EP 14
水冷(アナログ)と傍受(ハッキング)
1915年(大正4年)、冬。
箱根の山小屋は、この一年で「要塞」へと変貌していた。
児玉源太郎の「権力」により、表向きは「陸軍の新型火薬実験所」という名目で、周囲一帯が民間人立ち入り禁止区域となった。
その「要塞」の心臓部で、坂上真一(55歳)は、神をも恐れぬ「手術」を行っていた。
目の前には、分解された戦術級ノートPCの「心臓部(マザーボード)」。
「……もっと冷やせ!」
坂上の指示で、児玉が手配した口の堅い釜職人(かましごと)が、真っ赤に焼けた銅管(どうかん)を冷水に叩き込む。
21世紀のCPUに、大正時代の「職人技」が挑んでいた。
坂上は、設計図なしの「記憶」だけを頼りに、CPUの形状に合わせて銅管を叩き、曲げさせ、熱交換を行う「ウォーターブロック」の原型を、この時代の素材で無理やり作り上げていた。
密着させるための「パテ」は無い。代わりに、熱伝導率が高い「銀」を溶かし、CPUと銅管の隙間に流し込むという荒業を使った。
「……循環開始」
坂上が、渓流から引き込んだ冷水を、完成した銅管(ウォータージャケット)に流し込む。
冷たい山の水が、21世紀の「怪物」の熱を奪い、再び渓流へと戻っていく。
完璧な「アナログ・水冷式システム」の完成だった。
「……起動する」
坂上は、祈るように、PCの電源を入れた。
ファンが回らないため、起動音は無音。
だが、ディスプレイは点灯し、OS(オペレーティングシステム)が正常に立ち上がった。
CPU温度: 安定(35℃)。
「……やった」
坂上は、この一年でさらに白髪が増えた頭を抱えた。
「時限爆弾」の一つ――「冷却(熱暴走)」の問題は、ひとまず解決した。
だが、もう一つの「爆弾」――SSD(記憶媒体)の「データ欠落(ロスト)」の脅威は、警告(ウォーニング)マークとして画面の隅に灯り続けている。
「……児玉さん」
坂上は、傍らで見守っていた児玉源太郎(当時63歳)に振り向いた。
「『耳』を、ヨーロッパに向ける」
坂上は、SDR(ソフトウェア無線機)のアンテナを、はるか西――今や人類史上最大の「実験場」と化した、ヨーロッパ大陸に向けた。
PCの画面が、無数の信号で埋め尽くされる。
ザー……トツ、ツーツー、トトト……
ザー……キィィィ……
「……凄いな」
坂上は、その「ノイズの密度」に圧倒された。
日露戦争時の、牧歌的(ぼっかてき)な電信戦とは比較にならない。
イギリス、フランス、ドイツ、ロシア……各国の司令部が、前線の塹壕(ざんごう)が、膨大な「情報(シグナル)」を撒き散らしている。
「暗号は?」
児玉が問う。
「日露戦争より、格段に複雑化している。ドイツは『ADFGX暗号』、イギリスは『プレイフェア』……」
坂上は、AIの解析ソフトを起動した。
「だが、所詮は『紙と鉛筆』の暗号だ。俺のAI(コイツ)にとっては、まだ『クロスワードパズル』レベルでしかない」
AIが、猛烈な勢いで各国の「暗号鍵(コードブック)」を特定し、解読していく。
画面に、リアルタイムで「翻訳」された、西部戦線の「生の声」が流れ始めた。
『……ソンム(Somme)地区、我ガ方ノ損害甚大……』
『……敵ノ“新兵器(Wunderwaffe)”ニヨリ、我ガ突撃ハ頓挫セリ……』
『……“タンク(Tank)”ノ稼働率、30%ヲ下回ル。泥濘(でいねい)ニテ行動不能多数……』
「……来た!」
坂上の目が、その単語を捉えた。
「“タンク”!」
彼は、失われた「戦車」のデータを探す必要はなかった。
今まさに、イギリス軍が「実戦」で運用し、その「結果」を報告してきている。
「AI、イギリス軍通信ログから『タンク』に関する記述を全て抽出。運用マニュアルと弱点を再構築しろ!」
PCは、坂上の命令に従い、断片的な戦果報告から、「戦車」という兵器の「実態」を再構築していく。
『……弱点: 信頼性低シ。速度遅シ。側面装甲、砲撃ニ耐エラレズ……』
『……利点: 塹壕(トレンチ)ト鉄条網ヲ、歩兵ナシデ突破可能……』
「これだ……!」
坂上は、その「実戦データ」を、即座に日本語のレポートとしてまとめ始めた。
失われた「設計図」よりも遥かに価値のある、「運用思想(ドクトリン)」そのものが、今、彼の手に入った。
同時に、SDRはドイツ軍の通信も傍受していた。
『……ヴェルダン(Verdun)ヘノ“緑十字(グリューンクロイツ)”ノ使用ヲ許可ス……』
「……毒ガスか」
『……“フォッカー(Fokker)”戦闘機隊、敵ノ偵察機10機ヲ撃墜……』
「……ドッグファイト。航空機が『偵察』から『戦闘』に切り替わった瞬間だ」
坂上は、この「情報の洪水」を浴びながら、興奮に打ち震えていた。
彼は、歴史の「傍観者」ではない。
彼は、人類が血を流して得た「教訓」の、最大の「盗人(シーフ)」となっていた。
彼は、まとめ上げたレポート(戦車の実態と、航空戦の未来)を、アナログ・水冷システムで安定稼働するPCから印刷した。
「児玉さん」
坂上は、その熱い紙の束を、児玉に突きつけた。
「海軍(ウミ)の『変わり者(山本五十六)』には、航空機のレポートを送った。今度は、陸軍(リク)だ」
「……『変わり者』は、見つかったか」
「『白兵突撃(バンザイ)』と『精神論』の“病”に感染していない、頭の柔らかい奴が」
児玉は、静かに頷いた。
彼は、懐から一枚のメモを取り出した。
「……二人、いる」
児玉は、その名前を読み上げた。
「一人は、永田鉄山(ながたてつざん)。陸軍大学校の逸材だ。合理主義者(リアリスト)すぎて、煙たがられている」
「そして、もう一人」
「……陸軍砲兵、石原莞爾(いしわらかんじ)」
「……奴は、変わり者というより、もはや『異端児』だ」
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