第22話 🐾 もちゃぷきん、コードをくずす。
ぼくは、光の粒の中にいた。
線が無数に流れて、文字が滝のように落ちていく。
「if」「return」「else」「break」──人間がよく打つ呪文。
でも、どれもたいして意味はわからない。
ここは、久我直哉という人間の“プログラム”の世界らしい。
ぼくは彼のパソコンの中、コードエディタの片隅に座っている。
もこもこの毛に反射する青白い光が、目にしみる。
直哉の声が上から聞こえてきた。
「……よし、これでビルド通った」
彼の指がカタカタとキーボードをたたく。
そのたびに、文字の川がぼくの周りを流れていく。
ぼくはその中で丸まっていた。
光る文字の上は、あたたかい。
コードの熱が伝わってくるからだ。
でも──
「ピッ!」
画面の端で、何かが鳴った。
小さな通知。
久我直哉がそれをクリックする。
「……同期の飲み会のお知らせだと?」
ぼくは耳を動かした。
彼の声のトーンが、すこし下がる。
「行くかって? いや、俺は……」
彼がため息をつく。
「なんか、なじめないんだよな。
みんなの話、つまらないし……。
いや、そもそも聞いてないけど」
ぼくは顔をあげた。
コードの上で寝そべっていたが、彼の声がやかましい。
「ぼくはプログラムを打つなら打つ、
しゃべるならしゃべる、
どっちかにしてほしいにゃ」
声には出さないけど、そう思った。
直哉の愚痴が続く。
「俺だけ浮いてる気がするんだよな。
向こうは向こうで、うまくやってんだろうけどさ」
ぼくは立ち上がった。
長く伸びた尻尾を、光の文字の流れにふらりとかざす。
……びゅっ。
尾が通ったあと、文字が弾け飛んだ。
流れていたプログラムの行が、
ばらばらに舞い上がる。
ぼくは面白くなって、もう一度ふった。
文字が積もって壁のようになっていく。
「おいおい、なんだこれ……?」
直哉がモニターを見て眉をしかめる。
エラーの赤文字が次々と走る。
「構文エラー」「Unexpected symbol」……
画面が真っ赤に染まる。
ぼくは大笑いした。
うける、うけるにゃ。
だって、どんどん壁ができていくんだもん。
プログラムの壁。
直哉の文句を反映するように、
コードのブロックが積み上がっていく。
「なんだこれ……?
誰かのいたずらか?」
彼が焦ってキーボードを叩くけれど、
コマンドははね返されてしまう。
壁はどんどん高くなる。
そのとき。
「コンコン。」
ドアをノックする音がした。
「久我くん、いる?」
直哉が顔を上げる。
「え……あ、藤原?」
扉が開く。
入ってきたのは同期の藤原美咲。
髪を後ろでまとめ、手にはタブレットを持っていた。
蛍光灯の光が彼女の瞳に反射して、
どこか春みたいな温度をしていた。
「直哉くん、同期の飲み会、来るでしょう?」
彼が一瞬言葉を詰まらせた。
モニターにはまだ、
もちゃぷきんが尻尾で積み上げたプログラムの壁が
赤く光っている。
「あ……どうしようかな。俺、ああいうの苦手で……」
美咲は近づいて、画面をのぞきこんだ。
「え、なにこれ。壁できてるじゃん」
「いや、これ……コードが、なんかバグってて……」
「直哉くん、自分で壁作ったんじゃないの?」
その言葉に、
彼の手が止まった。
画面の光が眼鏡の奥で揺れる。
ぼくはキーボードの上に座り、
しっぽでリズムを取るように揺らした。
直哉は小さくつぶやいた。
「……ああ、そうか。
俺、自分で壁、作ってたんだな」
指先が震えた。
ぼくにはよくわからないけど、
その瞬間、プログラムの壁が
ゆっくりとほどけていった。
行の隙間から光が差し込み、
文字の川が再び流れはじめる。
「実行完了」と小さく表示され、
赤いエラーが全部消えた。
彼は笑っていた。
「……いくよ。飲み会」
美咲の目が驚いたあと、
ふっと優しく笑った。
「そう? よかった。盛り上がろうね。
壁、とれるといいね」
彼女は手を振って、
ドアの向こうに消えていった。
静寂。
蛍光灯の音だけが残る。
直哉は深く息を吐き、
椅子の背にもたれた。
「……なんか、変なタイミングで気づいたな」
ぼくは尻尾をふわりと動かした。
彼が机の横のマウスを操作し、
コマンドを一行打ち込む。
fish.give("mochapukin");
ぼくの前に、小さな魚のアイコンがぽんっと出現した。
銀色に光って、ゆらゆら揺れている。
「……お礼、な」
ぼくはその魚を見て、あくびをした。
「こんなもの、食えないにゃ」
画面の端で、ログが静かに流れる。
「build success」
ぼくはその上に体を伸ばして、
もう一度、寝返りをうった。
コードの海はぬるくて、心地よい。
人間が何を悟ろうが、
ぼくには関係ない。
にゃー。
眠い。
コードも人間も、よく動いたにゃ。
♡でも☆でも、押すとか押さないとか、まぁどうでもいいにゃ。
ぼくはログのすみに、ねむるにゃ。
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