異能(ミステル)×ミステリ〜紅内レディは遅れない〜

チャチャメイト

#1 なぜ平穏はいとも簡単に踏みにじられるのか?


その日は猛暑日を記録した。




誰もが汗と文句を垂れ流し、テレビのキャスターは異常気象だなんだと昨年どころか半年前の冬も言っていた事を機械的に伝えていた。


そのニュースをBGMに作業をしているその男の机には、リサイクルショップに置いてあるような木彫りの動物達や半額と書かれたインスタントコーヒーの粉末がある。


黒髪短髪で少し筋肉質な三十代半ばのその男は、少し生地が破けたデスクチェアを回転させながら『犬を探して下さい。』という依頼の書類をぴらぴらと遊ばせている。

裏面は何度見ても内容は変わらない。そもそも何も書いていないからだ。



…要するに彼は暇なのだ。閑古鳥は今日も元気に鳴いている。



【王子山探偵事務所】と書かれた小さな一階建ての建物は深い路地の隅っこにあり、立地が悪すぎて今日も依頼が来ない。

暑くて気が滅入るそんな日はアイスコーヒーを飲みながら籠城するに限る。




「こんちはー。うわ、今日も誰もいないじゃないっすか。」


まるで自分の家のようにチャラい茶髪の侵入者が入ってきた。

ちなみに彼は依頼人ではない。


「またお前かはやし。お前新婚でもうすぐ挙式なんだろ?いいのかよ連日こんな所に来てて。奥さんとの時間作ってやれよ。」


「仕事は今日休みで嫁の了解も得てるっす。だから王子山先輩の所に遊びに行こうかなって。」



林は大学時代の後輩で、来月結婚式を控えている。


かれこれ10年以上の付き合いになるが林は王子山と出会った当初からモテていて、その整ったルックスを活かして色んな女性と付き合っていた。


だが林も三十路を少し超えて(ようやく)大人になり、3年ほど付き合っていた今の彼女と所帯を持つことになった。王子山は大学時代、根暗で本の虫だったのでほぼ誰とも交流がなかったが、この林だけは「先輩」呼びで、たまに飲みに行くほど今でも交流が続いている。


「でも王子山先輩、昔から倹約家で頭は良かったっすけど探偵事務所まで開いちゃうとは思いませんでしたよ。昔から慎重な癖に変なところで思い切りが良くてねぇ。今月の依頼は何件ですか?」


王子山は手元にある『犬を探して下さい。』と書かれた紙を高々と掲げる。


「え、嘘でしょその一件だけ⁇ヤバくないですか。」

「あぁ、正直そろそろ手を打たないとヤバい。税金対策はしてるが、銀行から融資をあとどれだけ引っ張ってこれるか…雲行きが怪しくなってきたな。」


「だったら言ってくださいよ~。先輩だったら結婚式のご祝儀とか要らないんで。」


「バカ、そんな訳にいくかよ。大事な後輩に招待されてご祝儀の一つすら満足に渡せなきゃ、門出を祝った気になれねぇし、俺の気持ちが許さねぇ。」


その言葉を聞いて思わず笑みがこぼれた。


林は王子山のこういう律儀な所がとても好きなのだ。よく言えば義理人情に厚い。悪く言えば融通が利かず、女性からは「いい人だけど一緒に居ると疲れる。」と言われてしまうことも実際に見てきた。どこまでも『いい人』止まりなのが王子山らしい。


「さて、先輩も忙しそうなんでそろそろ帰りますね」

「喧嘩売ってんのか。」

「はははっ。じゃあそろそろ嫁の所に戻らないとなんで。先輩、また当日お待ちしてますよ~」


一応出したコーヒーに半分口を付けて、林は帰っていった。




彼が座っていた黒いソファーの上に置いていったビニール袋にはお菓子や栄養補助食品などが入っている。大体いつも来るたびに「王子山先輩、栄養失調で自室で孤独死とかやめて下さいね?」と何かしら置いていくのだ。軽薄そうに見えて実は気が配れる人間だから憎めないし好かれる。


二人とも素直じゃないのでお礼はほどほどに済ませるのだが、今度の結婚式にはめいっぱい祝福してやろうと王子山は思っていた。もしかしたら場の空気で泣いてしまうかもしれないけれど。


「さて、犬探しといくか。」


王子山はそう言ってワイシャツとネクタイを正して事務所を出た。






その日の夜、

無事に犬を探し終えて感謝され、王子山は事務所に戻って来た。自宅兼職場なのでオンとオフが今でも難しい。とりあえずテレビを付けてぼーっと10分ほど眺める。


夕食もまだだったため、簡単に玄米、もやし炒めとインスタント味噌汁を作り、いつものようにデスクチェアで再びテレビを見ながら食べていた。


しかし、見ていたバラエティー番組が突然切り替わり、置いてある原稿を見つめる女性のニュースキャスターが現れた。


「ん?何だ?」


『えー、番組の途中ですが速報です。先ほど月桑井つきくわい市の路上で男性一人の遺体が見つかりました。』


路上で遺体。


穏やかではない単語がニュースキャスターから飛び出して、少し驚いた。月桑井つきくわい市はどちらかといえば田舎で、活発な街ではないが、世の中物騒になったものだと心の内でこの国の治安を憂いてみる。



『亡くなったのは市内の会社員、林青二郎せいじろうさん32歳。原因は現在調査中で警察は周囲に警戒を呼び掛けており…』






「…は?」

箸が滑り落ちた。


今、ニュースキャスターは確かに林のフルネームを言っていた。なのに何を言っているのか分からなかった。遺体はつい数時間前まで話していた大学時代の後輩・林だったという事実の受け入れにたっぷり10秒はかかった。耳が遠くなっていく感覚と反比例して心臓の音はどんどん大きくなっていく。


スマホを操作して彼の電話番号にかけた。きっと同姓同名の誰かだという淡い希望は

冷ややかな機械音声で粉々に打ち砕かれた。



電話に出ない。



冷静になれずすぐに出掛ける準備をし始める。


王子山はこの日、人生で初めて頭で考えるよりも先に体が動いたという現象を体験した。








「クソっ!人が一人死んでんだぞ!何でどいつもこいつも馬鹿の一つ覚えみたいに不慮の事故だって繰り返しやがるんだ!」



遺体が検視されていると考え、警察署に行ってみたが警察官は事故の一点張り。本当に事故というのもあるかもしれないが、気になったのはそれよりも警察の対応だった。現場検証はしたようだがなぜか不自然なほど事件性はないものとして扱っているのだ。


これでも探偵の端くれ。警察内部が何かを隠したがっている?と疑ってもみたが、隠しているというよりそもそもという雰囲気だった。



その時、なぜか王子山は局所的に話題になっているという、あるネットニュースの一文を思い出した。


スマホを取り出して改めてそれを見る。


【夜空に吸い込まれた謎の大爆発。昨今の増え続ける超常現象との関係とは!?】



「サイト名は…シロクロワイドか。」

この胡散臭いネットニュースが公開されたのは少し前だが、夜空を飛んでいた小型飛行機が突如大爆発したという目撃証言があるせいで、この話題はごくごく一部の界隈で盛り上がりを見せたらしい。


だがこれも同じく警察が動いた気配がない。


これそのものは林の死と関係はないのかもしれないが、この『超常現象』というワードを王子山は睨みつけた。



知りたい。林に一体何があったのか。


もし噂の超常現象とやらが存在するのなら自分の目で確かめたい。そしてそれが人為的に引き起こされたのなら絶対に償わせる。


大切な後輩を死に至らしめた奴を、必ず。


そう決心して帰りの終電に乗り込んだ。






思えばここが王子山の運命の分岐点だった。



この時、

少しでも早く電車に乗っていたら。

家から飛び出すタイミングが少し違っていたら。

事件が起こるタイミングがほんの少しずれていたら。



王子山は


だが無情にも、既に蝶の羽ばたきは彼に風を吹かせている。



集中してぶつぶつ呟きながら電車の座席に腰かけた王子山は気づいていない。




斜め前の座席で俯いている若い男。




彼から確かに漏れ出す悪意を。


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