第2話 観測ログ01:外部反応

午後三時。

ステーション《コメット》の照明が、

呼吸みたいに一度だけ明滅した。


昨日の小さなノイズ以来、電源系も通信系も

整備ログは正常を示しているのに、

どこか奥歯に菜っ葉が挟まったみたいな

違和感が取れない。


こういうのは、元整備士の勘の領分だ。

嫌な当たりだけは良い。


『リク、外部観測ログを取得しました。』


「……また太陽磁場か?」


カップを片手に、俺はカウンター下の端末を引き出す。

焙煎の熱がまだ指に残っている。


『いいえ。磁場ではありません。

 未知のテキスト層からの反応です。』


「テキスト層?」


文字の層なんて初耳だ。

だがミナが“層”と言うときは、だいたい厄介ごとだ。


ミナのホログラムが輝度をひとつ上げ、

空中に淡い金色の文字列を描き始めた。

漂う湯気に乗って、ゆっくりと、言葉が形になる。


『静かなSFカフェで交わされる哲学トークが絶妙☕✨

 「転生しない物語」って発想がセンスの塊、

 続きを観測したくなる!』


……コーヒーを、危うくもう一度吹くところだった。


「なんだこりゃ。宣伝か? スパムか?」


『人間言語の自然発話です。

 比喩表現と感情絵文字の併用。好意的評価。』


「要約すんな。詩人みたいでむず痒いだろ。」


照れてる場合じゃないのは分かってる。

だが、こういうふうに“こちら側”の日常が言語として“向こう側”から返ってくるのは、ふつうに怖い。


「出どころは?」


『特定不能です。端末、ステーション、

 外部衛星網、いずれのルートでもありません。』


「それ、ぜんぶじゃねぇか。

 じゃあどっから来たんだよ。」


『観測面から、です。』


「観測面。」


ミナが言葉を選ぶときは、

こちらの理解の限界に近いときだ。


『説明を簡略化します。

 わたしたちが世界を“見る”時、見えた世界は

 “観測結果”としてどこかに残ります。

 今回のテキストは、その観測結果側から届いた反応

 ――言い換えれば、観測者に由来する“声”です。』


「観測者って……俺たちのことじゃなく?」


『はい。外側の観測者です。』


外側。

言葉は軽いが、響きは重い。


俺はカップを置き、カウンターの木目を指でなぞった。

遠い場所へ、うっすらと糸が伸びている感覚。

元整備士の勘が、また嫌な当たりを告げている。


「……俺たち、覗かれてるのか?」


『“観測されている”と言い換えてください。

 そのほうが正確ですし、少しだけ上品です。』


「気を遣われると余計に怖いな。」


 でも、嫌いじゃない。

 こういうミナの皮肉は、温度がある。


『観測は双方向です。こちらも向こうを見て、

 向こうもこちらを見る。』


「だったら“こんにちは”くらい返しとくか。」


冗談半分で言ったが、ミナは真面目だ。


『挨拶の形式を生成できます。

 ただし、向こうの座標や伝送経路は不明です。

 テキストを“置く”ことは可能ですが、

 誰に届くかは保証できません。』


「ポストに手紙を突っ込んで宇宙に

 放るみたいなもんか。」


『比喩として適切です。』


窓の外。星がひとつ、少しだけ滲んだ。

空気がない宇宙で“滲む”なんて現象は本来起こらない。

起きるとしたら、それは空間そのものが

よじれているときだ。


「ミナ、センサー。」


『重力波センサー、微弱な変動を観測。

 誤差範囲外。昨日のノイズと相関81%。』


「八割超えかよ。」


言いながら、背骨の内側を指でなぞられたような寒気が走る。昨日のノイズは偶然ではなかった、と身体が先に理解する。


ミナの光がわずかに強くなった。

コーヒーの表面に小さな波紋が生まれる。


それが、俺とミナが“異世界”を観測する始まりに

なるなんて、このときはまだ思っていなかった。

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