俺の完璧主義(職業病)が、異世界を書き換えてしまった件

海豚寿司

第1話 Project: Aurora

深夜二時半。一人取り残されたオフィス内は、PCのディスプレイから放たれる蒼白い光だけに照らされていた。


如月暦(きさらぎ こよみ)は、革張りの椅子に深く体を預け、納品を終えたばかりの超大型ゲームプロジェクトの最終デザインを眺めていた。プロジェクトは完璧に終わった。クライアントからの評価も最高。UI/UXデザインは、既存の概念を覆すほど革新的だと絶賛された。


だが、暦は納得していなかった。


「……違う」


低い声が、静寂を破る。


彼の論理的な思考は、感覚的な「違和感」を無視することを許さなかった。

全てのロジックは正しく、全てのコードは最適化されているはずだ。しかし、暦の長年培った鋭敏な感覚は、システムの根幹に微かな、しかし決定的な「違和感」を検出していた。些細な違和感であるかもしれないそれは、暦にとって美しいデザインの中に一本の『余計な線』があるに等しかった。


「誰も気づかない。いや、気づいても、触れないか…」


納期ギリギリ、いや、当初の納期はとっくに過ぎている。


暦は立ち上がり冷蔵庫からカフェイン飲料を取り出すと、再びデスクに向かう。そして、納品時に封印したフォルダを開いた。


―—『SYSTEM_CORE_LOG:閲覧・改変禁止』


システムの核心部。暦はそれを開き、膨大な量のプログラム言語を、難解なパズルを解読するかのように解析し始めた。


数百万行のコードが、彼の視界を流れていく。そして、深夜三時四十五分。彼の目が、あるデータ群で静止した。


「これだ……」


それは最新のシステムコードの最奥に、まるで巨大な異物のように埋め込まれていた。明らかに新プロジェクトのデータではない。サービス終了したはずの伝説のMMO-RPG、『Project: Aurora - The 8th Revision(プロジェクト アウロラ)』の、残骸。最新のシステムが稼働するための土台として、無理やり残された『デッドコード』だった。


「これでは、システム全体が常に亡霊を呼び出すためのリソースを割いていることになる。美しいシステムではない。…いや、明らかな欠陥だ」


完璧主義の業が、冷静な判断を狂わせた。暦の手は止まらない。


デバッグツールを起動し、マウスポインタが『Project: Aurora』のコアデータ全体を覆う。暦の指がキーボードを叩く。


暦が意図したのは、巨大なデッドコード全体への【Disable(無効化)】フラグの送信。たった一本の、単純な修正コードだった。


エンターキーが押された、その瞬間。


PCのディスプレイが、警告を表す赤色を超越し、強烈な七色の光を放った。部屋全体が、その光に包まれる。


「な…?!」


ディスプレイには無数のエラーウィンドウと、暦が書き込んだはずの修正コードがまるで生きているかのように自己増殖し、変異している様子が映し出された。


そして、巨大なフォントでただ一つのメッセージが点滅する。


「UNKNOWN USER INTERFERENCE DETECTED. CORE INTEGRATION INITIATING.」


暦は青ざめた。彼が送った「無効化(Disable)」のフラグが、何らかのシステムエラーによって「強制アクティベート(Force-Activate)」に書き換わっている。


「なんだこれは、体が引き込まれ…」


肉体が椅子から離れ、七色の光の奔流に飲み込まれる。


次に暦が目を開けると、硬い石畳の上に倒れていた。周囲には土壁と、古びた木造の建物が立ち並んでいる。薄暗い路地裏のようだ。


そしてこの空間は、暦の知る世界とは決定的に異なっていた。


目の前の土壁も、足元の石畳も、路地裏に積み上げられた木の箱も、すべてが半透明な光の羅列として見えていた。まるで、世界全体が巨大なPCのディスプレイのように、無数のプログラムコードで構成されている。


風に揺れる木の葉には『Tree.Branch.Leaf.Wind_Resist: 0.82;』と表示され、暦の着ている服には『Material.Cotton.Durability: 5.0;』と示されていた。


暦は立ち上がり、自分の手のひらを見た。


その手も他のものと同じように、無数のコードの羅列で構成されていた。ただし、そのコードの最奥、最も深い部分には、彼が最後に書き込んだはずの『強制アクティベートされたデッドコードの残滓』が、禍々しく輝いていた。


「…ここは一体何なんだ」


暦はなんとなく理解した。きっとこの世界は今までいた世界とは別世界であること。そして恐らく、ゲームの中の世界であるということ。


薄暗い路地裏から一歩踏み出すと、広場らしき場所に出る。しかし、そこにあるのは剣と魔法のファンタジー世界の「賑わい」ではなく、風化した建物と、あちこちに広がる黒いシミ、そして誰もいない静寂だった。


「誰もいないのか?」


暦は顔を顰めた。彼の視界には、世界の「コード」が流れている。建物も地面も、本来のテクスチャの上に半透明の数字と英字が重ねられ、まるで不完全なデバッグ画面のようだ。

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