11.次期当主の決定


 ソフィアもアシェルと一緒に、ローワンの執務室に入った。


 慣れた様子で三人は、応接用のソファーへと足を運ぶ。

 ローワンは一人で座り、その向かいのソファーにアシェルとソフィアが並び座った。


 控えていた侍女がお茶を用意してくれると、三人は口々に言った。



「あぁ、助かるよ。いつもありがとう」

「ありがとう、今日のこれもいい香りね!」

「いつも美味しいお茶をありがとう」



 こういうところも貴族らしくないところだが、すっかりウォーラー侯爵家に馴染んだアシェルは、自身もまた年月と共に貴族らしさを大分失っていたことに気付けない。



 ローワンは一口お茶を飲んでから、話を切り出した。



「先日王都へ行った際、セイブルを次期当主として正式登録を済ませてきたことは二人にも話していたね?」



 セイブル・ウォーラーは、現当主ローワン・ウォーラーの兄の息子だ。

 つまりソフィアの従兄である。


 当主の一人娘であるソフィアは、これで次期当主という難を正式に逃れた。



 ──穏やかに決まって良かったよなぁ。



 王都で噂に聞いていたウォーラー侯爵家の次期当主の座を譲り合う抗争は、なんてことはない優しい争いで、アシェルも知ったときには心から安堵した。


 ソフィアが荒っぽい争いごとに巻き込まれるなんてことが実際に起こっていたら、アシェルは気が気ではなく、恩人であるソフィアを守るため、大袈裟ではなくその命を懸けて戦っていたことだろう。


 だから血を見る争いがなくて本当に良かったと、アシェルは思うのだ。



 ただし誰もが当主になりたがらない一族という噂は本当だった。


 ソフィアの従兄セイブルだって決まるまでは大分ごねて抵抗している。



 ──セイブルには悪いけれど。ソフィアのことを抜きにして、どう考えてもセイブルが適任なんだよね。



 これまでの穏やかな争いを思い出し、アシェルはお茶をしみじみと味わった。

 アシェルは関係ないはずの子爵家三男でありながら、ウォーラー侯爵家の争いに気付けば争う側の当事者として参加することになっていた。



 ──あ、そうか。あの人はこれを知って、だから帰って来いと書いて来たのかな?



 父親が急に意思を変えたのは、ソフィアが当主にならないという話を王都のどこかで聞いたせいかもしれないとアシェルは思った。


 

 ──あの人にとっては、俺が当主の婿にならなければ話にならない。それは焦って呼び戻すかも?



 家族全員の手紙を読み直して、イーガン子爵家で起きているだろうことを推測する、これをやめたことをアシェルが後悔する日は意外に早くにやって来る。

 あのとき推理しておけば良かったと、後から思ってももう遅いのだ。



「実はそのときもすんなりとはいかなくてね。どうも今の陛下は、我らウォーラー一族との距離の取り方を教わらずに即位されたようだ」



 怒っているような様子はなく、穏やかな口調のまま、ローワンはそう言った。

 けれど今のアシェルは知っている。



 ──うわぁ。陛下は何をしちゃったんだろう?



 ローワンは優しく微笑みながら怒れる人なのだ。


 まだ幼さを残していたソフィアとアシェルが、ときに勢いのまま暴走して周りの大人たちを困らせたときなんかは、いつでもこのローワンに、にこにこ笑った顔をして叱られてきたのである。

 それらの経験はアシェルたちに研究においても越えてはいけない線があるということを、心に体に刻むようにして覚えさせた。

 笑顔だけれど、このローワン、怒るととても怖いのである。



 家族とのことなんか、もう顔も薄っすらとしか思い出せないのに。


 ウォーラー家とのことは何でも記憶しているアシェルは、ローワンから叱られる立場を自身に置き換え想像してしまって、その恐ろしさに身がすくみそうになったから、腕を前で交差して両腕を擦りこれを誤魔化した。


 そのときソフィアも隣で同じ動きをしていたから。



「ん?寒いかい?」



 ローワンに聞かれて、ソフィアとアシェルは自然に目を合わせ、互いに困った顔をして笑った。



「違うわよ、お父さま。お父さまが怖かったのよ」



「それは怒られるようなことをしましたという自己申告かな?」



「やめてお父さま、本当に怖いのよ。そうじゃないわ。ねぇ、アシェル?」



「えぇ、ローワン様に叱られる陛下を想像してしまっただけです」



 ローワンは面白い冗談を聞いたように笑っていたが、またそこに恐ろしさを感じてしまうアシェルだった。





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