九.懇願

「確かめたいことが幾つかある」

 頼光が屹と言った。

「なんなりと」

 朱点は大きく頷く。


「広場での言だが、どうにも貴殿配下の者にも聞かせたくない事情があると見えた。違うか?」

 頼光は真っ直ぐに訊いた。

 訊いてから、荊姫がいることに気づき、はっとする。

「こちらの姫は大丈夫です」

 頼光の焦りを朱点は笑い飛ばした。


「さすがは頼光はん。ようお解りで」

「聞かせてはくれぬか?」

 朱点は頼光と綱の眼を覗き込み、少し考えてみせた。

 意は決まっている様子。やや勿体をつけてみせているのかも知れぬ。

「私の願が成就するまでは、すべてがすべてお話する訳には参りまへん。それでよろしければ……」

「うむ」

 頼光は深く頷いた。


「私らの今までの行い自体が決して赦されるもんでないことは、重々承知しております。その前提でお話を聞いていただきとうございます」

 殊勝な物言いではある。

「元より西京辺りの治世は良いもんではなかったようですが、十年程前に大原野近辺のとある荘園で荘官の代替わりがあってのち、状況はえらく酷いもんになったと聞きます」

「えらく前の話……。西京で賊が暴れ始めたと噂が出始めたのが四、五年前と聞く。それよりももっと前のことが貴殿の行動に関わっておると?」

「そうなりましょうか」

 朱点は息を整える。


「当時の荘官が急逝した故、その娘婿が新たな荘官に任ぜられたと聞いとります」

「ふむ。世継ぎで任を命ざれることはよくある話」

 頼光は小さく頷く。

「さよです。が、この娘婿、素性がよく判らぬ上、殺生、略奪を屁とも思わん輩。当の荘園は勿論、近隣周辺の公領、荘園にも、刻には押し入り、また刻にはそれらの郡司やら荘官やら、或いは査察に訪れる検非違使ら役人も懐柔し、己の思う通りに動かせるように取り込みよりました」

「なんと? そのような動きがあったと?」

「その勢力範囲は、北は沓掛、南は乙訓の天満宮近くまで。東は少のうとも桂川に至る辺りまで抑えとります」

 相当な範囲である。

「乙訓全域を私領にしておると?」

「私領っちゅうか、まあ同盟みたいなとこもあったみたいですが……」

 頼光は頭を振る。

「そのような動きがあれば、天朝にも届いておるだろうに……」

「そらまあ、訪れる役人が片端から懐柔されてたようですし、有耶無耶にされとるでしょう」

 朱点は小さく溜息を漏らす。


「して、その荘官の婿の目的は? そこまで大きく勢力を広げる行為、単に私財を肥やすことのみとも思えぬ」

 頼光は首を傾げ、綱を見遣る。

「まず持って、事実かどうか判りませぬ」

 綱は冷静に答える。

「まあ、正面から信じるのは難しいことですわな」

 朱点は微笑んだ。その朱点を見て、綱も微笑む。虚言を弄しているようには見えない。


「事実だとして……」

 綱が考察する――。


 暴虐非道。一方で役人らを懐柔する姑息さを併せ持つ、素性の判らぬ男。

 その男が確実に領土とも言える地域を広げる先に何があるか。頼光の読み通り、単に私財を肥やすことを目的としたものではないのは明らか。

 領地を広げる為には、それなりの知恵と、相応の武力が必要だろう。

 検非違使辺りも懐柔しているということから、中央にも通じた人物がいるやも知れぬ。策を与えたり、指示を出しているのはもしかするとその中央の人物かも知れぬ。

 領地の中には、武人崩れや野盗なども多数囲っている可能性まで読めてくる。


「謀反か……」

 綱は呟く。

「ポン!」と朱点は手を打った。

「綱はん、ええ読みです。まあ、事実かどうか、ほんまのところは判りまへんが……」

 朱点は口許を歪める。

「少のうとも、荘官の婿は周囲の公領、荘園を己の領地のように抑え込み、あちらこちらに己の手下を送り込んでおるのは事実。集めている武人や野盗連中の数も千人そこらでは収まらん程にはなっとると思われます」

「そのような国を転覆させかねぬ所業、反抗する公領や荘園もあると思うが……」

 頼光は頭を抱える。

「力ずくでも言うこと聞かんとこは、嫁入り婿取りと称して、実際には人質を獲っとるようです。まあ、それ以前に何人もの荘官らが急に亡うなったりはしてますがな」

 朱点はまるで日常のできごとかのようにさらりと言う。

「貴殿は? 貴殿にも都に通じる者がおると申したであろう? その者を通じて、朝廷に申告することはできなかったのか?」

 頼光は問う。

「朝廷の中にも彼奴の息の掛かる者がおりますよってに、そない簡単には参りまへん」


 頭を振る朱点に、頼光は重ねて問う。

「翻って、貴殿とその荘官の婿との間で何があったのか、それを聞いておらぬが……」

 朱点は、「ふむ」と顎を撫でる。

「今言えるのは、仇ということ」

 小さく、然し確りと吐き出す。

「……」

 頼光は言葉を無くす。

「彼奴は私にとっての仇。正直、私にとっては国だの謀反だのっちゅうのはどうでもよろし。仇故に、彼奴がのうのうと生きておるのが許せんのです」

「私恨ではないか?」

 頼光は眉を顰める。

「どうとでも。切欠は彼奴の横暴。踏み躙られた者が状況を正そうとすることを私恨と片付けられるのであれば、それまで」

 朱点はきっぱりと答える。

 頼光は言葉に詰まる。


「詰まり、彼奴の狙いを阻止するため、彼奴の息の掛かる西京周辺の公領、荘園を襲撃してきたということか……」

 頼光は朱点の絵図を想像する。

「まあ、そんなとこです」

「然し、身内に手に負えぬ者も出てきた、と?」

 朱点の顔を読む。表情は変わらない。

「恥ずかしながら……。恐らくは、こちらの動きを読んだ荘官の婿が送り込んだ者もおると思うとります」

 朱点の言葉が、頬傷男の顔を想起させる。

「仔細判らぬが、敵方が紛れているとすれば難儀なことであるな」

 頼光はざらりと顎を撫でた。


「ひとつ、よろしいか?」

 綱は頼光に乞うた。

 綱の問いに、頼光はただ頷く。同時に朱点も頷く。

「朱点殿、貴殿病の身ではないか?」

 その言葉に、朱点はやや卑屈な笑いを浮かべた。

「隠せませんなあ」

 朱点は己の右の脇腹辺りを掌で押さえた。

「ここら辺がどうにも言うことを聞かんようになってきましてね。最近では膂力もめっきり落ちてしまいました」

「矢張り」

「薬師が言うには、然程長うは生きられんそうです」

 朱点は自嘲する。

「そのような体調、そしてまた配下に敵方の信頼おけぬ者が紛れている状況では、貴殿の願を成就させるのは並大抵のことではなさそうだが」

 頼光はまるで同志のような口振りで言った。


「そこで、頼光殿にふたつお願いがございます」

 屹と朱点が両の膝を突き、両手をその前に伏せた。そのすぐ横で荊姫もまた正座で頼光に向かった。両名が突然姿勢を正したことで、頼光と綱は面喰らった。

「己のこの身、恐らく余命幾月もありまへん」

 朱点は何の躊躇いもなく言った。

「放っておいても長うない命。今、この刹那にこの首獲られても痛うも痒うもありまへん」

「むぅ」

 朱点の覚悟は深い。押されて頼光は呻いた。

「ただ……」

「ただ?」

 頼光より先に綱が訊き返した。

「己の亡き後、この里で預かった童ら、そしてここに居る荊姫の命運だけが気懸かりでございます」

 朱点の言葉に荊姫が深々と頭を下げた。


「どないでしょう。この首差し上げますよって、童十六名と荊姫、それと真の同志である久万くま干隈ほしくまの二名、合わせて十九人の者を西に逃がしてやってもらいたい」

 予期せぬ申し出にふたりは言葉を失った。

「頼光殿が私の首獲ったとなれば、私への忠誠がない連中であっても、自らの危機であることは察するでしょう」

 頼光も綱も「ふむ」と答えるのが精一杯である。

「連中は即座に頼光殿らを討ち取ろうと、刃向かってくることは必至」

「……」

「そこを頼光殿とその四天王の力を持って、一網打尽に壊滅させていただきとうございます」

「なんと?」

「統率のない野盗連中如き、頼光殿らの前では敵ではあらしまへんですやろ? 刃向かってきたことを理由に、是非……」


 綱は呆気に取られていた。

 敵が紛れ込んでいるかも知れぬとは言え、今まで共に行動してきた者達。中には朱点に対して真に忠義を示す者も少なくないだろう。

 それを自らの生命と引き換えに壊滅させろと言う。

 この男の考えていること、まるで核心が掴めない。掴んだかと思えば手の中に何も残らない、川の底の砂を掴もうとするかのようである。


「他の者はすべて信頼おけぬ者ども、ということか?」

 頼光はやや気に入らない様子。

「私の真の姿、真の願を知るのは、ここでは荊姫と久万、干隈の三人のみ。それ以外は『朱点』の名に惹かれて集まってきた有象無象の野盗達でございます」

「仲間ではあらぬと?」

「仲間……と呼ぶには関係が希薄過ぎます。荘官婿の手の者以外であっても、連中は何かあればいつでも私の首を獲りとうてしょうがないもんばかりです。『朱点』の首獲れば……」

「名が挙がる……と?」

 綱が朱点を睨む。

「どうでしょうな? そうかも知れまへんし、そうやないかも知れまへん」

 朱点は惚ける。

「我らが聞く朱点は、過去にも平伏の命が下ったことがある程の悪党。野盗連中の間ではそれなりに名が通っていても不思議ではあるまい」

 綱は野盗らの考えを読む。

「その首獲って名が挙がることの謂れが解りまへんな」

 朱点は相変わらず惚ける。

「名の通る悪党の首獲ることは、その悪党を上廻る悪党と為すということ……なのでは?」

「なるほど、面白い」

 綱の論に朱点は手を打った。揶揄われているのかとも思う。

「何なら、その首を土産に天朝に己を売り込むっちゅう手えもありますな。いずれにせよ、この首、悪党連中にとってはある意味お宝、っちゅうことですやろか?」

 朱点は己の細首を軽く叩きながら、他人事のように言った。


「仲間であれば……」

 朱点が改めて頼光に向き直った。

「その仲間を見殺しにするような行為、頼光殿やったら赦しがたいことでございましょう?」

「好かぬな……」

 頼光の顔は曇っている。

「誓って申し上げますが、彼奴らは自らの益になるかならぬか、損得でしか物事を測れぬ者ばかりでおます。私も最初は我らの力になる者として、心強さを感じたりもしてました。然し、結局裏切られ、謀られ、躰も心も傷つけられ、っちゅうことを繰り返して繰り返して、今に至ります」

「むう……」

 頼光は唸る。

「今いる連中もすべて同じです」

 朱点は断じる。

「貴殿の名に憧れて来る連中であれば、真に力になろうとする者も少なからず居る筈。貴殿、曇りなき眼で向き合っておると言い切れるか?」

 頼光は厳しく説く。


 朱点は天井を見上げ、ふうと大きく息を吐いた。

「頼光殿は甘うおます。野盗風情、同情に値しまへん」

 頼光は呆気に取られた。野盗の頭目が言う言葉ではあるまい。

 朱点は頼光の戸惑いには構わず、続けた。

「野盗は野盗。武士崩れもおるでしょうが、一度野盗に身をやつした者は、もうただの野盗です。武人としての矜持は何処かに落としてきてしもてます」

 頼光は言葉を無くす。

「救いようがない連中なんですわ……」

 朱点は、最期に寂しそうに呟いた。

「どうか、頼光殿のお力で、彼らを根絶やしにしてやってもらえまへえんか?」

 朱点は深く頭を下げた。

「むう」

 頼光は唸るばかり。


「今、頼光殿が私の首獲らずとも、恐らく然程間を置かず、天朝は討伐の大軍をここへ遣わすでしょう」

 朱点は低く言った。

 それは、耳に届くというよりも、床に座する尻から入り、躰全体に染み入るような声だった。

「大軍が攻め入るとなれば、この里が混乱するのは必至。童ら含め、誰ひとり生き残ることはおまへんでしょう」

 朱点の言うことは、綱でも容易に想像できる。


 頼光が手ぶらで都に戻れば、天朝は容赦なしに大軍を投入することであろう。朱点側が態勢を整え直す前に一気呵成に殲滅することが目的だ。

 仮に朱点のみを都に連行したとて、残党が頭首奪還を謀ろうとすると、朝廷は読む。都に戦の場が広がることを避ける為、残党壊滅の命が下ることは確実だろう。

 大軍が攻め入れば、童であろうが野盗であろうが区別はない。

 攫われた童が生きながらえている旨を頼光らが報告したとて、人質を無事に救出した上で野盗を壊滅させる戦術をとれるような知恵者が討伐に任命されるかどうか怪しいものである。

 逃げ道を無くした野盗らが、童らを盾にすることも充分考えられるだろう。

 或いは、逃亡の足手纏いになる童らは早々に野盗らに斬って捨てられるか……。


「私は、童らと私の同志だけは生き延びさせたいんです。非道と思われるならそれも甘んじて受けましょう。然し、彼らは生き延びねばならんのです」

「貴殿の首獲ったとしても、この隠れ里のこと知られれば、いずれ都から別の派兵により攻め込まれると考えられまするが……」

 綱が問う。

「そこです」

 朱点はにやりと笑う。

「仰る通り、この里の存在が明るみになり、生き残りがいるとなれば、朝廷は放っておかんでしょう。っちゅうことで、この里を終わらせて欲しいんです」

「我らの手で朱点の首を獲り、里を壊滅させることで、朱点一味はすべて滅んだとしたい訳か?」

 朱点は大きく頷く。


「是非に……」

 朱点は座を正し、深く辞儀をした。

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