《テケテケ》④

 県立H高校へ向かう道すがら、カレンさんと車内で二人きりになった私は、運転席の彼女に後部座席から話しかけていた。


「そういえば、依頼者の友人……アオイさんってどうなったんですか」


「昨日は結局面会時間過ぎてて駄目だったから今朝もう一回行ってきた」


 そっけなく、カレンさんが言う。


「間違いなく、下半身が動いていなかったよ。あの子の言ってることは嘘じゃなかった。……何を見たかは教えてくれなかったけど」


「よく話せましたね」


「白衣を着て医者のふりをしたら普通に話してくれたよ。……でも学校で何があったのか聞いたら半狂乱になっちゃって、逃げてきた」


「不審者じゃないですか」


「不審者じゃないよ」


 不審者じゃないらしい。


「……不審者といえばカレンさん」


「うん」


「さっきからルームミラー越しに私のことガン見してるのは何でですか」


「え!?」


 露骨に狼狽した声が漏れた。


「いやいやいや、何のことかな」


「何ならセーラー服に着替えてからずっと私のこと見てたじゃないですか。こういう視線って結構分かりますよ」


「み、見てないし」


「見てましたよ。邪な視線を感じてましたよ」


「邪な視線じゃないよ!?」


「見てたのは認めるんですか」


「……だって仕方ないじゃん。制服ってさあ、やっぱり一年目が一番いいんだもん」


「前後がつながってないですよ」


「制服ってさ、三年間の成長を想定して、最初大きめのサイズを発注するじゃん。……そしたらぶかぶかになるじゃん」


「キモ」


「キモとか言わないでよ」


「わたしは確かにぶかぶか萌えだけどさ。だからってそのへん歩いてる新一年生を誰彼構わずジロジロ見たりしないんだよ」


「私だからってことですか。なおさら気持ち悪いですよ」


「ひどい」


「よく所長が言ってますよ。カレンさんはロリコンだから気をつけろって」


「ロリコンじゃないし」


「ロリコンじゃないんですか」


「ロリコンじゃないよ」


「……別に、手さえ出さなければ好きにすればいいと思うますけど」


「そ、そうだよね!? 頭の中は自由だよね!? 信条の自由だよね!?」


 ごめん、やっぱり気持ち悪い。


 だけど私は我慢して、こう言った。


「……写真くらいなら好きに撮っていいですから、所長と仲直りしてくれませんか」


「そ、それは」


 声が揺らいでいた。


「……アンナちゃんは所長の態度、あれでいいと思うの? テケテケはユイナが行方不明になる直前に担当してた案件なんだよ?」


「別に、シリアスになれば事件が解決するわけじゃないですから」


「それはそうだけどさあ」


「……そもそも、今回のテケテケと姉さんが担当したテケテケは多分別物じゃないですか」


「うん、それも正しいと思う。……でも、気持ちでは納得できないんだ」


 カレンさんの言うことも一理あった。


「わたしは、ユイナはどこかで神隠しにあっていて、今もどこかに隠されてると思ってる。……もしくは、どうしてもわたし達の前に出てこれない事情があるとか」


 その言葉には、一点の曇りもなかった。


「ユイナは、……センパイは、本当にすごい人だったんだよ」


 そう言って彼女は、姉さんがくねくねを一人で撃退した顛末を語った。


「ていうか、カレンさん、姉さんをセンパイ呼ばわりしてたんですね。歳上なのに」


「しょうがないじゃん。センパイって感じがしたんだもん」


「分かりました、仲良くしろとは言いません。だけど、ムスッとした顔はやめてください。……せっかくの美人が台無しですよ」


「美人」


「カレンさんは美人ですから、笑ってたほうがいいです」


 とっくの昔に車は高校の前に停まっていて、私は車から出た。


 そのまま校門に足を向けると、背後でドアが開く音がして。


「笑ってるから、ちゃんと写真撮らせてね!?」


 カレンさんは、叫んだ。


 余韻が台無しだった。


 ※


 中学受験に成功して、中高一貫の私立に入学したわたしだったが、入学して三ヶ月後にはすっかり落ちこぼれていた。


 もともとギリギリで合格していたようなものだったし、クラスメイトはみんな秀才ばかりで、もう霊感少女とかやってる場合じゃなかった。けれども霊感少女以外でどうやって友達を作ればいいかも分からなくなっていて、わたしは孤立していた。


 一方の転校生――もう転校生でも何でもないのだが――といえば、学内でも上の中くらいの成績を維持し続けていて、わたしとは格が違った。格が違ったが、しかし友達がいないのは同じだったから、成績別にクラスが別れようとも自然と二人でつるむようになっていた。


 中学生になって落ちこぼれと化したわたしが一番関心を持っていたのは、霊視だった。


「ねえ、どうすれば霊が見れるようになるの」


「だから見えてもいいことないって」


「でもさ、学校のガリ勉どもに勝つにはそれしかないんだって」


「いやいや、何いってんの」


 ガリ勉のひとりである彼女が呆れるように言った。


「連中は勉強ができるかもしれないけど、わたしは幽霊が見れるんだぞってなりたいの。知ってる? 東大だって毎年三〇〇〇人は入学者がいるんだよ? そんなにたくさんいるなら、勉強できるって本当は大したことじゃないじゃん。だったら幽霊見れたほうがすごくない?」


 我ながらメチャクチャなことを言っている自覚はあった。


 それでも、あの頃のわたしは、人生で初めての挫折に何とか折り合いをつけるために必死だったのだと思う。


「それを言ったら私は勉強ができて霊も見れてめちゃくちゃすごいことになると思うけど」


「うん、すごいんだよ! アンタは超すごいの! だからそのすごさのほんのちょっとでも分けてほしいの! 見れなくても知識があるだけですごい気がするから!」


「……はあ」


 心底呆れたような声音だった。


 そこからは、放課後を使って彼女による幽霊講義が始まった。


「このあいだね、近所の電柱に霊がいたのよ。例のごとく、黒い影ね。で、そいつは一週間も二週間もずっとそこに立っていて、だから私はちょっとしたいたずら心でそこに花束とお菓子を置いたの。そしたら、どうなったと思う?」


「そこにお菓子が増えた?」


「それも正解。でもそれだけじゃないの。……その黒い影が、子どもの影になってたの」


「ええ、なにそれ」


「霊はね、色んな人にいるんだって認識されると、姿の解像度を増すみたいなの」


「へー」


「でもって、その後、その電柱で噂が流れるようになったわけ。夜な夜な子どもの姿を見かけるって。前はそんな噂なかったのに」


「すごいね。……それってもしかして、かなり駄目なことだったんじゃ」


 それこそ、眠っていたものを無理やり掘り起こしているようだった。


「そうかも。ちなみに今あなたが食べてるじゃがりこはその電柱から拾ってきたものよ」


「ぶっ」


 思わず吹いた。


「待って、それじゃあわたし達が供養のためだと思ってることが、かえって霊を現世に縛り付けてる可能性があるってこと?」


「かもしれないね。むしろ、故人にとっては忘れてあげるのが一番の供養なのかも」


「じゃあ道真公とか一生成仏できないじゃん」


「受験生のせいで一生怨霊だね」


 一生もクソもないけど、と言って、わたし達は笑いあった。


 そうやってわたし達は放課後くだらない、益体もない話をし続け、貴重な時間を溶かしていった。


 そうして中学の二年間、わたしはずっと落ちこぼれで、彼女は成績優秀な優等生のまま、わたし達の関係は変わらなかった。


 けれども事件は、わたしが中学三年生の春に起きてしまった。


「ねえ、……わたしに霊の見方、教えて」


 それは、今までのおちゃらけた子どもじみた理由のためではなくて。


「……お父さんに、もう一度会いたいの」


 もっともっと、切実な理由がゆえだった。


 中学三年生の春、わたしの父は、亡くなった。

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