第22話 血の論理、長老の告白

(議員会館・別館 / 午前)


鷲尾泰臣わしお たいしん、倒れる——。

その一報は、内閣不信任案ないかくふしんにんあんという「政局せいきょくあらし」の中心にいた永田町ながたちょうを、まったく別の意味で直撃ちょくげきした。


天羽麗奈あもう れいなは、政治的せいじてき流刑地るけいち」である自室で、その速報そくほうを、立ち尽くしたまま見つめていた。


(……鷲尾先生が、倒れた……?)


「キングメーカー」の、突然の退場たいじょう

不信任案の採決さいけつは、事実上、凍結とうけつされた。

鷲尾という「重し《おもし》」を失ったことで、与党よとう内の「天秤てんびん」は、その均衡きんこうを、完全に失った。


麗奈は、政治家せいじかとして、この「権力けんりょく空白くうはく」が何を意味するかを、即座に計算けいさんしていた。


(……これで、総理そうりの「解散かいさん」は、遠のいた)

(……だが、七瀬ななせ代表(新和党)との“取引とりひき”も、鷲尾という「最大さいだい抵抗勢力ていこうせいりょく」を失ったことで、前提ぜんていくずれた……)


「先生」

秘書が、ふるえる声で報告ほうこくした。

「……搬送はんそう先、……東都大学病院とうとだいがくびょういん、だ、そうです」


「……!」

麗奈は、息をんだ。

東都大学病院。

あの、桐谷冴きりたに さえが、原告げんこくの「いのちかべ」と対峙たいじした、あの病院。

そして、法務省ほうむしょう真壁まかべひかりが、麗奈の要請ようせいを受け、異例いれいの「人道的措置じんどうてきそち」の通達つうたつを出させた、あの場所。

因縁いんねんが、交錯こうさくする。


麗奈は、コートをつかんだ。

「……車を。病院へ」

「……先生。ですが、鷲尾先生は、我々われわれにとっては……」

「“てき”だからこそ、よ」

麗奈は、冷たく言った。

「……ライオンがたおれたのなら、それが、本当にんだのか、ねむっているだけなのか。……この目で、見届みとどけなくては」


***


(東都大学病院・VIP病棟 / 午後)


病院びょういんは、報道陣ほうどうじんによって、封鎖ふうさに近い状態だった。

麗奈は、議員ぎいんバッジを使い、裏口うらぐちから、鷲尾が入院にゅういんする最上階さいじょうかい個室こしつフロアへと向かった。

消毒液しょうどくえきの匂い(嗅覚)。

だが、そこは、あの「」の匂いがする救急きゅうきゅう外来がいらいとは、別世界べっせかいだった。

まりかえった廊下ろうかに、麗奈のヒールの音だけがひびく。


病室びょうしつの前。

一人の女性が、つかれ切った顔で、かべに寄りかかっていた。

年のころは、麗奈と同じくらい。

だが、その白衣はくいは、彼女が、政治家せいじかの「家族かぞく」としてではなく、「医療従事者いりょうじゅうじしゃ」として、この場にいることを示していた。


「……あの」

麗奈が、声をかける。

女性は、ハッとして顔を上げた。

その顔を、麗奈は、見覚みおぼえがあった。

(……あ……!)

(……大法廷だいほうていの、傍聴席ぼうちょうせき……!)


あの日、鷲尾泰臣の、となりに座っていた、むすめだった。


「……天羽、麗奈、先生」

娘は、深く、頭を下げた。

「……父が。……鷲尾泰臣が、いつも、お世話に」

「……いえ。……お父様とうさまの、ご容態ようだいは」


「……脳梗塞のうこうそくです」

娘は、医者いしゃの、プロフェッショナルな「無表情むひょうじょう」で答えた。

一命いちめいは、取りめました。……ですが、言語げんごと、右半身みぎはんしんに、おも障害しょうがいが残る、と」

「……!」


それは、政治家せいじか・鷲尾泰臣の、完全かんぜんな「」を、意味していた。


「……面会謝絶めんかいしゃぜつです」

娘は、言った。「……ですが、天羽先生。……あなただけは」

「……私だけ?」

「……父が、たおれる直前ちょくぜん、……意識いしき混濁こんだくする中で、……あなたの、名前なまえを」

「……」

「……『あもう、……れ、いな……』と。……まるで、何かを、言おうとするみたいに」

麗奈は、息をめた。


重い、病室びょうしつのドアを開ける。

中は、薄暗うすぐらかった。

生命維持装置せいめいいじそうちの、規則的きそくいてき電子音でんしおん(聴覚)だけが、ひびいている。


鷲尾泰臣は、そこにいた。

だが、それは、麗奈が知る、あの「いわ」のような男ではなかった。

無数むすうのチューブにつながれ、白いシーツにしずむ、ただの、さな、いた男だった。


サイドテーブルに、見舞みまいの花がかれている。

だが、それは、すでに、茶色ちゃいろ変色へんしょくはじめていた。


「……鷲尾先生」

麗奈は、声をかけた。

「……天羽、麗奈です」


鷲尾の、分厚ぶあつまぶたが、ゆっくりと、持ち上がった。

焦点しょうてんの合わない、にごった目が、麗奈をとらえた。


「……あ、……あ、もう……」

声にならない、空気のれるような音。

動かないはずの、左手ひだりてが、わずかに、もたげる。

彼が、指さそうとしていたのは、サイドテーブルに置かれた、一枚いちまい写真立しゃしんたてだった。


麗奈は、その写真立てを、手に取った。

古い、色褪いろあせた写真。

わかき日の鷲尾と、彼に、よくた、笑顔えがお少年しょうねん


「……あ……」

鷲尾が、何かを、必死ひっしに、伝えようとしている。


「……やす、……おみ」

「……?」

「……やす、おみ……。……おれの、……むす、こ……」

「……」

「……じこ、……だ。……おれ、が、……しご、と、で……」


途切とぎれ、途切とぎれの言葉。

二十五年前。

政治せいじ仕事しごと没頭ぼっとうするあまり、息子むすこの、家族かぞくの、事故じこに、間に合わなかった。


「……いえ、……が」

鷲尾の目が、初めて、麗奈を、真っ直ぐに、とらえた。

「……いえ、……が、……き、える……」

「……?」


「……あとつ、……ぎ、が、……いない、……いえ、は、……き、える……」


麗奈は、全身ぜんしんに、鳥肌とりはだが立つのを感じた。

これだ。

この男を、半生はんせいにわたって、しばり付けてきた、「のろい」の正体しょうたい

息子むすこの「」によって、みずからの「」が途絶とだえることへの、根源的こんげんてきな「恐怖きょうふ」。


「……だから、……きみ、の、……ほう、あん、は……」

「……」

「……ち、……を、……む、し、……する、……ちつじょ、……だ……」


麗奈は、その、いた、絶対的ぜったいてきな「てき」の、あまりにも、人間的にんげんてきで、かなしい「告白こくはく」を、ただ、聞いていた。

彼女は、写真立てを、そっと、元の場所にもどした。


「……鷲尾先生」

麗奈は、初めて、何の「よろい」もまとわず、この男に、語りかけた。

「……先生の、お気持きもちは、分かりません。……ですが」

麗奈は、みずからのむねの「天秤てんびん」を、にぎりしめた。


「……わたくしは、“”ではなく、“あい”がのこいえを、作りたいんです。……それが、たとえ、どんなかたちであれ。……人が、一人で、んでいかなくていい、社会しゃかいを」


鷲尾は、答えなかった。

ただ、その、うごかないはずの目から、一筋ひとすじなみだが、こぼれちた。


麗奈は、しずかに、一礼いちれいし、病室びょうしつあとにした。


廊下ろうかで、むすめの、ひとみが、待っていた。

「……父は」

「……息子さんの、お話を」


ひとみは、目をせた。

「……天羽先生。……私、あの日、大法廷だいほうていで、聞きました」

「……」

「……あの弁護士べんごしの先生が、病院びょういん(Ep.17)で、二人の被害者ひがいしゃが、面会めんかいもできなかった、と」

「……ええ」


「……父は、」

ひとみは、しぼり出すように言った。「……“”に、こだわりました。……でも、本当ほんとうは、……“”がなくても、人が、最期さいごまで、尊厳そんげんを持って生きられる“制度せいど”を、作りたかった人なんです」

「……制度せいど?」


「……**父は、……本当ほんとうは、介護保険制度かいごほけんせいどの、抜本的ばっぽんてき拡充かくじゅうだけが、……政治信条せいじしんじょう、でした**」


麗奈は、衝撃しょうげきを受けた。

「……介護かいご?」

「……息子の死後しごのこされた家族かぞくが、老老介護ろうろうかいごで、共倒ともだおれになっていくのを、父は、見たんです」

ひとみは、医者いしゃの目で、麗奈を見た。

「……“”に、たよるから、家族かぞくは、地獄じごくしばられる。……父は、それを、知っていました。……知っていたのに、……“”を守ることが、目的もくてきになってしまった……」


麗奈は、全てを、理解りかいした。

鷲尾泰臣という「てき」は、自分と、同じ「絶望ぜつぼう」から、出発しゅっぱつしていたのだ。

ただ、その「アプローチ」が、麗奈(=愛と制度)と、鷲尾(=血と伝統)で、正反対せいはんたいだった、というだけで。


(……“介護かいご”……)


麗奈の脳裏のうりに、新しい「政治せいじ設計図せっけいず」(メタファ)が、浮かび上がった。


政局せいきょくは、まった。

だが、鷲尾の、あの、うごかない「保守派ほしゅは」の“軍団ぐんだん”は、のこっている。


彼らを、うごかす、カード。

それは、「不信任案ふしんにんあん」でも、「差別禁止法さべつきんしほう」でもない。


(……鷲尾先生の、……“本懐ほんかい”(介護)……!)


麗奈は、病院びょういんを飛び出した。

彼女は、新和党しんわとう七瀬ななせではなく、鷲尾派わしおはの「若手わかて議員ぎいん番号ばんごうを、ダイヤルしていた。


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