38.
――殺せ
――感情を持つな
――君ならできるだろう
――そう、ああ、いい子だ。■■■■……
「――だんにゃさまっ!!」
声に起こされ、マイははっと目を見開いて覚醒した。何故か上がっている息に、暫く天井を見つめて落ち着いてから、はあっと息を吐いて呼吸を整えると声の方に目を向ける。そこには、自分を起こしてきたラピスが心配そうに顔を覗き込んできていた。
「お、おはよう、ラピス……」
苦笑しつつ身体を起こし、全身じっとりと嫌な汗をかいていたのにマイは内心「うわっ……」と引いた。
「だんにゃさま、にゃにか嫌にゃ夢でも見てたにゃ? うにゃされてたにゃあ」
「嫌な夢……うーん、多分そうだと思う……? 目覚めたら忘れてしまった」
「ホントにゃ?」
「嫌な感じだった以外覚えてないな……うなされてたから起こしてくれたのか?」
「朝食出来たから呼びにきたにゃ。そしたらうにゃされてたにゃ」
「そうか、ありがとう……顔を洗ったら行くから、用意しておいてくれ」
心配そうなラピスの頭を一度撫でてから、マイは洗面所へと向かい、バシャバシャと水で顔を洗う。そして、鏡に目を向けて、見えたものに思わずばっと身を引いた。
マイの目に、鏡の中の自分の髪が肩より下まであったように見えたのだ。けれど、改めて鏡の中の自分と目を合わせてみて、自分の髪は肩より上の短さであり、そんな長さではない。自分がマイとして過ごしだして、ずっとこの髪型なのだから当たり前のことだった。そんな長さまで、髪を伸ばしたことはマイとして生きてきた中で、一度だってないから。
(なら、何で……今見えたのは、記憶、か……?)
震える手でタオルに手を伸ばし、顔についていた水滴を拭いながら、マイはあることを思い返した。
――「嫌なこと、辛いこと、つまり臭いものには蓋をする、的な。人間の脳って複雑なくせに結構単純だし、本人に都合のいいようにできてるもんなのよ――――まあ、究極の自己防衛だよねえ」――
マイの頭の中に思い浮かんだのは、そんな、以前ヴェリスに言われた言葉であり、それが思い浮かんでしまったことに「どうして」と歯を食いしばる。
(これじゃあ、まるで……“そう”だとしか言いようがないじゃないか)
「だんにゃさま〜? 冷めちゃうにゃーっ!」
呼びかけられた声にはっとして、マイはすぐにラピスの元へと向かった。テーブルの上には朝食らしい朝食が並べられており、それを見てほっと息を吐いてから席に着く。マイの向かい側にはいつものように、ラピスが同じく席に着いた。「いただきます」と食べ始め、ラピスのご飯の美味しさに動揺は少しだけ治まった。
「だんにゃさま、今日のご予定は?」
「特に何も。久しぶりに家でゆっくりするかな、と思ってるが。行っても訓練所くらいだろう」
「それはいいことだにゃ! クエストに行こうものにゃらアルガに言い付けるとこだったにゃっ」
「信用ないなあ……」
「それはそうと、ラピスは村長に頼まれてちょっと薬草摘みに行ってくるにゃあ。食べ終わったら出発して、今日の夕方には戻るつもりだにゃ」
「そうか……あっ、わたしも一緒に」
「来にゃくていいにゃ。だんにゃさま、昨日クエストから戻られたばかりだにゃ? それに随分お疲れのようだったにゃ。だからラピス一人でいいにゃ」
きっぱりとラピスから断られ、苦笑を漏らしながらマイは「分かったよ」と息を吐いた。
「ご飯は作り置きしておくから、お昼ににゃったらちゃんと食べるにゃ!」
「はいはい」
「心配だからノアールにも言って行くにゃ」
「過保護すぎないか?」
「二言目には携帯食料が出てくるだんにゃさまのご飯事情は信用してにゃいにゃ。じゃあラピスは行ってくるにゃ。夜までには戻るにゃあ」
「ああ、いってらっしゃい」
「にゃっ」
そうして出て行ったラピスに、部屋の中に一人になりマイは内心「よかった」と思う。何故なら。
ラピスが出て行って少ししてから、コンコンと玄関のドアが叩かれる音がし、マイは「はい」と言いながら玄関を開けた。そこには木箱を背負った猫の獣人族が一匹居り、マイに対して彼はぺこりとお辞儀をする。
「毎度ありがとうございますにゃ! ご依頼の品が出来上がりましたのでお届けに参りましたにゃあ!」
言って、背負っていた木箱をマイに差し出してきたのに、マイはそれを受け取って「ありがとう、ご苦労様」と労いの言葉をかけた。そうして再びお辞儀をした彼に、マイも頭を下げればそれを配達し終えた彼は去って行く。
玄関の扉を閉めて、ダイニングテーブルの上に木箱を置いて、マイは封を開けた。中に入っていたのは、二対の剣からなる双剣――カタログに、ギルド模造品と書かれていたあの双剣である。
(エルレで見たものとほとんど変わらないが……少し違うところもあるな)
思いながら眺めて、更に思うことがあった。
エルレ村は、北の辺境地にある村である。だからきっと、正式なギルドの双剣をあの村の加工屋は見たことがなかったのかもしれない。つまりは、
(……この双剣の方が、模造品であるとはいえ、本物に近いんだろう)
考えて、はあっと息を吐いてからマイは、その双剣に手を伸ばした。
*
(ラピスちゃんに頼まれたし、一応様子見に行くかな~)
日も高く昇った正午、自室にて本を読んで過ごしていたノアールはそう思い、マイの家へと向かった。
朝方、家にやって来たラピスに「暇だったらお昼にだんにゃさまがご飯食べるの見張って欲しいにゃ。ノアールの分もあるくらい作ったから一緒に食べるといいにゃ」と言われ、「過保護すぎない?」と一瞬思ったノアールだったが、マイと二人で狩りに行くこともあり、その時のことを思い返し、マイの食事への無頓着さが思い出されて、頷くこととなった。
(ま〜ラピスちゃんのご飯美味しいし、オレ的にはラッキーだよね! そういやマイちゃんって休みの日何してんだろ……)
そんなことを考えながら、辿り着いたマイの家の前。ゴンゴンっ、と玄関を叩いてノアールは声を上げる。
「マイちゃーんっ、ラピスちゃんに言われて一応様子見に来たけどご飯食べた~?」
問いかけてみたが返事はなく、「あれっ?」とノアールは一人首を傾げた。もう一度ドアを叩いてみたが、やはり返事はない。
(んん? 出かけてんのかなあ。でもラピスちゃんがわざわざ俺に言ってったってことは、出かける予定なかったんじゃ……)
思って、玄関のノブに手を掛けて捻ってみれば、ドアはあっさりと開いたため、思わずノアールは「えっ」と声を上げた。
「(カギ開いてる……)マイちゃーん……? 居ないのー……?」
声を掛けながら、恐る恐る玄関の中を覗き、もし出かけたまま鍵をかけて行かなかったのならばどうしようと思っていれば、そんな考えが吹き飛ぶ光景がそこにはあった。
静かな部屋の中、その床にうつ伏せで何故かマイが倒れていたのだ。それを目に入れてすぐ、ノアールはマイの傍に駆け寄った。
「マイちゃんっ! どうしたの!? 大丈夫っ!?」
言いながらマイの肩を抱き起こし、覗き込んだマイの顔色は白く、身体も冷たいといった状態であり、ただ、息はしていた。抱き起こせばマイの目がうっすらと開いたため、それにノアールはほっと息を吐く。
「良かった、マイちゃん……っ」
「ぁ……、わ、たし――――、っ!」
「え、何っ、どうしたの!?」
「あ、たま、痛……っ」
言って、頭を手で押さえて一度マイは身体を丸めたが、マイのことを抱えていた腕にふっと重みが掛かったことにノアールははっとした。
「え、マイちゃん、マイちゃんっ」
呼びかけても返事がなくなり、マイが気を失ったことが分かったノアールは、慌ててマイのことを横抱きで持ち上げベッドまで運んだ。
何故か青ざめている顔に、抱き上げたことでマイが冷や汗をかいているのも分かり、どうしようと思いつつも肩まで布団を掛けてやり、「とりあえず医者を呼ばなきゃ」と思う。けれど、
「え……」
マイから離れようとした自分の服が何かに引っ張られ、見れば服の裾をマイの手がしっかりと握りしめていた。
「えっ、ちょ、マイちゃん、離してっ」
言いながらマイの手を服から外そうとしたが、離してくれそうになく、服を脱ぎ捨てて行こうかと考えたノアールだったが、握りしめられたマイの手に何となくそれができなく、はあっと息を吐いた。
(よく分かんないけど、とりあえず様子見て……悪化するようだったら最終手段でそうしよう)
思って、何とか手の届く位置にあった椅子をずるずると引き寄せ、ベッドの傍らに置いてそこに座り、マイの顔を覗き込む。
(頭痛いって言ってたけど、なんだろ……貧血とかかなあ。マイちゃん細いし)
考えながらマイのことを眺めていれば、マイが苦しそうに表情を歪めて「うぅっ」と呻いたのに、ノアールは何もできなくおろおろとした。
(何か……悪夢でも、見てるみたいだなあ……)
部屋に入ってすぐ、倒れているマイを目にしたノアールは気付かなかった。マイが倒れていたその床に、あの双剣が同じくして転がっていたことに。
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