3 雷が怖い理由

 腕を伸ばして澄斗の眉間に触れ、僕は澄斗を安心させるように微笑んだ。


「付き合ってもらえた、なんて思わないでよ。そりゃ、はじめはびっくりしたし戸惑ったけど……今は、自分の気持ちはわかってるつもりだよ」

「……ほんと?」

「うん。……僕、ちゃんと好きだよ。澄斗のこと」

「っ……」


 澄斗の潤んだ瞳がにわかに輝く。

 両頬を、熱い手のひらで包まれた。


「……俺も郁也が好き。ほんとに大好きなんだ」

「う、うん……うん」

「キス、してもいい?」

「っ……う、うん……」


 少し掠れた澄斗の声は、低くて甘い。僕を見つめる真摯な瞳から目が離せない。


(あぁ……僕、このまま澄斗と……?)


 思わず目を閉じるも、視界が封じられると近づいてくる澄斗の気配がはっきりと感じ取れて、胸が痛いほどに暴れ出す。


 だがそのとき、窓の外で空が裂けるような轟音が響いた。


「っ……!?」


 澄斗が弾かれたように窓の外を見た。

 

 ついさっきまでは真っ青な空にソフトクリームのような雲が高々とそびえていたのに、今は黒い雲が空一面を覆っていた。


 そして見る間に、激しい雨が大きな窓を叩き始める。


 さっきの音は、雷だ。


「澄斗」

「……え? あ、なに?」

「今も雷、ダメなのかな」

「いや……昔ほどじゃないよ」


 そう言ってはいるが、澄斗の横顔にはかすかに怯えのような色が浮かんでいる。


 僕はたまらず、澄斗の頬に触れて窓から僕のほうへと視線を移動させた。

 

「ブラインドを下ろそうか。そしたら外は見えないよね」

「あ、うん……いいよ、俺が」

「僕がやるよ。テレビでもつける?」

「……いや、マジで大丈夫だから、」


 澄斗が強がった瞬間、カッ!! と真っ白な閃光がリビングを照らした。


 直後、曇天が割れるような苛烈な雷鳴が空気を揺るがし、澄斗の身体がビクッとこわばる。


「っ……」

 

 僕はすぐさま立ち上がり、天井まで届くほどに大きな窓を覆うブラインドの紐を引っ張った。……が、何本もある紐のどれを引っ張ってもブラインドは降りてこない。


 モタモタしていると、背後から澄斗の手が伸びてきて、スルスルとブラインドが窓を覆い始めた。


「ご、ごめん……」

「ううん。ありがとな」

「……いつもはどうしてるの? こういうとき」


 薄暗くなった部屋の中で、澄斗の堅い横顔を見上げる。


「部屋でヘッドホンしてやり過ごしてる。部活中とかは……まぁ、みんないるからかっこつけてられんだけど」

「そうなんだ……」


 澄斗は気を取りなおすようにソファに戻り、散らかってもいないテーブルを整えはじめた。

 

「4、5歳の頃、母親に外に閉め出されたことがあって」

「……え!? あ、あの後妻さんに!?」 

「ううん、本物のほう」

「えええ!? な、なんで……」

「俺がいつまでも甘えたこと言って、兄貴みたいにひとりで色々できねーからイラついたらしい。それで雷雨の中ベランダに出されてさ。そっから、ちょっと雷無理なんだ」

「な……」


 4、5歳なんて、親に甘えて当たり前の年齢じゃないか。お兄さんは結構年上だったはずだし、同じようにできないのは当然だ。


 ……ふつふつと腹の底から怒りが込み上げてくるけど、実のお母さんを悪く言うわけにはいかない。

 僕はすとんとソファに座って静かに息を吐き、怒りをおさめようと頑張った。すると。


「怒ってる?」

「へ……!? また? 何でわかるの!?」

「顔見てたらわかるよ。……ありがと」


 前屈みになって僕の顔を覗き込んでいた澄斗が、微笑んでいる。

 無理して笑わなくていいのにと僕は思った。

 

「父さんが、母さんにかなりプレッシャーかけてたみたいで。今思えば、たぶん鬱かなんかになってたんだと思う」

「プレッシャー?」

「賢いガキであれ、みたいな感じ?」

「そんな。そんな小さい子に……」

「だから母さんだけを責めたいわけじゃないんだけど……まあ、怖かったよ。雨は冷たくて、音がすごくて、マジで死ぬって思ったからさ」


 そのとき。

 ブラインドを閉めていてもわかるほどに眩く激しい光が閃き、轟音が響いた。


 僕は、澄斗の大きな手がかすかに震えていることに気づいてしまった。


 考えなくても身体が動く。


 僕はソファの上に膝立ちになり、澄斗をぎゅっと抱きしめた。

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