第19話 大法廷口頭弁論

(最高裁判所・大法廷 / 午後)


空気が、石のように冷たい(触覚)。

大法廷だいほうていという、この国の「ほう」の頂点ちょうてん

その空間は、人を圧倒あっとうするために設計せっけいされている。

高い天井てんじょうみがき込まれたゆか。そして、半円状はんえんじょうに並んだ、十五人の裁判官さいばんかんの「法服ほうふく」の黒。

その黒が、異様なまでの重圧じゅうあつとなって、傍聴席ぼうちょうせきにまでかる。


傍聴席の後方。

天羽麗奈あもう れいなは、その重圧の中で、息をめていた。

彼女の胸元むなもと天秤てんびん(象徴)が、冷たい汗ではだり付いている。


(……さえ


彼女の視線の先。

被告席ひこくせき国側くにがわ)と原告席げんこくせき(冴たち)が、隔絶かくぜつした距離きょりで向き合っている。

まるで、二つの「国家こっか」が対峙たいじしているかのようだった。


記者席きしゃせき

白洲乙葉しらす おとはは、ペンを握りしめていた。

彼女の取材(Ep.18)によれば、この大法廷の「設計図せっけいず」は、すでに御子柴みこしば調査官のレポートによって、ほぼかたまっているはずだった。

今日きょうの口頭弁論は、その“設計図”を、十五人の裁判官が「」とするか「」とするか、その最終確認さいしゅうかくにんの「儀式ぎしき」に過ぎない。

(……だが、桐谷冴は、それを知るよしもない)

(……彼女は、あの“設計図”を、今、この場で、自力じりきえがれるのか)


傍聴席の、別の区画。

鷲尾泰臣わしお たいしんが、地蔵じぞうのように座っている。

その隣で、彼のむすめ——医療従事者いりょうじゅうじしゃである女性が、不安げに父の顔色をうかがっていた。


「——被告ひこく最終弁論さいしゅうべんろんを」

裁判長さいばんちょうの、低く、かわいた声が響いた。


国側(法務省)の訟務検事しょうむけんじが立った。

「……憲法二十四条にじゅうよんじょうは、文言もんごん歴史的経緯れきしてきけいいかがみても、明らかに両性りょうせい、すなわち男女だんじょ婚姻こんいんのみを……」


高い天井に、昨日きのうまでの「論理ロジック」が、むなしくこだまする。

高裁こうさいまでの主張を、一歩も出ない、「怠惰たいだ石垣いしがき」だった。


「……婚姻こんいん形態けいたいは、国の伝統でんとう文化ぶんか密接みっせつに関わるものであり、それは国会こっかいの**『立法裁量りっぽうさいりょう範囲内はんいない』**にぞくするものであります。司法しほうが、これに、性急せいきゅう判断はんだんを下すことは、三権分立さんけんぶんりつ精神せいしんに反する……」


麗奈は、その「裁量さいりょう」という言葉を聞くたび、鷲尾わしおの、あの冷たい「政治せいじ」の顔を思い出す。

(……法律ほうりつが、政治せいじに、逃げている)


「……以上であります」

国側の弁論は、終わった。

十五人の裁判官は、能面のうめんのように、表情ひょうじょうを変えない。


「——原告げんこく。最終弁論を」


静寂せいじゃく

法廷ほうてい中の視線が、一点に集まる。


桐谷冴が、立った。


彼女は、準備書面じゅんびしょめんの山には、一切いっさい、目を落とさなかった。

ただ、その手に、一本いっぽん万年筆まんねんひつだけを、握りしめていた。


「……桐谷です」

マイクが、彼女の息遣いきづかいを拾う。

「……まず、事実じじつから、申し上げます」

冴の声は、ふるえていなかった。


「数週間前、原告げんこくの一人は、過去かこのDV加害者かがいしゃによって襲撃しゅうげきされ、うでに、ガラスの破片はへんが食い込む、重傷じゅうしょうを負いました。……彼女のパートナーも、その精神的せいしんてきショックにより、同じ病院びょういん緊急搬送きんきゅうはんそうされました」


傍聴席が、ざわめく。

鷲尾の娘が、ハンカチで口元くちもとを押さえた。

鷲尾は、その娘の反応を、横目よこめで、確かに見ていた。


病院びょういんは、当初とうしょほうに“家族かぞく”としるされていないことを理由に、二人の面会めんかいを、拒否きょひしました」


冴は、淡々たんたんと、事実ファクトの「いし」を積み上げていく。


最終的さいしゅうてきに、法務省ほうむしょう民事局みんじきょくが、『人道的措置じんどうてきそち』として、異例いれいの“拡大解釈かくだいかいしゃく通達つうたつ”を出すことで、二人は、ようやく、同じ病室びょうしつで、おたがいの手を握り合うことを、許可きょかされました」


冴は、そこで、初めて十五人の裁判官を、一人ひとり、射抜いぬくように見据みすえた。


「——裁判官の皆様。……これが、国側くにがわおっしゃる、『立法裁量りっぽうさいりょう範囲内はんいない』の、結果けっかです」


(……!)


麗奈は、息をんだ。

冴が、あの病院(Ep.17)での「政治的せいじてき勝利しょうり(=通達)」を、司法しほうの場で、「行政ぎょうせい違法いほう逸脱いつだつ証拠しょうこ」として、突きつけたのだ。


ほうが、現実げんじつに追いついていない。……いいえ、違います」


冴は、声を強めた。


ほうが、国民の“いのち”と“尊厳そんげん”を守る、という、その最低限さいていげん機能きのうを、停止ていししているのです」


「国側は、憲法二十四条の『両性りょうせい』という“文言もんごん”に、固執こしつします」


冴は、自らの「論理ロジック階段かいだん」(メタファ)を、一段いちだんのぼった。


「ですが、その“文言もんごん”が、今、まさに、目の前にある“いのち危機きき”よりも、重いと、おっしゃるのでしょうか」


「私たちの主張しゅちょうは、ただ、一つ」

冴が、その「階段かいだん」の、最上段さいじょうだんに、手をかけた。


憲法十四条じゅうよんじょう——《ほうもと平等びょうどう》」

「合理的な理由りゆうなく、国民を区別くべつしてはならない。……性的指向せいてきしこうという、自ら選ぶことのできない属性ぞくせいによって、『婚姻こんいん』という、人が生きる上で最も根源的こんげんてきな“制度せいど”から排除はいじょすること。……が『合理的ごうりてき区別くべつ』であると、本法廷ほんほうていは、おかんがえですか」


(……冴……)

麗奈は、いのるように、手を組んでいた。

(……あなたの「論理ロジック」は……)


冴は、一度、目を閉じた。

そして、法廷ほうてい静寂せいじゃく(象徴)の中で、最後さいごの言葉を、つむいだ。


「……被告ひこく(国)は、『伝統でんとう』をくちにします」

「……」

「ですが、ほうとは、夜明よあけのまえに、むものです」


その、のような一言に、裁判官の一人が、かすかに顔を上げた。


社会しゃかいが、最もくらく、つめたいとき」


冴の声だけが、ひびわたる。


「“前例ぜんれい”も、“伝統でんとう”も、“空気くうき”も、……何一つ、私たちを守ってくれない、その暗闇くらやみの中にあって」


「……その、たった一行いちぎょうの“条文じょうぶん”だけが、私たち国民こくみんを守る、唯一ゆいいつの“ひかり”となる」


「……それが、憲法けんぽうです」


「……どうか、司法しほうの、最高峰さいこうほうの“ひかり”を、おしめしください。……以上です」


冴は、一礼いちれいし、着席ちゃくせきした。


法廷ほうていは、深い、深い沈黙ちもく支配しはいされていた。

まるで、冴が放った「論理ロジック」の重さを、十五人の裁判官たちが、その両肩りょうかたで、受け止めているかのようだった。


記者席きしゃせき

白洲乙葉は、ふるえる手で、ノートに書きなぐっていた。


(……御子柴みこしばのレポートと、同じ……! いや、それ以上いじょうだ……!)

(……あの弁護士べんごし自力じりきで、調査官ちょうさかんの“論理ロジック”に、辿たどいた……!)


麗奈は、なみだが、ほおつたうのを感じていた。

(……ああ……。……あれが、……あれが、私の、愛した、ひと……)


裁判長が、咳払せきばらいを一つ。

「……両者りょうしゃ弁論べんろんは、くされた。……これにて、口頭弁論は、終結しゅうけつする」


裁判長は、一拍いっぱくを置いた。


「——**判決はんけつ言渡いいわた期日きじつは、追って指定する**」



***


(同・裁判所 廊下 / 閉廷後)


冴は、原告げんこくの二人と、弁護団べんごだんにもみくちゃにされていた。


「先生! 素晴らしかった!」

「泣きました……!」


冴は、その喧騒けんそうの中で、とおくの廊下ろうかすみに、麗奈の姿をさがした。

麗奈は、人混ひとごみをけるように、一人、出口でぐちへと向かっていた。

二人の視線しせんが、一瞬いっしゅんだけ、交差こうさする。

麗奈は小さく、しかし深く、うなずいた。


(……おめでとう、冴)

(……ありがとう、麗奈)


言葉は、なかった。

だが、あの夜に再接続さいせつぞくされた「信頼しんらい」の“いと”は、確かに、そこにあった。


麗奈が、秘書官ひしょかんに守られながら、裁判所の正面玄関しょうめんげんかんを出ようとした、その時だった。


彼女の、私用しようスマートフォンが、はげしくふるえた。

党本部とうほんぶの、緊急きんきゅうアラート。


『——速報そくほう

野党第一党やとうだいいっとう、及び、中道ちゅうどう三党さんとう連名れんめいにて、内閣不信任案ないかくふしんにんあんを、衆議院しゅうぎいんに、提出ていしゅつ


麗奈の顔から、血のが引いた。

司法しほうの「ひかり」が、まさに、ともろうとした、その瞬間。

政治せいじの「濁流だくりゅう」(メタファ)が、全てを、もうとしていた。

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