第7話 真言律宗

 翌朝、野口さんのアルファードに乗り、西大寺に向かった。

 西大寺。奈良県人なら知らぬものはいない名称である。

 しかし、近鉄の駅名としては知っていても実際に寺に入ったことある奈良県人は果たして何人いるであろうか。

 祐一も例に漏れず、西大寺という名前の寺が本当にあったことにすら感動したレベルであった。

 車を降ると、むっとした湿気に祐一は顔をしかめた。

 野口さんは道路に面した寺の門をくぐり説明した。


「西大寺の歴史は1300年前の奈良時代にまで遡ります」


「そんなに古い寺だったんですね」


 祐一は、だだっ広い境内を眺めて言った。


「えぇ。名前のとおり、東大寺と対になっているお寺で、東大寺を建立した聖武天皇の娘の孝謙天皇が建立したのが西大寺です」


「娘が天皇になるんだ」


「古代には割と何例かあります。皇位継承などで揉めた時に中継ぎする感じで…」


「へぇ…」


「孝謙天皇は、父親の聖武天皇の影響もあってと思いますが、非常に仏教を深く信仰されて西大寺を建立しました。大仏こそはなかったものの、当時は本当に東大寺に匹敵する壮大な伽藍を持つ寺院だったと言います。しかし、のちに西大寺は衰退してしまい。今は創建当時の姿はほぼ見る影がありません…」


 たしかに、東大寺とはだいぶ雰囲気の違う寺だった。素人の祐一にもそれくらいはわかる。


「その西大寺を救ったといいますか、鎌倉時代に西大寺に入り復興したのが叡尊(えいそん)上人です」


「出ましたね、その名前…」


「えぇ。まずは、本堂をお参りしましょう」


 二人は境内を歩き、ひときわ大きな建物に入った。もちろん、東大寺の大仏殿とは比べものにはならないが、それでも、金玉寺の本堂と比べたら立派である。あれはさらに小さいし、もっとみすぼらしい。


「うわぁ、なんかすごい」


 本堂の中は、小さな灯篭が所狭しと置いてあり、幻想な雰囲気だった。

 野口さんが正面の仏像に手を合わせた。祐一もそれに倣って手を合わせた。本堂の中を奥に進むと、おじいさんの像があった。


「これは、たしか…」


「こちらが叡尊さんです」


「ほぼ同じのが金玉寺にもありました…」


「えぇ。真言律宗の寺には必ずあると思います、開祖ですからね」


 祐一は、改めてその像を見た。

 威厳があるというよりは、むしろどこか親近感が湧くような…。あごをひき、なにかを見据えるようなそのまなざし。そして、なんといってもその長いまゆげ。まなざしとは対照的に垂れ下がったまゆげが独特の雰囲気を醸し出していた。


「叡尊さんは、現在の大和郡山の出身で、父親は興福寺の学僧だったといいます。元から仏教には深く関係があったんですね。7歳の時に母親と死別し、親戚に養子に出されます。しかし、その養子先の母も亡くなり、次の先の家が醍醐寺と関係が強かったため、必然というか、導かれるように仏の道に入っていったそうです。やがて、高野山で真言密教を学び、修行を重ね、奈良の長岳寺の僧から真言僧として認められます。叡尊さんは、空海の“戒こそ最も大事とする”という言葉に感銘を受けていたそうで、戒というのは、僧侶が守るべき戒め、掟のようなものですが、それをまさに法律のように体系化したのを戒律といいます。当時、世の中が飢饉により、餓死、疫病、強奪が起こり、さらにその墜落ぶりは仏教界にも派生していたようで、そのような状況にも関わらず怠ける僧が多かったことから、叡尊は、今こそ戒律を守り、本来の僧侶で姿であらねばならぬと志を持ち、西大寺にて真言律宗を立ち上げたそうです。叡尊35歳の時だったといいます」


「おれと同じ歳だ…」


 当時の35歳というのが、社会的にどういう風に思われていたかはわからないが、その歳でなにかを起こそうというのには、それなりのパワーが必要であったであろう。


「叡尊さんの戒律復興への活動は、なかなかはじめは世間からも認められず、特に地頭(じとう)。今でいうところの役所の人間みたいな者たちから、かなり嫌がらせのような行為も受けたそうで、一時的に西大寺から離れ、近くの海龍王寺で活動を続けたと言います。その後、叡尊さんの熱心な講義で、徐々に弟子も増えていきますが、それを好ましく思わない僧侶もいたそうで、落書きや矢を放たれるなどしたため、結局西大寺に戻ることになったといいます」


「…ロックな人生ですね」


「ははは。松岡さんおもしろい発想しますね。でもまぁ、たしかにそうですね」


 祐一は頭を掻いた。褒めてもらえて少し優越感に浸った。


「でも、仏教の戒律を守るということは、淫らな行為をしないということなので、少しロックとは違うかもしれませんね。あとは殺生をしない、盗みをしない、嘘をつかない。まぁ、このあたりは共通でしょうが…」


「むっ…」


 祐一は唸った。盗み、もちろん殺生はしたことはないが。淫らな行為…。


「叡尊さんは宇治川にかかる宇治橋の修繕もしていますが、不殺生の誓いがあって、その際に、宇治川で漁をいとなんでいた漁師に漁をやめさせます」


「それは、酷い」


「しかし、その代わりにお茶の栽培を教えたといい、それが今の宇治茶になっているといいます」


「へぇ~」


「西大寺では有名な行事があって、大茶盛といわれる大きな茶碗でお茶を回し飲みするものなんですが、これは、当時貴重だったお茶を叡尊さんがお寺に訪れた一般の人々にも振る舞ったのが始まりといいます。このような社会事業や慈善活動、インフラ整備というのは、本来の僧侶に立ちかえれば必然と行われることだったはずなんでしょうが、飛鳥、奈良、平安時代と時代が移ろいでゆくうちにやがて仏教も形骸化していたようです。それを鎌倉時代になって、もう一度原点に戻ろうとしたわけですね。そのような叡尊さんの元に集まった僧侶。叡尊教団でもいうべきでしょうか。特に、叡尊さんが慈善救済活動に力をいれたのには、弟子になった忍性さんの影響が大きかったといいます」


「出ましたね、その名前」


「えぇ、今回7月12日に行うのは、その忍性さんの遺徳を偲ぶということになるのですが、真言律宗、もとい、叡尊さんを語る上でも忍性さんは欠かせません。忍性さんについて詳しくは、次に向かう般若寺で語りましょう」


「わかりました」


「あっ、その前に、西大寺の住職さんにご挨拶しておきましょう」


 ということで、野口さんの紹介というかたちで祐一は西大寺の住職と挨拶を交わすことになったが、なんだか非常に申し訳ない気持ちになった。尾尚文が大けがをしたことを伝えると住職は驚いたが、野口さんが、まるで祐一を跡取りのように紹介したので、「それは金玉寺さんも安泰ですな」と喜ばれてしまった。

 いや、さすがにそれは違うと、祐一は否定しようと思ったが、そんな雰囲気でもなく、結局「よろしくお願いします」と頭をさげるしかなかった。

 般若寺へと向かう道中の車内で、祐一は野口さんに訴えた。


「あの、あくまでも僕は一時的であり、あの寺を継ぐとかそんなつもりは…」


「もちろん、わかっていますよ」


 野口さんは当たり前のように笑った。


「でも、いろいろ事情を説明するとめんどうですし、寺を任されているのは間違いないわけですから、まぁいいじゃないですか」


 まぁ、そう言われれば、たしかにそうなのであるが、どうも納得しかねた。案外、野口さんは見掛けによらず強引な人なのかもしれない。





 しばらく車は走ると国道から路地に入り、左右を住宅に囲まれた狭い道を走った。


「ここは昔の旧街道ですね。京街道につながり、昔は京都に向かう場合はこの道がメインストリートでした。なので、要するにこの場所が歴史の舞台になるのは、必然だったわけですね」


 野口さんそう説明したが、祐一にはなにが必然なのかわからなかった。

 ともかく、そのローカルな街並みを眺めた。ところどころ、たしかに古い建物が視界には入り、国道っていうよりは、街道って雰囲気ではある。しばらく行くと、“般若寺”と大きく書いた看板が目に入った。


「到着です」


 アルファードが駐車場へ入った。

 般若寺の境内に足を踏み入れると、祐一は勝手に名前からどこかおどろおどろしい雰囲気をイメージしていたが(般若のお面の印象のせいだろう)、落ち着いた雰囲気のお寺だった。境内の広さは、金玉寺といい勝負かもしれない。そう思うと、先ほどの西大寺はたしかに境内は広かった。一口に奈良の寺といっても、各寺なりのカラーというか、特徴があるらしい。まぁ、金玉寺はただ廃れているだけだと思うが。


「般若寺さんは、別名コスモス寺とも呼ばれて、秋には境内が一面15万本のコスモスで咲き乱れます」


 たしかに緑が多く、花が咲けばかなり壮観になろうことは想像することはできた。


「あれは?」


 と、祐一は、本堂の正面に立つ石の塔を指さした。


「十三重石宝塔ですね。供養塔のようなもので、お寺ではよく見かけますが、般若寺さんのは全国的に見てもかなり大きく立派です。重要文化財にも登録されていますよ。鎌倉時代に造られて、当時の中国の栄(えい)からきていた石工職人の伊行末(いぎょうまつ)が手掛けたと伝えられています」


「へぇ~」


「あと、拝観入口は別でしたが、本来のお寺の入口はあそこの楼門で、鎌倉時代のものとしては唯一残る遺構として国宝に指定されています」


 祐一は振り返り、そのまるで、飛び立つ鳥を思わせる門を見た。

 重要文化財に国宝…。全然、金玉寺より凄いじゃないか。

 先ほど、曲がりなりにもあの幽霊寺と比較しようとした自分を恥じた。


「では本堂をお参りしましょう」


 野口さんに促され、靴を脱いで本堂にあがった。

 正面で手を合わせると、


「般若寺さんの本尊は、文殊菩薩像です。獅子(しし)に乗っていますね」


「文殊菩薩…。金玉寺の本尊と同じ…?」


「えぇ。真言律宗の寺では大切な本尊です。文殊菩薩は知恵の菩薩といわれて、三人寄れば文殊の知恵なんて言葉もありますが、叡尊さんたちと、とても関係が深いんです」


 横に移動すると、またあのまゆげボーンの叡尊の像があった。


「般若寺さんも、創建を遡ると奈良時代までなるようで、聖武天皇が平城京の鬼門を守るためこちらに大般若経を納めたのが始まりとされていますが」


「でましたね。聖武天皇」


「縁起的な話でいえば、金玉寺さんと似ていますね」


「まぁ一応たしかに…」


「般若寺さんも創建は奈良時代に遡りますが、先ほど言いましたように、ここは京街道から奈良への入口のような場所で、数々の戦火に見舞われる舞台にもなりました。なので、創建当時の面影は現在ではないのですが、特に、平安時代の平重衡の南都焼打ちで焼失して以降、廃墟同然になっていたのを再建したのが叡尊さんというわけなんです」


「なるほど」


「叡尊さんが再建したことで、ここは真言律宗の寺として、この地域の拠点になっていきます。この地域には、もともと非人と呼ばれる、社会から迫害を受けた人たちが集まる場所があったといいます…」


「ひにん?」


「えぇ。今ではそれだけでも差別用語だと言われそうですが、特に病人ですね。ハンセン病患者は、当時不気味な穢れの存在とも思われたのでしょう、そういう人たちは村から追い出され、行くあてもなく、当時の都市であった奈良や京都の寺や神社の坂下に集まってきたといいます。非人集落と言って、この般若寺と京都の清水寺には二大非人宿があったのは有名です。酷いのは、僧侶たちからも迫害を受けていたようで、そこに救済の手を差し伸べるのが叡尊さんたちなのです。特に、その弟子の忍性さんですね」


「かっこいいですね」


「えぇ。今でこそ、ハンセン病は空気感染しないとわかっていますが、まぁ、当時の人には怖い部分もあったのでしょう。忍性さんは、そのハンセン病患たちを自ら背負って、この地を往来していたと逸話があります」


「ええ~」


 思わず祐一は顔をしかめてしまった。


「忍性さんも奈良出身の僧侶で、現在の三宅町あたりで生まれました。16歳の時に、近くの額安寺(かくあんじ)というお寺で出家をしますが、それは忍性さんの将来を心配した母親を安心させるためだったといいます。死の床に伏した母親が、忍性さんに僧侶になることを勧めたそうです。とはいえ、あまりこういう言い方は正しいかどうかはわかりませんが、忍性さんは秀才タイプではありませんでした。僧侶というと、今はどこかお葬式を行うお坊さんというイメージですが、当時は学者でもあり医者でもあり哲学者でもあり超インテリでした。忍性さんは必死の修行を行いますが、自分にはそういった、偉大な功績を残せるような僧侶になれるとは思わなかったのでしょうね。徐々に、自分に出来ることは人々を救済することであると考えはじめ、叡尊さんの噂を聞いた忍性さんは西大寺に入ります。忍性さんは、深く文殊菩薩を信仰をしていました。先ほども言ったように、文殊菩薩というのは今の学問成就の知恵の仏さまというより、そのような社会的な弱者や苦悩している人に、実は文殊菩薩が人の心に慈悲があるのか試すために化身で現れているという考え方があったというのです。これは文殊経に由来することなのだそうですが、叡尊さんもこの忍性さんの文殊菩薩信仰に影響を受けます。そして、救済活動、慈善活動に力を入れることになるんですね。しかし、今のわれわれが考える慈善活動という意味合いとは少し違うというか、もちろんそのような側面もあるのでしょうが、むしろ文殊菩薩への修行と考えていたということなんです。なので、まったく、なんの見返りも求めない」


「…そんな凄い人たちが奈良にいたんですね…」


 祐一は素直に驚いた。


「えぇ。しかも、約800年前の話ですよ」


 野口さんはうなづき、本堂から外陣の縁側部分に出た。そして、脇に置いてあったなにか石の破片のようなものを祐一に見せた。


「踏み蓮華石と書いてありますが、松岡さんわかりますかね。これ、要は文殊菩薩の乗っている獅子の足の部分なんです」


「えっ!」


 ご丁寧に説明板に写真も添えてあったので、祐一にも理解できた。


「めちゃくちゃデカくないですか!?」


 破片とはいえ、持ち上げるのは難しそうな石の塊だった。これが足元の蓮の花びらの一部としたら、その上の足、および獅子は相当な大きさになることになる。


「元は、このような叡尊さんによる丈六の文殊菩薩像がこの般若寺さんにはあったそうです。しかし、それは戦国時代の松永久秀の戦火で本堂とともに焼失してしまって、現在はこの足元の破片だけが残っている状態です。この上に、巨大な木造の獅子の足が乗り、文殊菩薩像があったわけです。形式は、先ほど本堂内で見た文殊菩薩像と同じでしょうから、なんとなく姿は想像できますよね。ちなみに、桜井市の安倍文殊院というお寺に、鎌倉時代の快慶による文殊菩薩像が残っていて、それが約7メートルの高さがあるので、ほぼ同じ大きさだったと思われます」


 祐一は、いきなり7メートルとか言われてもピンとこなかったが、逆に今目の前にないだけに、想像したらとてつもない大きさに思えた。

 その後、また野口さんの紹介で、般若寺の住職と祐一は挨拶を交わした。

 住職は、「金玉寺さんにこんな若い方がいらっしゃったんですね」と喜んでくれたが、祐一はますます申し訳ないような、情けない気持になった。

 そうして寺を後にし、少し車で移動すると、野口さんが道路わきに車をとめた。


「こちらが北山十八間戸(きたやまじゅうはちけんこ)といって、忍性さんらが救済したハンセン病患者たちの療養施設の遺構です。といっても、これは当時のものではなく、江戸時代の再建ですが、このような遺構が残っていることが、この場所の意味を伝えていますね」


 野口さんが説明するように目の前には、白く長細い建物が建っていた。奈良なら、こんな古めかしい建物はどこにあっても珍しくないというイメージがあるので、言われなければ目も止めないであろうが、さすがの祐一も感慨深く眺めた。


「松岡さん、お腹すいたでしょ?近くにお蕎麦がおいしいお店があるんです、向かいましょう」


「あっ、それは、すごく助かります」


 まさにそれは天の言葉であった。それこそ祐一には野口さんが仏に見えた。

 蕎麦屋に入り、蕎麦が出てくる間、野口さんが訊いてきた。


「松岡さん、どうでした?叡尊さんのことは理解できましたか?」


「えぇ。なんとなくではありますが、正直ちょっと感動しました」


「それはよかった!まぁ、あくまで僕は専門家でもないので、ガイド的な話しかできないので、また詳しくは図書館などで調べてみてください」


「いえいえ。逆に僕は専門的な話をされても理解できないと思うので、野口さんみたいにかみ砕いて教えてくれた方が助かります」


「それはよかった…」


 野口さんは本当に嬉しそうな顔をし、出てきた蕎麦にさらに目を輝かせると、ズルズルと蕎麦をすすって食べた。

 祐一も、久しぶりに見るまともな食事に、腹がまるで悲鳴をあげるように音をあげた。

 食べ終わると、人生で一番おいしい蕎麦だったかもしれないと、ちょっと涙が出そうにすらなったほどであった。





 帰りに野口さんと共に、尾尚文の入院している病院に寄った。

 野口さんが今日のことを報告すると、尾尚文は「うむ」と唸った。

 そして、祐一のことを見て、


「叡尊上人と忍性さんを偲ぶ心があれば、おまえにもできる。おまえなりにやってみよ」


 と、C3POみたいな顔で言った。

 しかし、祐一は納得できないかのように唸り、


「そんな精神論なんていらないんだよ。おれは寺のことなんてなにも分からないのに、一体なにをすればいいのか具体的に言ってくれ」


「誰でもはじめはなにも知らんのじゃ、だからこそ学ぶのじゃ」


「学ぶって今更…」


 祐一は今更35歳にもなって…と言いかけて、言葉を飲んだ。

 叡尊は35歳で西大寺を再興したという。むしろ、そこからが叡尊の人生の本番だったわけである。いや、おれは叡尊とは違うし…。でも、なにか祐一の中で感ずるものがあったのも確かだった。


「本当におれなりでいいんだな?」


 祐一は再度念をおした。

 尾尚文は答えなかったが、返事がないのが返事ということだろう。

 そのあと、金庫の暗証番号を聞き、病院をあとにした。

 金玉寺に着くと、


「今日はいろいろありがとうございました」


 と野口さんに頭を下げた。


「いえいえ、またわからないことがあったらなんでも聞いて下さい。まぁ、叡尊さんについては尾尚文さんの方が詳しいと思うので…」


「いや…、それはいいです」


「まぁ、尾尚文さん、しゃべるのも辛そうでしたもんね。わたしでよければ力になります。ぜひ忍性忌を成功させましょう」


 野口さんはそう明るく言うと帰って行った。

 祐一は一人で境内に上がり、母屋の尾尚文の部屋に入り金庫をあけた。

 中には、500万円が現金で入っていた。


「なんと…」


 祐一は数秒その札束を凝視してから、まるで自分の感情を打ち消すかのように、強く金庫の蓋を閉めた。

 これは、自分が試されているのであろう。

 悪魔の囁きが聞こえなかったといえば嘘になる。

 …しかし、一体自分にできる。

 今までただ音楽に身を捧げ、なにも得ることのなかった人生。世間に還元するといっても、そもそも自分がなにも得てないじゃないか。

 ここで逃げることは簡単であろう。ただ、ここで逃げてしまえば、それこそ自分の人生は終わりである。もう、二度とまともな生活は送れない。

 祐一は仰向けになって、目を閉じてじっと考えた。

 おれにできること…。おれにできること…。

 時計の振り子の音だけが聞こえた。静寂の闇に規則正しく時を刻む音。そう、これはまるでメトロノームのクリック音だ。人生のクリック音。自分たちはこの音を聞きながら、この音に合わしながら生きている。

 ……………。

 それから数分、数十分たった。

 祐一は目をあけると、起き上がりあぐらを組んだ。そしてつぶやいた。


「おれにできることって、やっぱりあれしかない」

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