不死の勇者と不死の魔女 ~死ねない勇者が死なない魔女と出会った話~

第616特別情報大隊

出会いは血なまぐさく

……………………


 ──出会いは血なまぐさく



 ジークはかつて勇者と呼ばれていた。


 だが、今やそれを知るものはほんの僅かだ。


 今の彼は擦り切れたシャツとズボンの上にぼろ布のようなマントを羽織り、革のブーツを履いた足で黙々と街道を進んでいる。


 その目指す場所には森があった。広大な針葉樹の森であり、人の手は僅かにしか入っていない。辛うじて小さな道があり、道が伸びる先には森に飲み込まれたとても古い時代の砦が放置されているのみ。


 その森の前で軽装鎧姿の男たちがジークの前に立ちふさがる。傭兵たちだ。


「止まれ!」


 傭兵が声を上げるのにジークは両手を軽く上げて敵意がないことを示す。


「どこに向かっている? この先か?」


「ああ。この先だ」


 そうジークが言うのに傭兵たちが気難しい顔をして仲間同士、顔を見合わせる。


「悪いことは言わない。森の中に行くのはやめておけ。この森の中には魔女がいる。こいつは御伽噺や伝説じゃないぞ。実際に存在して山ほど殺している。信じられないような化け物だ」


「へえ。なら、あんたらはそれを討ちに来たのか?」


「冗談じゃない。領主に魔女が森の外に出てきたら知らせろと言われているだけだ」


 ジークが僅かに笑って言うのに傭兵たちは首を横に振る。


「そうか。魔女の話は本当だったか……」


「おい。お前、もしかして、ここいる魔女の首を取ってくれば懸賞金って話に引っかかった口か? なら、諦めることだ。あれは人間が相手できるものじゃない」


「いいや。魔女の首を取りに来たわけじゃない。魔女に会いたいだけだ」


「……魔女に会いたい?」


「少しばかり知恵を借りようと思っている」


 傭兵たちはジークの言葉に一層怪訝そうにする。


「あんたらは魔女が出てくるのを見張っているだけなんだろう? なら、俺が中に入るのは別に構わないんじゃないか? 何かあったとしても『魔女に会いたい』と言っていた馬鹿な旅人が死ぬだけだ」


「それはそうだがな……」


 ジークが軽く言うのに傭兵は少しばかり考え込んだ。馬鹿な旅人とは言えど、人が死ぬのをみすみす見逃すのは気分が悪いと思ったのだろう。殺しで食っている傭兵にしては良識があるようだった。


「分かった、分かった。ただし、魔女を怒らせたりするなよ」


「ありがとよ。怒らせないように努力はする」


 ついに根負けして傭兵はジークを通した。


 ジークは深い森の中に入っていく。


 鬱蒼とした森だが奇妙なことに動物の気配が全くしない。鳥の声も、虫の鳴き声も、獣が草木を分けて進む音もしない。森の中は信じられないくらい静かだ。


「ふむ。この感じは……本物か?」


 ジークはこれまで魔女が出たという話を他でも聞いたことがある。しかし、ほとんどの場合はガセだった。行ってみてもそこに魔女はおらず、というオチが何度もあった。


 しかし、今回は当たりかもしれないとジークは思う。


 魔女に会うことができたとすれば、もしかしたら……。


 ジークがそのようなことを考えながら進むと、問題の小ぢんまりとした砦が見えてきた。街で聞いた噂では魔女は森の中の砦に居を構えたということであった。そして、そこで怪しげな儀式をしているとかいう話を聞いた。


 で、これまでそんな怪しい魔女を討伐すると名乗りを上げた猛者たちは首だけになって帰ってきた、と。


「誰かいるか!」


 ジークは砦の木製の扉は既に朽ちている城門の前に立ち、声を上げるがそれに答えるものはいない。


「……ふうむ」


 しかし、ジークの鋭い感覚は何者かが砦の中で移動しているのを掴んだ。それは砦の中から城門の前にいるジークの下に迫っているとも。


 そして、不意に城門に切れ目が生じた。


 生じた切れ目は城門の朽ちた扉ではなく、何もない空間に生じている。その切れ目が僅かに開くとそこから真っ白な女の手が這い出るようにして現れ、切れ目をぐいと大きく開いていった。


「空間操作か」


 空間を操作し、自由にこの世界を行き来する魔法。それが使えるのは伝説と呼ばれるほど高位の魔法使いだけだ。


「おやおや。これを見ても怯えないとは素晴らしい」


 そう言うのは間違いなく魔女の声。思っていたよりもかなり若い。ハスキーで低音だが、大人のそれではなかった。


 声の主は空間操作で生じた空間の断裂から、ついに姿を見せた。


 魔女はとても美しい少女だった。


 濡れ羽色の髪を長く、くるぶしまで伸ばしており、その瞳に色は血のように赤くて爬虫類のような縦に細長い瞳孔を有していた。冷たい冷血動物の瞳だ。


 痩せぎすの華奢に見える体には黒いノースリーブのワンピースとその上から羽織ったサイズの合っていない大きすぎる一昔前の赤い軍用外套。


 その赤さはいささか色あせているが、昔の品にしてはジークが羽織っているぼろ布のようなマントよりちゃんとした造りだ。


 足には革の軍靴らしきブーツを履いている。それも古いものだ。


「我が名はセラフィーネ。カーマーゼンの丘にて契し魔女のひとりにして、戦神モルガンに仕えし魔女。名を名乗るがいい、挑戦者よ」


 セラフィーネ。爬虫類の瞳をした魔女はそう名乗った。古い名乗り方で堂々と。


「俺はジークだ。大層な身分ではない」


 ジークも短くそう名乗った。


「ふむ? ジークとやら。貴様も私を討ちに来たのだろう? 何故武器を構えない?」


「俺はあいにくあんたを殺しに来たわけではない。逆だ。殺されに来た」


「……ふざけているのか?」


 ジークがさらりと不可解なことを言うのにセラフィーネは彼を睨む。


「本当のことさ。俺を殺せたら大したものだよ」


 実際にジークは魔女と名乗ったセラフィーネを相手に武器も握らず、拳を構えるようなこともなく、身を差し出すように両手を広げていた。


「くだらん。自殺がしたければ自分でやれ」


 しかし、興が削がれたというかのようにセラフィーネはそう言い放ち、ジークに対する興味を失った。


「おっと。なら、一応形だけでもやり合うか? ──来いよ、“月影”」


 ジークはそう言ってどこか力なく笑ってそう唱えると、いつの間にかその手に一振りの刀剣が握られていた。


 その刀剣は本来両手持ちで運用するべきだろう大きさのもの。しかし、それ以上に特徴的なのはその刀身が、月が浮かんだ夜空のように青白く光っていることだ。


「……魔剣の類だな。面白いものを持っている。少し興味が出たぞ」


 セラフィーネはジークのそれに興味を示し、僅かに赤い瞳を輝かせると彼女も何かを握るように右手を前に伸ばす。


 次の瞬間、セラフィーネの手に錆びて朽ちかけた一振りの剣が握られていた。セラフィーネはそれをくるりと回して構えるとジークに向けて獰猛な笑みを浮かべる。


「では、ジークとやら尋常に勝負と行こうではないか」


「ああ。あんたが俺を殺してくれることを祈るよ!」


 ジークは巨大な剣を片手で軽々と構え、準備運動のようにブンッと軽く振るうとセラフィーネに向けて突撃した。その突撃の速度は常人のそれを軽く上回っており、一瞬でジークはセラフィーネとの距離を縮めた。


「愉快! なかなかの猛者ではないか!」


 セラフィーネは口角を大きく歪めて笑みを大きくし、剣を振り下ろしてきたジークの攻撃を朽ちかけた剣で弾き、金属音が森の中に響き渡る。


「そっちもなかなかの魔女のようだ。これなら期待できるか……?」


 ジークは弾かれた大剣をすぐに構えなおし、次の攻撃を繰り出す。そこに身を守る防御というものは一切存在せず、ジークはひたすら相手を攻撃することのみに全力を注いで戦闘を繰り広げていた。


 攻撃。攻撃。攻撃。ひたすらな攻撃。捨て身とも言える攻撃。


 大剣の重量そのものを生かして繰り出される重たい攻撃を、セラフィーネは受け止め続ける。重々しい大剣の攻撃を受けても、不思議にも朽ちかけてるセラフィーネの剣は折れることなく攻撃を受け止めていた。


「愉快、愉快! だが、こちらからもそろそろ反撃と行かせてもらうぞ!」


 そう宣言したセラフィーネはジークの攻撃を弾いたのちに、朽ちかけた剣を指揮棒を振るように振り上げた。


 それとともにジークの頭上に現れたのは、無数の朽ちかけた剣と同じ刃。それがジークにしっかりと狙いを定め、錆びた刃が剣呑に輝く。


「なるほど。流石は魔女だ」


「まだ感心する余裕があるとはな。だが、それもここまでだ」


 セラフィーネは朽ちた剣を下に振るい、宙に浮いていた無数の刀剣がマティアスに降り注ぐ。ジークはそれを回避しようともせずに、ただ見上げていた。


 鮮血。


 無数の刃が次々にジークを貫く。肉の裂ける音が響き、腕を、足を、腹を、はらわたを、胸を、心臓を、喉を、眼球をセラフィーネが放った刃が貫いていき、その刃から鮮血が地面に滴っていった。


 そしてジークは動かなくなった。


「ふん。魔剣を使うとは面白いかと思ったが、所詮はこの程度か」


 滅多刺しにされて血に沈んだジークを見てセラフィーネはそう呟き、再び興味を失って彼の死体に背を向けた。


 しかし──。


「ちょっと油断しすぎじゃないか?」


 不意に死んだはずのジークの声が聞こえ、セラフィーネが目を見開いて振り返るのにその首にジークの青白く光る大剣が突き付けられた。


「そら、チェックメイトだ」


 ジークは血を帯びた衣類を纏っているが、傷自体は完全に消えている。確かに滅多刺しにされて、貫かれたはずの体からはもう一滴も血を流していない。


「……お前、何者だ?」


「言っただろう。俺はジーク。大層な身分ではない。ただ以前、邪神を倒したことがあるだけの男だよ」


「それはつまり……勇者ジークか……!」


 かつて世界を脅かした邪神を倒した勇者がいた。


 この世界を統べる神々に刃を向けた邪神は大陸中を戦争に巻き込み、大勢の地上の民が犠牲になっていた。


 その悪しき邪神を僅かな仲間ともに討伐し、英雄と、勇者と讃えられしものが生まれた──その名こそジークだ。


「ははっ! なんともはや! 私としたことが勇者ジークを見抜けぬとは……!」


「無理もない。俺の伝説は500年も昔の話。みんなとうに忘れちまった」


 セラフィーネが自嘲するように笑うのにジークも肩をすくめた。


「しかし、勇者ジークは人間だと思っていたが、どうして500年経っても生きている?」


「英雄神アーサーの気まぐれだ。俺を気に入った英雄神の気まぐれで不老不死にされちまった。俺は死のうと思っても死ねず、そのまま500年も無駄に生き続けて……」


「ほう。神による不老不死か」


「ああ。で、魔女ならば俺を殺す手段を知っているんじゃないかと思ったんだが、そこのところはどうだ、魔女?」


 あまり期待していなさそうにジークがセラフィーネに問う。


「あいにくだかそれには私でも力にはなれないな。だが、お前は面白い逸材だ。是非とも殺し合いたい。お前が死なないとしてもな」


「そいつはごめんだね。俺は痛い、苦しいは嫌いなんだ」


 そういうとジークは大剣でセラフィーネの首を刎ね飛ばした。


「はあ……。結局はここも空振りか……。……領主にこいつの首を持っていけば当座の生活費ぐらいにはなるか……?」


 斬り落とされたセラフィーネの首を見てジークはそんなことを呟く。


「おやおや。そちらも随分と油断しているではないか」


「なっ……!」


 そのセラフィーネの首がにやりと笑ったかと思うとジークの心臓をセラフィーネの体の方が握っていた朽ちた剣が貫く。そして素早く引き抜かれたあとの傷口から鮮血が吹き上げ、ジークは目を見開いた。


「なんてこった……。まさか、あんたも……?」


「そうだ。私はセラフィーネ。そして──戦神モルガンの寵愛と気まぐれを受けて不老不死になった魔女だ」


 セラフィーネは首だけの姿でそう宣言したのだった。


……………………

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