【11/14完結】宵闇の森の王と黒曜石の呪い姫
神谷 蓮
1.金色の王の国と黒い魔物の子
髪や目の色はその者の性質を表すという。
絶大な魔力を有する精霊や御使い、それに魔物達が、様々な不思議な色の髪を持ち、また煌めく宝石のような目を持っているのはそういうことらしい。力が強大であればある程、その姿は美しく魅力的だ。
だから、一際輝く金色の髪と、透ける海のような美しい色の目をした者達が、この国を治めていることは至極当たり前のことだった。
くすんだ色の髪しか持たない只人よりも、美しい彼らは長い寿命と大きな魔力を持ち、その美貌と才知によって国を良く治めていたからだ。魔力を持たない、あるいは、持っていても極僅かで、精霊にひと睨みされただけでも命を散らすような儚い只人達は、自分達を庇護してくれる王家を讃え、少なくとも、飢えることなく暮らしていける、この国で生きられることに感謝していた。
それはとても小さな国で、そしてとても、豊かとは言えない場所だったから。
荒野というほど酷くはない。けれど、秋になれば一面が金色の稲穂の海になるような豊かな平野では決してなかった。
北にある豊かで巨大な帝国と、南にある瘴気にあふれた魔物の国の、ほんのわずかな隙間に、そのどちらにも住めない者達が集って作られた小さな小さな国―――帝国から強烈な悪意をもって授けられた名は『エルドラド』という。
美しい金色の髪を見た皇帝陛下が「我が黄金の民か」と呟かれたことで決まったのだという、そのとても新しい国は、今ではすっかり世界から廃れてしまった魔術師の暮らす国である。
魔術の不思議が廃れても、この世界には人ではない者が多く暮らしている。
大きな帝国の一番近くに存在する人ではない者達の国はエルドラドのすぐ南にある魔物の国だ。濃い瘴気によって深く深く閉ざされた、昼間でも暗い大きな大きな森に包まれた魔物の国を、帝国はとても恐れているのだった。
帝国はとても大きな国で、どんな獣よりも早く走る鋼鉄の機関車や、遥か彼方から人を殺すことができる銃火器をたくさん持っていたのだが、人よりも遥かに強大で不可思議な力を持つ『魔物』達の前では、そういったものは何の役にも立たなかったからだ。いくつ機関車を走らせても、高位の魔物が乗る大きな狼や牡鹿や獅子は空を駆けたり海の上を駆けたりできるものだし、遥か彼方から人を殺すことができる銃火器も、空間そのもの、あるいは時間そのものを操る魔物には何の効果も及ぼさない。
魔物達は深い深い瘴気の森からあまり出てくることはなかったが、そうして籠っていることが、帝国にとってはもっと恐ろしいことだった。
だから、帝国の民が放棄した土地に、どこかから魔術師達が流れ着いたのだと聞きつけた皇帝陛下はとても喜んだ。
魔物には通じない力も、魔術師ならば通じるからだ。
そして魔術師達は魔物に通じる力を持っている。
小さな『国』となった魔術師達に与えられたのは、エルドラドという名だけではなかった。彼らはその魔術をもって、南の魔物の国の防波堤になることを求められた。
それは名を与えた皇帝陛下が崩御されて、その皇子が即位した後も、またその皇子が即位した後も、ずっとずっと続いた。
やがて大きな大きな帝国がいくつかの大きな国に枝分かれし、それらがまた争って小さな国に分かれた後もずっと。
今ではエルドラドという国の名前も忘れ去られ、人々の国からはただ『魔法使いの国』と呼ばれるようになってしまった小さな国は、唯一の魔法障壁を持つ人の国だ。人々の国は皆、その魔法障壁こそが魔物の国から人の世界を護っているものだと信じて、魔法使いの国にそれを維持させ続けていた。
障壁がある間は、どの国も魔法使いの国を自分のものにしてはいけない。
それが、北にある豊かな国々の新たな決まり事になった。
魔法使いは世界で忌み嫌われる者だった。人には扱えない不思議な力を持った者は、自分達と違うというただそれだけで迫害され、多くの国を追い出されたのだ。だが魔法使いの国でなら、彼らは普通の人として暮らすことができる。だから、世界のあちこちから追い出された魔法使い達はみんな、この小さな国にやってくる。
美しい金の髪の王様達は、そうやって世界から拒絶された同胞を温かく迎え入れた。
だから、この国の人々はみんな王と国を大切に思っていた。金色の導き手がいなければ、魔法使い達はもう生きて行く場所がないのだから。
***
美しい金色の髪の王には、同じように美しい金の髪の王妃がいた。
王妃の髪は少し赤味がかった金で、小さな国ができた頃から王の近くにある古い貴族の娘だった。一際美しい王に見合う、先祖返りと言われる程に豊かな魔力を持つ当代随一の魔女だ。
様々な魔術結界が貼られた一室。
王妃の出産のために用意された部屋は、その夜、大勢の侍女や従僕で溢れていた。
ドアの前には警護のために騎士達が不寝番をしており、王妃のために祈りを捧げる魔法使い達が大勢居た。王はどこかそわそわとして政務に身が入らず、苦笑した宰相や側近らも、そんな様子をどこか微笑ましく思っていた。
そうして。
おぎゃあという泣き声ひとつあげず、月すら姿を隠した深淵の闇の真夜中に、その子は産まれた。
王子か、王女か、産まれたその子を取り上げた産婆はひゅうっと短く喉を鳴らした。
「魔物の子じゃ…」
しんと静まり返った部屋に響いた呟きが、気を失いかけていた王妃の意識を引き留めた。
闇を煮詰めたように真っ黒な髪、産まれた直後にも関わらず、産声すらあげずにじぃっと産婆を見つめる目は黒曜石の黒。
一年で最も闇が深いとされる夜に産まれた黒い髪と目を持った赤子を、人々は何かおぞましいものでも見るような目で遠巻きに見ていた。
たった一言の呟きが、事実のように認識されるまで、さほど長い時間は要らなかった。
「見せて頂戴」
玉の汗を侍女に拭き取られた美しい王妃の声は、疲労なのか、恐怖なのか、震えている。
伸ばされた王妃の手をそっと包んで止めたのは傍らの侍女であった。
「いけません、障りがございます」
即座に別の侍女がばさりとシーツを広げて王妃の腰から下を覆った。
産婆は大きな桶に張られた湯で赤子を清めてみたが、魔力で浸した湯につけてみても、赤子の髪は黒さを増すばかりであった。
***
一夜明け。
豪奢な部屋で休んでいた王妃の下に、十人から成る王宮騎士がやってきたのは早朝のことだ。
王妃を咎によって投獄する、と勅書を読み上げた筆頭騎士は産後間もない王妃を容赦なく魔力鎖で縛り上げ、念入りに魔力封じの腕輪と首輪をつけてから、ずるずると引きずるようにして廊下へ連れ出した。
「何の咎だと言うのです…」
気丈な王妃は力の入らない体で僅かに抵抗しながら騎士に問うた。
「ご自分でわからないのですか? あれほど黒い、魔物の子を身ごもっておいて」
美しい艶のあるアプリコット色の髪をした騎士は、王妃の遠縁にあたる。かつては家同士がやがて婚約者にと話を進めていただけあって、二人は幼い頃からの顔馴染みだ。
同門の気安さから、いつも優しい気遣いを受けていた王妃は、筆頭騎士の、これまでの自分には見せてこなかった冷徹な視線を受けて震えあがった。
この幼馴染は自分を助ける気などこれっぽっちもないのだと、王妃は確信した。
黒い髪と黒い目の子、王女だったと聞いたそれを産み落としたばかりに、自分は身に覚えのない咎で投獄され、おそらくはそのまま死を賜るのだろう―――それはとても恐ろしいことだった。自分ばかりか、父や母、果ては親類縁者までが不当な咎で責められかねない。
王妃は当代随一の魔女であった。
魔法使いの筆頭として、悪魔と交わったなどという罪を受け入れる訳にはいかなかった。
「わたくしの」
ふわりと笑んで口にした声は柔らかく、魔力封じの首輪で制限されていたとしても、それは美しい旋律を伴った。
「咎だというならば、この身に命を宿した王も同罪である」
するりと魔術によって筆頭騎士の剣が抜かれた。
「何を…!」
筆頭騎士が声を荒げるのと、王家秘宝とも言われる白水晶を研いだ直剣が王妃の胸を貫いたのは、ほぼ同時だった。
ごぼりと嫌な音を立てて血を吐きながら、それでも王妃は美しく微笑んでいた。魔力の放出を示す、青く光る封じの腕輪が柔らかな軌跡を描く。
ごとり、と床に腕輪があたる頃には、青い光は消えていた。
うつぶせになった王妃の背中から白刃が突き出し、赤い絨毯の上に別の赤が広がっていく。
小さな魔法使いの国に、産まれた王女様は産声をあげなかったこと、儚んだ王妃様がご心痛のあまり崩御されたと知らせが走ったのは、その日の夕方のことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます