになれば、ヴォストーク・タレットであろうと片手で持てるようになる」


 あの重量2tを超える重電磁機関銃座を片手で?

 だが、ライアンにはジョークとも思えなかった。物理の法則を鑑みれば無理筋にも思えるが、施術によってライアンの体重は170kgまで激増している。少なくとも施術前の90kgより、タレットとのバランスは取り易い。

 人工筋繊維に加えて、全身に張り巡らされた鎖路網が理想的に動作すれば、そのような超人的行為でさえ可能になるだろう。


 エルナンデスが口を開く。


「動かせるようになれば、寧ろ自分の身体より心地良く感じるものだ。

 俺がチップ・インしたのは47の時だったが、それまで感じていた筋肉の衰えが飛んだどころか、20代の時ですら経験したことが無い『若さ』を感じた。

 あらゆる行動が素早く、流体の様にスムーズだ」


 ライアンは半ば苦笑いするように微笑む。


「私はまだ23です、曹長。今以上に若く感じるとは、想像し難いですね」


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 kaOS。戦前から伝わる技術だと聞くこれの正式名称は、極地戦闘情報共有システム(LCISS)という。

 作戦詳細、現在の味方の位置・射線・次の行動、敵の位置・行動・武装データ等々、種々の戦闘情報が味方同士で共有されることにより、戦闘指揮単位はまるで群狼かの如き連携を取ることができる。


 特に混戦になりがちなCQCで真価を発揮するシステムで、つまりは突入しての拠点制圧戦が多い月面には打って付けと言うわけだった。


 月面が、革命戦争時に人類の手を離れてから100年余りが経つ。今となっては、月に立て籠もっていた反革命勢力は崩壊していた。

 こうして主を失った月面は、反革命勢力が作り出して残していった大量の自律兵器群と、構造因子による自動複製・修復機構を持つ施設群に占拠されている。


 人類の使命は、このレネゲード機械兵器を滅ぼし、月を再び勢力圏に取り戻すことであった。


 その日も月面の戦場では、kaOSに繋がった小隊員24名が同一の作戦目標を共有している。


 セクター19、別名静謐の海。ここにある敵拠点に降下し、機密兵装コード37-Bを配置、「起爆」して、撤退するのだ。

 敵は重武装。非常に困難な任務であるが、これまで数々の難題を解決してきた第27特殊任務小隊ならば、成し遂げられると期待されていた。


 ディーシャス・デッカード中尉は咆える。


「また俺達の長い日がやってきた!

 あのクソ機械共を滅ぼし、鉄屑と変えて月の海に返してやる時が!

 戦闘経験を信じろ、身体置換機械を信じろ、デルタトロニクスを信じろ!

 義務を忘れたボット共に、三原則を思い出させてやれ!」


 雄叫びが航空船舶内に響き渡る。

 部隊の士気十分。ディーシャスはヘルメットを下ろし、光学系リンクを眼球に繋げた。


 光学迷彩を用いて隠密航行していた航空船舶は、下の施設に向けて急加速した。

 月の低重力条件下において、シンプルな落下による降下は戦術的選択肢に入り得ない。あまりの落下速度の遅さにより、蜂の巣にされて終わるからだ。


 代わりに、重装甲の航空船舶が、圧倒的速度を以て、破城槌の如く、鉄とセラミックの建造物に突撃する。

 船外から凄まじい轟音と金属が歪む音が響き渡った。延々と落下し続けるエレヴェーターの如く、忌々しい音と凄まじい揺れは、30秒以上も続いていく。


 ディーシャスは、位置座標だけを睨んで、航空船舶が到着するのを待っていた。直に、目標地点に入る。

 それにしても、対空砲火を受ければ撃墜されるからと、船舶ごと建物に特攻させるとは……この作戦を考えた奴は、相当に頭が悪いか、一級のサイコパスかどちらかに違いない。そう彼は考えた。


 アナウンスが響く。


《目標地点に到達。目標地点に到達。ブラスト・ドアを解放》


 先程までの吶喊の揺れに比するほどの、凄まじい爆風が巻き起こり、周辺の構造物を吹き飛ばして、航空船舶横面のドアが開いた。


「動くぞ」


 ディーシャスの号令、そして突撃に小隊員が追随する。

 月面での戦闘は、自動修復される構造内での近接戦と言う制限上、部屋や通路などで建物を分割し、一区画毎に制圧していくと言う方法が取られる。


 この制圧時欠かせないのが、「固定材」テネブラエIV。一時的に構造の再生及び変異を停止させる物質だ。

 まずは機械兵器を一掃。次に、区画を封鎖、固定材を散布し、最後に区画のシステムへマルウェアを侵入させ、制御機構を制圧する。月面での戦闘は、この地道で、鉄と血の匂いがする難作業の繰り返しだ。


 早速六脚の台に銃座をマウントした機械兵器が飛び出して来た。小隊員が携行ミサイルや重機関銃で応戦し、クロスファイアに兵器群を巻き込んで破壊、前進していく。


 小隊が機密兵装を仕掛け、起爆させる予定の場所は、電子戦任務に着いているネットランナーが、月面構造因子のシステムにブリーチを仕掛けて発見した特異点らしい。

 小隊はその特異点について、どのような場所なのか知る必要は無い。特異点と言われるような場所は、知れば最後、精神疾患を発症する可能性が高いとされるような狂気の殿堂である場合が大半だからだ。


 3区画を既に突破。しかし襲い来る機械兵器の量に圧倒され、残弾数は心許ない数まで減っていた。

 それでも、小隊は地点に突破した。退路を保持するため、側面からの攻撃を隊員数名が警戒しながら、固定材を散布、システムブリーチ用の機器をセットアップしていく。


「エルナンデス、頼む」

「ヘイ、ボス」


 ディーシャスの言葉にフェルディナンドは頷き、持って来ていた兵装のクレートから、操作盤を露出させようとしたとき……


「不味い!換気口に!」


 ディーシャスの周りで、時間の流れが遅くなる。

 彼の積んだ神経加速インプラントの効果だった。セミオートマチックショットガンを持った彼は、換気口に銃口を向ける。


 しかし時すでに遅かった。換気口を抜けて来た、光学迷彩装備の小型ロボットは、射線を潜り抜けて跳躍すると、機密兵装に飛びつき、近くのフェルディナンドごと巻き込んで自爆した。


 巻き上がる金属片と飛散する瓦礫。衝撃に備え、小隊各員は地面に転がり、そして視聴覚の異常が収まるや、すぐさま周囲の確認に入った。


「エルナンデス!

 エルナンデス、応答せよ!エルナンデス!」


 ディーシャスは必死に呼びかける。

 そんなことはあってはならない。12年来の戦友なのだ。何度も似た様な場面を潜り抜けて来た。彼ら二人は、小隊を率いて月面を拓いて来たと言うのに……


 横たわるエルナンデスは答えなかった。小隊員が電気ショックを心臓に加えるが、心肺蘇生は失敗。


 ディーシャスは苦虫を嚙み潰したような顔で、状況を整理する。


 爆発の中心にあった機密兵装の破片は、部屋の反対側の端に居たディーシャスの足元まで飛んできている。


 ディーシャスは、それを見た。

 インプラントを埋め込むときに見るような、神経線維が幾つも、特殊兵装ケースのスレート塗装の裏にこびりついていた。

 眼球や、どう見ても脳の欠片と思しき組織なども。


 ディーシャスは、身震いした。機密兵装の中身は、人間の一部だった。


「小隊長!」


 その叫びに、ディーシャスは我に返る。

 新入りのライアンが腕を負傷していた。痛覚抑制装置で耐えているようだが、あの様子では、もう少し強いものが無ければ動けないだろう。

 ディーシャスはネオメタンフェタミンのアンプルをライアンに投げてやった。


 それから、本部へ通信する。


〈……兵装が破損した。繰り返す、兵装が破損した。

 使用に堪えない状況だ。撤退の許可を〉

〈第27特殊任務小隊、撤退を許可する。特殊兵装は放棄せよ。

 28秒後より近接爆鎖を実行。速やかに該当セクターから離脱せよ〉

〈諒解〉


 通信を聞いていた兵員が皆、顔を上げる。


 ディーシャスは、苦り切った顔しかできなかった。このまま、エルナンデスを背負って撤退することは不可能だ。抑も、撤退路の長さからして、運んでいる途中に脳細胞の壊死が始まってしまう。

 ディーシャスは、懊悩を吹き飛ばすように、わざとらしく大振りにジェスチャーした。


「ついて来い」


 エルナンデスを置いて、小隊は来た道を戻り始めた。


 振り返ることもなく走って行く。メンテナンスシャフトを越え、会議室と思しき部屋を椅子を蹴散らしながら走り抜け、この3時間に渡って、薬剤と神経加速を用いながら切り開いてきた前線が後退し、全てが水泡に帰していくのを感じながら、部隊は一目散に撤退する。


 後ろに機械兵器が飛び出して来た。だが、小隊員は殿の為に抵抗したりしない。小隊員が走り抜けたすぐ後、機械兵器が封鎖を破って区画を満たすころになると、急に警報が鳴り響き、次いで爆風が巻き起こる。

 壁が融けかける程の圧倒的な熱と電磁波が荒れ狂い、機械兵器を一網打尽、融けかけた金属塊へと変えて行く。これこそ、月面構造因子が持つエネルギーを無理やり解放し、区画に存在する全てを薙ぎ払う、近接爆鎖という、最強の殿軍だ。


 小隊員は、漸く航空船舶の一歩手前まで辿り着いた。

 そこに、現れた者が居る。


「エルナンデス……!生きていたのか!」


 爆鎖が起きた部屋に取り残されていたエルナンデスが、こちらへ歩いて来る。

 どうにか、別ルートで合流に成功したのか。


 長時間の高ストレス環境と、身体置換機械インプラントが脳に与える負荷の影響で、ディーシャスの判断能力は鈍っていた。

 ディーシャスはエルナンデスに近付く。


 エルナンデスは頽れた。彼を支えようと、ライアンが進みで、肩を貸そうとした瞬間、


 エルナンデスの頭が爆発した。


 巻き添えを食らったライアンは、顔面の左半分が吹き飛んでしまった。


 ブービートラップだったのだ!

 月面に容赦は一切無い。ディーシャスは、ここが昔からずっとそうであることを知って居る。


「撤退するぞ。乗り込め」


 この苛酷な環境において、部隊の崩壊を防ぐには、誰かが柱に成らなくてはならない。ディーシャスは、蒼い顔をしながら小隊員を航空船舶に乗り込ませた。


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 カーヴ。カーヴだ。全てはカーヴだ。


 ディーシャスは、月面の仮兵舎の寝台で、脳内に鳴りやまない声を抱えていた。

 あの時、エルナンデスの頭が爆ぜて、ライアンを巻き込んだ瞬間が何度もリフレインして止まない。この3日間、ずっとそうだった。

 そして2日目に受けた精神鑑定、それが彼の心に、さらに深く絶望の楔を打ち込んでいる。


 クソッタレめ、ああ、俺が知ってる、これがどう終わるかを!

 あの精神鑑定————全く上手く答えられなかった。滑稽なくらいにな!

 恐らく俺は、そうだ、PTSDになっちまった。で、どうしろって言うんだ、これを!?


 ディーシャスは、最悪のケースが脳裡に駆け巡るのを止められなかった。


 デルタトロニクスは、利用価値の無くなった兵員に大した補助もくれない。その身体から戦闘用身体置換機械コンバットインプラントを全て剥ぎ取って、唾のように道端に吐き捨てていくだけだ!

 トラウマを抱えたまま、ホームレス生活をしろって言うのが、連中の「利用価値の無くなった駒」、「期待を裏切った敗北者」に対する態度なのだ!


 精神鑑定とかいう忌々しい存在、そんな物によって進退窮まるであろう自分の立場というものを、ディーシャスは憎悪した。

 このまま身体から生きる資本の全てを剥ぎ取られ、何処ともわからない路地で朽ち果てる運命を定められてしまうのか……?


 ディーシャスは、特殊任務部隊の指揮官だ。将校だ。

 デルタトロニクスという企業体の私兵であろうとも、軍人であるからには、所属する企業に忠実であらねばならない。


 だが……


 利用するだけ利用して、人を廃棄するような連中に、忠誠を誓うなんて敗北主義、許されてなるものか。


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「……カスだ。

 あぁ……クソ。フェルディナンド……あの月の狂った鉄屑共、トロニクスの悪魔が……!」


 今、ディーシャスは、地上の都市の片隅で、古ぼけたガレージの中に住んでいた。


 身体置換機械インプラントで埋め尽くされているにも関わらず、手足は萎えている。

 ディーシャスは知って居る。彼の脱走が上手く行ったのは、全く奇跡でしかないことを。


 故に彼は、出来る限り誰にも注目されず、また誰もが軽蔑して避けるような場所を目指した。

 カレースという巨大都市の最下層にある、「ヴェスト」ゲットーはその条件を満たしていた。

 開発計画中止によって放棄された廃墟群に、他圏からの移民が住み着いた街。


 行先の無いどん底暮らしどもが集まってできた、ゴキブリの巣穴がこのゲットーだ。少なくとも、ディーシャスの中ではそうだった。


 ディーシャスは、効きもしない薬を飲むため、水の入ったコップを掴もうとした。

 だが、チタニウムと有機材料で出来た指は、震顫のように震えて、コップを倒してしまう。


 最新世代の戦闘用身体置換機械コンバットインプラントは、生身より遥かに精緻で強力だ。だが、今やディーシャスのトラウマ、そして機械の整備不足は、最早殆ど物を掴めないまでに身体置換機械インプラントの能力を退化させてしまっていた。


 むかっ腹が立ったディーシャスは、机を怒りのままに叩き潰した。

 それから、椅子を引き裂き、その場にある瓶、缶、工具、終いには廃車のシャーシをも完膚なきまでに破壊する。


 戦闘用身体置換機械コンバットインプラントは、彼の怒りにだけは忠実に反応した。

 そして彼の怒りが収まるや、再び震えが始まる。


 この1日だけで、ディーシャスはフラッシュバックを4度以上経験している。

 仲間の鳩尾から下が目の前で吹き飛ばされた瞬間、すぐ横に居た奴が血煙に変わった瞬間、フェルディナンドの頭が爆発した瞬間、彼自身の左腕が、月の生物兵器によって腐り果てた時。


 乗り越えたはずの記憶が、何度も何度も何度も何度も現れて、彼を責め苛む。

 偶に彼は、赤ん坊のように泣いた。抑鬱で死んだように横たわっていたり、所かまわず怒りに任せて殴りつけたり、過敏化した聴覚が僅かな騒音に耐え切れず、ネズミや昆虫のいる場所に片端から銃弾を撃ち込んで回ったりしていた。


 そう言ったことを繰り返すうち、いつの間にか、周辺のガレージや廃パーキングに住んでいたホームレス連中は居なくなっていた。

 そこまで来てディーシャスは、最早自分が目立たないで生きるなんて言うことはほぼ不可能なのだと気が付いたが、だからと言って対処する気も無かった。


 精神科に自分から行ってみる気なぞ無かった。自分が逃げる原因になった精神鑑定など、毛ほども信頼していない。

 他のPTSDらしい奴を探し、そいつから薬を強引に奪ってはみたが、勿論効くわけも無かった。


 戦闘用身体置換機械コンバットインプラントの破壊力が暴れ回ったガレージは、想像を絶する滅び様の中に沈んでいる。

 彼は煙草が無いか探そうと、引き倒した棚の残骸に震える指を指し込み、種々雑多のゴミをひっくり返して吸えそうな何かを見つけようとした。


 ガレージのシャッターが錆びついた音を立てて開いた。

 反射的にディーシャスは銃を向ける。そしてそのまま発砲しようとして、止まった。


「よう、小隊長、酷い場所に住んでるな。月の仮兵舎よりうらぶれてるぜ」

「ヘイデン……俺を殺しに来たのか?」

「さあな、デルタトロニクスと付き合いはもうねぇから、連中があんたの戦闘用身体置換機械を狙ってるかは知らねえよ」


 カタカタと、銃を持つ手が震え出した。憎悪と怒りは徐々に収まって来ている。


「PTSDか、そうだろ?未だにあんたは、頭の中では月面で戦争やってるんだ」

「……何が分かる。お前に何が分かる!未だに血も涙もない機械共と、企業幹部のサイコ共の間で戦っているんだろう、下手なクソカートゥーンのカリカチュアみてぇにな!」

「退役したっつっただろ、小隊長……いや、ディーシャス。

 もうあんたはあの頃の頼り甲斐があった男には似ても似つかねぇな。

 まぁ……PTSDといやぁ、そういうもんか」


 デッカードの脳裡で、憤懣が噴き上がる。

 退役したなら、何故何も理解できない。あの戦争の鬼共の影が見えない!


「俺だってPTSDだったんだからな。

 あんたが消えてすぐに辞めたよ。我に返って、代わりに正気を失ったんだ。

 俺らは戦争に溺れて、どうにか生きていた。次の戦闘で、連中のアクチュエータの欠片に塗れることだけを考えていた。

 もうそういう人間に成っていたんだ。我に返ったって、何にも頼らず生きていくことなんかできやしねぇ……

 だからよ、俺はこいつに頼ってる」


 ヘイデンは懐から、煙草を取り出し、火を点けた。

 ディーシャスは直ぐに気付いた。熱で煌々と光る煙草の先端には、合成ニコチン含有紙ではなく、何か別のプラスチックシートみたいなものが詰まっている。

 そして、そこから漂ってくる匂いは、忌々しいほど月面を思い起こさせた。


「テネブラエIV……」

「ああ。戦略物資だからな、窃盗品だ。俺はパラテールという奴から買っている。あんたも吸ってみたら良い。

 こいつは……まるで、戦っている時みてえな、何か外れて冷静になった気分にさせてくれる。嫌なことは頭から吹っ飛ぶのさ」


 ヘイデンは口端に、固定材を巻いた煙草擬きを挟んだまま、笑う。


「……んなもんに頼って堪るか」

「おいおい、冗談だろう?ディーシャス……

 見ろよ、そこに転がってる薬は何だ?飲もうとしてたんじゃあねぇのか?

 あんたも結局、何かに頼って乗り越えようとしてるじゃねえか」

「そいつからする蒸発したハンダと血便混ぜたみてぇな匂いはうんざりなんだよ……月面のカス機械共を思い出して堪えられん……!」

「ハッ」


 割れた酒瓶から流れ出し、地面に水溜まりを作っている、アルコール。ヘイデンはそこに煙草を投げ入れた。


「何しやがる!」


 ディーシャスはヘイデンを殴る。二発、三発。

 だが、ヘイデンは異常な笑いの面相を変えない。


「もうこのガレージに何も使えるもんはないだろ?

 俺達は噛み潰された後、吐き捨てられたんだ。それでも尚、戦争の鬼どもを頭蓋骨の裏側に飼い続けるって言うのか?

 その戦闘用身体置換機械コンバットインプラントも、未だに刺客が来るのを恐れて、どれだけ震えようとアンインストールしない。

 そんなパラノイド暮らしを、続けるか?

 それとも、反吐塗れの記憶を忘れて冷静になるのか?どっちだ。どっちになりたいんだ、ディーシャス・デッカード元小隊長」

「……クソが!」


 ディーシャスはヘイデンを投げ飛ばした。するりと体勢を立て直したヘイデンは、まだ言葉を続ける。


「バーをやってる。リカントロープって名前だ。

 そこに来れば、俺の持っているストックを分けてやる。だが、ツケにしてやるのは最初だけだ……

 これからは対等だからな、ディーシャス・デッカード?」


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 ディーシャスは、リカントロープ二階のVIPルームでテネブラエを吸っている。最初は耐えがたい悪臭に思えたそれも、時間が経つにつれて、煙草を吸うのと大差ないタール臭さに変わって来た。


 最初彼は、テネブラエを吸えば、トラウマが消えるものだと思っていた。

 だが違う。テネブラエは、人を抜け殻にする。


 矜持、人生の価値、人間関係、他者への共感、そう言った諸々が抜け落ちて、ただ生存だけが残る。そういうブツだ。

 ある意味、ディーシャスは最も論理的で、理想的な生物になった。今や、生活において、生きること、そのためのリソースを確保すること以外は眼中にない。


 彼は今、犯罪の仲介業者をやっている。戦闘用身体置換機械コンバットインプラントの殆どは外したため、傭兵として働くことは出来ないが、どの道、自分の安全のためには実働しない仲介業者になって良かったのだと考えている。


 仲介業者は、兎も角も人間を確保し、適切に扱うことが肝要だ。彼には、小隊指揮の経験があった。また、共感能力が消し飛んでいる現在の彼は、無慈悲に若い命をゴミの山に捨て去ることにも、異常な程の厚遇で相手に好意を抱かせることにも躊躇が無い。

 経営者にはサイコパスが向いていると言う話はやはり本当だったのだと、彼は今更ながらに考えている。


 そして、必要が無いから、月面での戦争も思い出すことが無くなった。記憶は消えない。だが、必要は、脳から消えた。


 彼は、社会昆虫、二級ロボットのような生涯を全うするだろう。

 それが最後に残った彼の人生の価値である。

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残り香 EF @EF_FrostBurnt

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