第十四話:裏切り者の木札と、魂の清浄

水守みずもりのみやの宮の訓練場。美咲は、碧斗あおとが残した木札と、くのかいノ会が代々伝えてきた古い文書の写しを握りしめ、言葉を失っていた。


くのかいノ会が…私たちと同じく、穢れと戦う者だった?」


その真実が、美咲の心の憎悪を打ち砕き、新たな混乱と動揺をもたらした。一葉いちようの冷酷な瞳の裏に、自らの命が削られている焦燥があったことを理解したのだ。


碧斗あおとくんは、一葉いちようくんを、そして私たちを救おうとしてくれたんだ…!」


その時、異変を察知した水守 みずもり じんが、訓練場に駆け込んできた。


「龍神様!誰か侵入者がいましたね!匂いが残っている!」


美咲はすぐに木札と文書を隠した。碧斗あおとが裏切り者としてくのかいノ会に追われることになるのを、美咲は望まなかった。


「…大丈夫。猫よ。ただの野良猫」美咲は平静を装った。「それより、みそぎは?」


じんは疑いの目を向けたが、美咲の装束の乱れと、彼女の瞳の奥にある強い光に、追及を断念した。


みそぎ様は、地下水脈の封鎖解除の方法を探っています。しかし、禁呪と穢れの二重の層を破るには、水龍様ご自身の清浄化の力が必要だ、と」


「わかっているわ。だから、私は『自浄(じじょう)』を完成させる」


美咲は、碧斗あおとがもたらした真実によって、憎悪と絶望を一時的に脇へ置くことができた。彼女の心の中に生まれたのは、「敵を討つ」ことではなく、「この悲劇の連鎖を断ち切る」という、より大きな使命感だった。


美咲は、再び水鏡の前に座り、目を閉じた。


体内の生命力を探る『自浄』の訓練。昨日までは、禍津まがつの囁きと、自分の心に巣食う憎悪によって、光を見つけることができなかった。


しかし、今は違う。


一葉いちようくんも、碧斗あおとくんも、穢れと戦っている。くのかいノ会が背負っているのは、私たちを殺す使命なんかじゃない。彼らが命を削っているのは、辰砂しんしゃの穢れを解毒し続けているからだ)


美咲の意識は、体内の最も深い場所に到達した。そこには、過去の絶望や憎しみによって覆い隠され、澱(おり)のようになっている彼女自身の『魂の清浄』があった。


『無駄だ。お前は穢れだ…』


禍津まがつの声が、美咲の頭を割るように響く。


美咲は、その声に感情を揺らさなかった。憎悪を向けず、ただ静かなる意志をその穢れに向けた。


「私は松永美咲じゃない。私は、水龍の力を持つ者だ。私の力は、穢れを断ち、世界を清浄にするためにある」


美咲の心臓から、微かな純粋な光が発せられた。それは、彼女の体内に長期間滞留していた、自己嫌悪や家族への諦めといった穢れを、水蒸気のように蒸発させ始めた。


シュウウウ…


美咲の装束から、かすかに白い湯気が立ち上る。それは、肉体的な浄化が始まった証拠だった。美咲の顔に、血の気が戻り始める。


「…成功だ!」


みそぎが震える声でつぶやいた。美咲は、外部の水源を必要とせず、自らの生命力だけを源泉として、力を生み出す術を、ついに見つけ出したのだ。


その頃、辰砂しんしゃは街の水道中枢で、笑みを浮かべていた。地下水脈の汚染は順調に進み、街の水は時間の問題で叢雲の支配下に置かれる。


「水の源が絶たれれば、水龍の器は自滅する。くのかいノ会も解毒に耐えきれず、勝手に死に絶える」


全てが計画通りに進んでいる。しかし、彼の目の前のモニターに、美咲の水守みずもりのみやの宮で、一瞬だけ清浄な水の反応が観測されたというデータが表示された。


「…まさか、この状況で自浄じじょうを覚えたというのか?小賢しい」


辰砂しんしゃは、計画を早めることを決意する。


美咲の『自浄じじょう』の完成は、くのかいノ会と叢雲むらくも、両方の敵にとって予期せぬ事態だった。美咲は、自身の清浄化じじょうかの力を手に、次の決戦—汚染された地下水脈への再突入を決意する。

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