愛すべきクズたち奈良に集まる

@MMNTOUR

第1話 借金凱旋

 松岡祐一は、茫然と近鉄電車からの車窓を眺めていた。

 大和西大寺駅を出発した奈良行きの急行電車は、複雑なポイント切り替えを通過したあと、車窓は急に街並みの風景から無駄に広い草原のような景色になる。

 一瞬祐一は目を瞬かせ、またすぐに茫然と車窓を眺めるのに戻った。

 電車は走り出す。そう、無慈悲に。

 まさに人生も一度レールの上を走り出したら止まらない。

 今、祐一の頭の中に思い浮かべられていたのは、蔑むように自分を見た父親の顔であった。


「条件がある」


 そう父親は言った。

 何年振りか、いや、家出同然で家を出て以来初めて実家に帰った息子は、手土産どころか500万円の借金を抱えて凱旋した。

 もちろん、祐一自身がもっとも誤算に思っていた。そんなはずではなかったと…。

 高校を卒業して、「プロのミュージシャンになる」と豪語してギター片手に上京した自分。しかし予定は大幅に狂い、最終的に自分に残ったのはもはやズタボロのプライドと借金だけであった。借金の内訳は一言では説明できないが、主にギャンブルと風俗が原因であった。ただ、あえて弁解するならば身の程知らずに豪遊したという感覚はない。それこそあっという間に金は”泡のように”消え、気付けば借金を返すために借金をして…。

 どちらかと言えば味方だった母親も、さすがにかける言葉も見当たらないのか憐れみの目を向けているだけだった。


「お前、何歳になった?」


 父親が表情も変えずしらじらしく訊いた。


「35歳…」


「30までに結果が出なければ、きっぱり夢を諦め堅気の世界に入るというのが条件だったはずだが…」


 ため息をつく父親。

 そんな条件があっただろうかと、ふと祐一は回想する。もしかしたら、自分で言ったのかもしれない。

 時間というものも金と一緒で、浪費は倍々に膨れ上がり自覚症状は薄い。まだ10代も後半だった頃の自分には、自分が30歳を迎えるなんてまるで空想の世界のように想像がつかない感覚であった。想像がつかないということは、逆に言えば、いくらでも勝手に理想の自分の姿を思い描くことができるということである。それぐらい先のことなら、そこまで努力したなら、自分は夢をつかんでいるに違いないと。

 しかし、現実はそんなに甘くはなかったのだ。

 甘いのは女の味だけだった…というは冗談として、30歳なんてなってしまえばあっという間だった。それどころか自分は5歳もオーバーしてしまっている。延長戦まで使って、結局自分はなにも掴めなかったのだ。


「父さんの知り合いに奈良の寺の住職がいてな。人手がなくて困っているらしい。それが条件だ」


「えっ!?奈良の寺?」


 祐一は、こうべを垂れていた顔をあげて驚いた。

 とはいっても、実はここも奈良だった。

 祐一の実家は、奈良県の南部の山深い、東吉野村というところにある。

 世間の人が思い浮かべる「奈良」といえば、大仏と鹿の公園のイメージだが、あれはあくまで県のごく一部に過ぎない。特に南部には謎の秘境が広がっており文化と文明に隔たりがあった。だから奈良県人は、いわゆる大仏や鹿のいる奈良市内のことを「奈良」と呼んだ。


「今日は“奈良”に出かけるわ」


「昨日“奈良”に行ってきた」


「“奈良”に新しい店ができた」


 といった具合に。

 祐一も自分が奈良の人間という感覚は薄かった。祐一の場合は、早々と上京してしまったということも大きいと思うが、そもそも地元に興味なんてなかったし、他府県の人間ならまだ観光や修学旅行で奈良の有名な寺院などにも訪れることもあるだろうが、奈良の人間がわざわざ奈良に観光しに行くこともない。正直、祐一も奈良の観光地なんて大仏と鹿と吉野山の桜くらいしか知らなかった。


「奈良の寺…?」


 再度祐一はつぶやき、頭をひねった。


「そうだ。最近は由緒ある寺でも大変らしい…」


「そこって、もしかしてあの大仏の?」


「いや、そんな大きな寺ではない。場所は近かったとは思うが…、たしか名前は、“こんぎょくじ”といった」


「こんぎょくじ…」


 もちろん、知らない。


「お前は今まで自分勝手に生き過ぎた。これからは思い通りにいかない環境に身をおいて、自分の愚かさを見つめ直してみればいい。それになにより人助けだ。ないだろ、今まで人を助けたことを?」


「……」


 酷い言われようだったが、言い返すことが出来なかった。

 果たして自分は今までに誰かを救ったことがあったであろうか。

 「音楽で世界を救う」なんて今更そんなクサイことは言うつもりはないが、自分の作り出したもので人を感動させたい、つまり救いたいという気持ちはあったかもしれない。しかし、それは叶わぬ夢だったのだ。


「お前がそのつもりならすぐ住職に連絡する。どうする?」


「急にそんなこと言われても…」


「なにが急だ。この条件を飲まないのなら500万は自分でなんとかしろ。それに今後は縁を切る。勘当だ」


「……」


 ぐうの音もでなかった。

 こうして、祐一は“奈良に出る”ことになった。

 父親の仕事は早かった。翌日の朝にはもう実家を追い出されていた。

 もしかしたら、自分が帰ってくるということを聞いて、既成事実のように寺と申し合わせていたのかもしれない。

 期限は最低一年。実家に泣きついた時点で即勘当だという。

 久しぶりの実家は懐かしくて切なくて、しかし恐ろしく居心地がよくて、昨晩は信じられないくらいにぐっすりと眠れた。せめて2、3日はゆっくり過ごして感傷にも浸らせてほしかったが、そうは問屋が卸さなかった…。

 最寄りの榛原駅までは、母親が車で送ってくれた。

 しかし、改めてわが東吉野村は田舎である。一番近いその近鉄大阪線の榛原駅で、距離なんと約21キロメートル。昨日はなんとか一日数本の路線バスで辿り着くことが出来たが、それだけでちょっとした旅気分を味わえる。


「生きていただけでもめっけもんよ」


 母親は、祐一の今までの人生を全否定するような励ましの言葉をくれた。祐一はただ「じゃあ」とだけ言って、母親と別れた。

 榛原駅から奈良に向かうためには、大和八木駅と大和西大寺駅で2回も乗り換えをしなければならないうえに、時間も1時間ほどかかる。実はこれなら大阪に出るのとそう変わらない。というより、実際は大阪の方が早い。これが、奈良県南部に住む人間が「奈良」をまるで別の地に思わせる要因だった。

 わざわざ出かけるなら、なにも「奈良」に出かけなくとも、大阪に出かけた方がなにかと良いに決まっている。

 なので、大和西大寺駅で奈良駅行きの急行電車に乗り込んだ時、祐一はえらいところに来てしまったという絶望的な気持ちに苛まれたのであった。

 もしかしたら、借金は自己破産して、どこか見知らぬ地でひっそり暮らした方がよかったのかもしれないとさえ思った。

 しかし、時はすでに遅し。近鉄電車は終点奈良駅へと着いた。

 駅は地下にあった。当たり前だが車両からは、乗客全員が流れ出すように外に出た。祐一にとっては、比喩的な意味も含めてのまさに終点駅であった。しかし、周りの人は祐一のそんな憂鬱さとは正反対に、多くは旅行人なのであろう、キャリーバックを手に引いてその顔は楽しげである。

 改札を出ると、否が応にもここが一大観光地であるということが思い知らされた。いたるところに観光地のポスターが貼ってあり、世界遺産奈良をアピールしている。

 祐一の前に、変な人形が立ちはだかった。これは知っている。せんとくんというやつだ。たしか何年か前に奈良で大きなイベントがあり、その時にいわゆる奈良でもゆるキャラが作られたのだが、いろいろ問題が起こって東京でもまるで事件のように報じられていたので知っていた。

 大きな液晶のモニターには観光案内とテレビのニュース映像も流れていた。

 日本の総理とアメリカの大統領が映し出されていた。

 そういえば、今度大阪でなにか大きなサミットかなにかがあるんだったけ。と思っただけで祐一の視線はすぐにそのモニターから外れた。

 政治には興味がなかった。今まで選挙にも行ったことがない。あんなもので世の中が変えれるとは思えなかった。なにより、自分はもっと広い視野で物事を考えていたのだ。

 音楽は平等であり国境はない。

 本気でそんな風に信じていた。今となれば、そんな言葉も売れて成功してから言えばカッコイイのだろうが、今の自分にはただの世間知らずの負け惜しみにしか聞こえないであろう。


「はぁ…」


 祐一は大きくため息をつくと、駅の階段を上がった。

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