第28話 鷲尾の“票”

(投票日、午後八時)


けたたましい開票速報のチャイムが日本中に鳴り響き、天羽麗奈の選挙事務所は爆発した。


——○○区、天羽麗奈、当選確実!

——早々と議席確定です! あの「告白演説」が無党派層の票を掘り起こした模様です!


「うおおおお!」

「先生! やった!」


だるまに力強く目が入る。

麗奈は涙と歓声の濁流の中でマイクを握りしめた。

隣には、あの選挙ポスターの「二人」のもう一人——桐谷冴が静かに立っていた。


「皆さん……! ありがとうございます! ですが、これはゴールではありません!」


同時に別のテロップが流れる。

——新和党、議席を大幅に伸ばす! 連立のキャスティングボート、より強固に!


麗奈と七瀬紗良の共同声明。

その賭けは、国民という最大の審判によって是とされた。


麗奈は冴と目を合わせた。

(勝ったわ、冴)

(ええ、麗奈)


——民意は得た。風は吹いた。

麗奈の視線は早くも次を見ていた。

——だが、まだ党が残っている。


***


大和民政党・総務会室 選挙数日後。


選挙には勝った。

だが与党・大和民政党は単独過半数を割った。新和党との連立なしに政権は一日ももたない。

その絶対的な現実を背に、麗奈は再び総務会の重い扉を開けた。


もはや法務部会を追放された“流刑”の身ではない。

民意と判決、そして連立の鍵(七瀬)という三つの軍勢を引き連れた捲土重来、いや凱旋だった。


「本日の議題は二点です」

麗奈は誰の許可も求めない。自ら場を支配していた。


「一枚は、これです」

青い紙——『婚姻平等法案』——を卓上に置く。

「最高裁の『違憲状態』判決および先の総選挙で示された民意に基づき、党の正式法案として本会議に提出します」


「ま、待て、天羽くん!」

旧保守派の残党が声を上げる。

「選挙に勝ったからと、国の伝統を——!」


「そして、もう一点」

麗奈はヤジを無視し、赤い紙——『国民皆介護保険法・抜本的改正案』——を青の隣に置いた。


その場の鷲尾派が息を呑む。

麗奈は約束を守ったのだ。


「二つはセットです」

「新和党との連立政権合意の柱でもあります。これが通らなければ連立は解消、政権は崩壊します」


「貴様……! “介護”を人質に党を——いや国を売るつもりか!」


「売る? ——救う、のではなくて?」

「採決をお願いします、総務会長」


室内が割れた。

「賛成だ!」「反対だ!」

怒号が飛び交う。


「静粛に!」

総務会長が木槌を叩く。

「やむを得ん。採決に入る!」


麗奈は目を閉じた。

——数は読めている。

——懐柔した鷲尾派。政権崩壊を恐れる総理派。私たちリベラル派。対する旧保守派の残党。

——勝てる。賛成が二票、上回るはず——。


「では『婚姻平等法案』および『介護法改正案』の二法案について、党議拘束(=賛成)を求める動議に賛成の方、挙手を」


麗奈が手を上げる。

溝口が手を上げる。

鷲尾派の若手が逡巡の末に手を上げる。

パラ、パラと手が上がっていく。


旧保守派は誰も上げない。

——賛成、十五。反対、十三。

——よし、通った——。


その時だった。

奥の扉が音を立てて開く。


全員が息を呑む。空気が凍る。

車椅子の鷲尾泰臣がいた。


「わ、鷲尾先生……!」

「なぜ病院に——」


娘のひとみに車椅子を押され、鷲尾は総務会長の前へ進む。

彼はもう喋れない。だが目は生きていた。

絶対的な“保守のドン”の目が。


(なぜ今……!?)


この一票の持ち主が反対の意思を示せば——。

——賛成十五、反対十四。

——彼の意を汲んで鷲尾派が寝返れば、数が覆る——!


総務会長が震える声で問う。

「鷲尾先生。天羽議員の動議について、採決を——」


鷲尾は動かない。

ただ、麗奈を見ている。

麗奈も見返す。


(あの病院で私が言った言葉——『“愛”が残る家を』)


鷲尾の視線が、麗奈の置いた赤い紙(介護法案)へ移った。

彼の本懐の法案へ。


「先生! “反対”のご意思を——!」

旧保守派が懇願の声を上げる。


鷲尾はゆっくりと、左手を上げようとした。

(ダメだ——!)


——だが、その手は挙がらない。

賛成にも、反対にも。

手は力なく肘掛けに戻った。

棄権。


沈黙。

総務会長が悟る。

「鷲尾先生は“棄権”とみなします」


——勝った。

膝が崩れそうになるのを堪える。


「よって、賛成十五、反対十三、棄権一。動議は可決されました!」


――――


同・廊下 採決後。


去ろうとする車椅子に麗奈は追いついた。

「鷲尾先生。——ありがとうございました」


最大の敵に、深く頭を下げる。


鷲尾は、車椅子を押していた娘に、何事か耳打ちする。

ひとみが驚いた顔で、震える声を紡いだ。

「父が……『家族は、血ではない。……私が、そう言えればよかった』と」


麗奈は顔を上げられなかった。

車椅子が静かに遠ざかる音だけが残る。


「お見事」

振り返ると、声の主は新和党の七瀬紗良だった。

彼女も採決を見届けに来ていた。


「あの“怪物”を、最後は“理念”で懐柔するとは。——これで“本丸”への道が開きましたね」


麗奈は涙の痕を拭う。

「ええ」


七瀬が手を差し出した。

「夜明けですね、天羽先生」


麗奈はその手を強く握り返した。

「ええ。行きましょう。本会議へ」

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