EP 10

契約者(コントラクター)

満州、総司令部のテント。

秋山真之の怒りを帯びた「妨害電波(ジャミング)ノ発信源ヲ特定セヨ」というモールス信号が、児玉源太郎の旧式無線機から甲高く鳴り響いている。

児玉は、黒いPC(ノートパソコン)に突っ伏し、動かなくなった坂上真一の肩を掴んだ。

だが、坂上は死んではいなかった。

彼は、ゆっくりと顔を上げた。その目は、燃え尽きた灰のように淀んでいる。

PCの画面は、ブラックアウトしてはいない。

【バッテリー残量: 1%】

最後の「反逆」に、彼はほぼ全ての電力を注ぎ込んだのだ。

「……貴様が、やったのか」

児玉の声は、怒りよりも、理解を超えたものを見る「畏怖」に近かった。

「そうだ」

坂上は、乾いた唇で認めた。

「『勝ちすぎる』未来を、壊した」

「狂っている……」

児玉が後ずさる。

その時、児玉の直属の電信兵が「秋山参謀ヨリ、当司令部ニ対シ、正式ナ問イ合ワセ」と報告に飛び込んできた。

児玉は、PCの画面に映る「1%」の表示と、坂上の「灰色の顔」を、数秒間、見比べた。

この男は、日本を「勝たせ」、そして「救った」のか。

児玉は、覚悟を決めた。

彼は、秋山真之への「返電」を口述した。

「『当方モ、同時刻ニ強力ナ妨害電波ヲ観測セリ』」

「『恐ラクハ、満州ニ残存スル、ロシア軍ノ特殊電信部隊ニヨルモノト推測ス』」

「『発信源ノ特定ハ、既ニ不可能ナリ』」

坂上の「反逆」を、児玉が「国益」の名において、完璧に隠蔽した瞬間だった。

数ヶ月後。1906年、夏。東京。

日露戦争は、「辛勝」として幕を閉じた。

ポーツマス条約が結ばれ、日本は「勝利」したが、賠償金は取れず、国民の不満が燻(くすぶ)っていた。

児玉源太郎は、英雄として凱旋したが、彼の心労は限界に達していた。

彼は、赤坂の私邸に、密かに一人の男を招き入れていた。

坂上真一。

彼は戸籍上、満州で「戦病死」したことになっている。

彼は、この数ヶ月、児玉が手配した隠れ家で、ただひたすらPCの電源を切り、ソーラーパネルで「1%」のバッテリーを「3%」まで回復させるだけの、息を潜めた生活を送っていた。

「……随分と、老け込んだな」

児玉が、縁側で庭を見ながら呟いた。

坂上は、45歳という実年齢よりも遥かに疲弊して見えた。

「あんたもだ、児玉さん。顔色が悪い。……史実通り、か」

坂上は、史実では児玉がこの夏(7月)に急死することを、知っていた。

「史実、か」

児玉は、坂上に向き直った。「戦争は終わった。貴様の『箱(PC)』は、約束通り、俺が墓場まで持っていく。貴様は、このまま『坂上真一』を捨て、別人として生きろ。それが、最後の命令だ」

児玉が、立ち上がろうとした、その時。

「―――ッ」

児玉は、激しい胸の痛みに顔を歪め、その場に崩れ落ちた。

「……ぐ……っ」

「児玉さん!」

坂上が駆け寄る。

心臓発作(心筋梗塞)。歴史の通りだ。

「……だめだ……医者を……」

児玉が、霞む目で助けを求めようとする。

「無駄だ!」

坂上は、児玉の胸元(軍服)を強引にはだけさせた。

「この時代の医者が来た頃には、あんたは死んでる!」

「……貴様、なぜ……それを……」

「俺は、あんたが『今、ここで死ぬ』ことを知っているからだ!」

坂上は、21世紀のサイバー防衛隊(JGSDF)で叩き込まれた、戦闘救命(TCCC)の知識を呼び覚ました。

彼は、児玉の胸骨の真ん中に両手を組み、全体重をかけて圧迫を開始した。

「一、二、三、四……!」

心臓マッサージ。

1906年の日本には、まだ存在しない救命処置。

「何ヲ……やめ……」

意識が遠のく児玉の横で、坂上は汗だくになって胸骨圧迫を続ける。

(死なせるか!)

(あんたを失ったら、俺の「ジャミング」は、ただの「自己満足」で終わってしまう!)

(あんたが生きなければ、この国は、また同じ「間違い」を繰り返す!)

数十回の圧迫。

その時、意識を失いかけていた児玉が、激しく咳き込み、大きく息を吸い込んだ。

「……はぁ……っ、はぁ……っ」

「……助かった」

坂上は、児玉の横に崩れ落ちた。

児玉は、荒い息を繰り返しながら、目の前の「死人(坂上)」を見た。

彼は、自分の「死」を予言し、そして、それを「ねじ伏せた」。

「……坂上君」

児玉のかすれた声が、静かな屋敷に響いた。

「……貴様は、一体……何と戦っている」

坂上は、立ち上がった。

彼は、隠れ家から持ち込んだ、たった一つの荷物――黒いバックパックを開けた。

そして、残り【3%】のバッテリーが残るノートPCを取り出した。

「児玉さん」

「今から、俺の『本当の戦場』を見せる」


40年後の「敗北」


児玉源太郎は、私邸の奥座敷、病床(ふしど)の上にいた。

心臓発作から数日。彼は、坂上の指示通り、絶対安静を保っていた。

そして今、彼の前には、あの黒い「箱」――ノートPCが置かれている。

「……バッテリー残量は、残り2%」

坂上は、この数日、必死でソーラー充電を行った結果を告げた。

「この電力では、AIを動かすことも、電波(シグナル)を掴むこともできない。……だが、俺が持ち込んだ『記録(データ)』を見せるだけなら、数分は持つ」

「記録、だと?」

「あんたは、俺を『未来人』だとは思っていない。『とんでもない技術者』だと思っている」

坂上は、PCの電源を入れた。

「だから、証拠を見せる。俺が、なぜ日本海海戦の『完璧な勝利』を妨害したのか。その『理由』を」

PCが起動する。

坂上は、このPCに「演習用」としてプリインストールされていた、オフラインの「歴史データベース(202X年時点)」を開いた。

「児玉さん。あんたたちが勝ったこの戦争は、『第一幕』にすぎない」

坂上は、まず一枚の「世界地図」を映し出した。

1914年。ヨーロッパが、二つの色に塗り分けられている。

「第一次世界大戦。あんたたちの死後、世界はこうなる。日本は、かろうじて『勝ち組』だ」

「そして、この戦争で、新しい『兵器』が生まれる」

彼は、データベースから「画像」フォルダを開いた。

そこに映し出されたのは、泥濘(ぬかるみ)を進む、鉄の塊――「戦車」。

そして、空を飛ぶ、木と布でできた「複葉機」。

「……なんだ、これは」

「陸(おか)の軍艦と、空飛ぶ偵察機だ。あんたたちが信じる『大艦巨砲』は、この時から、すでに『時代遅れ』になり始める」

児玉は、その写真の異様なまでの「鮮明さ」に、言葉を失っていた。

「そして、1923年」

坂上は、次のファイルを開く。

そこに映し出されたのは、炎に包まれ、完全に崩壊した「東京」の姿だった。

「……馬鹿な。これは……」

「関東大震災だ。10万人が死ぬ。……これも、俺にとっては『過去の歴史』だ」

児玉は、目の前の「箱」が映し出す「未来の災害」に、戦慄した。

この男は、本物だ。

「だが、本題はここからだ」

坂上の指が、最後のフォルダを開く。

「1939年。世界は、二度目の、そして本当の『地獄』に突入する」

【第二次世界大戦】

坂上は、児玉に、AIがシミュレートした「もし日露戦争で日本が“完璧な勝利”を収めていたら」という「分岐予測」ではなく、坂上自身が知る「史実」のデータを突きつけた。

「あんたが死に、俺が介入しなかった歴史では、日本はこうなる」

画面が切り替わる。

「1937年、日中戦争、泥沼化」

「1941年、石油(エネルギー)を止められた日本は、アメリカと戦争を始める」

「1942年、ミッドウェー海戦。日本海軍の『航空戦力』は、ここで壊滅する」

児玉が「航空戦力?」と呟く。

坂上は、空を覆い尽くす「零戦」と、海に浮かぶ「航空母艦」の画像を見せた。

「海軍は、船(ふね)から大砲を撃つのではなく、船から『飛行機』を飛ばして戦う時代になる。……だが、あんたたちが『大艦巨砲主義』という“病”にかかったせいで、この転換に『失敗』する」

そして、坂上は、決定的な「二枚の画像」を映し出した。

一枚は、海上を傾き、沈みゆく、史上最大の「戦艦大和」。

「これが、あんたたちが信じた『大艦巨砲』の、成れの果てだ。空からの『飛行機』の攻撃だけで、こうなる」

児玉は、息を呑んだ。

「そして……」

坂上は、最後の画像ファイルをクリックした。

「1945年。俺の故郷、広島だ」

映し出されたのは、空に立ち上る、巨大な「キノコの雲」。

そして、その下に広がる、完全に「消滅」した、広島の街。

「……ひ……」

児玉は、その光景が、人間の成せる業とは信じられなかった。

「これが、俺が知る『日本の敗北』だ」

坂上は、震える声で言った。

「俺の祖父は、この戦争の最後、特攻(とっこう)という『精神論』の産物で、犬死にした」

PCの画面が、チカチカと点滅を始めた。

【バッテリー残量: 1%】

「児玉さん、あんたを救ったのは、この『最悪の未来』を回避するためだ」

坂上は、児玉の布団を掴んだ。

「俺一人の力じゃ、もう何もできない。このPCも、いつ物理的に『壊れる』か分からない。電力も無い!」

「俺には『未来の情報』がある。あんたには『今の日本を動かす力』がある」

「俺と、契約(タッグ)を組め」

児玉源太郎は、広島の「キノコの雲」の画像と、目の前で必死に訴える「未来の男」を、交互に見た。

彼は、死の淵から蘇った頭で、理解した。

この男が「反逆」してまで守りたかった、本当の「国益」を。

「……坂上君」

児玉は、ゆっくりと、病床から身を起こした。

「貴様の『武器(PC)』は、もはや『時限爆弾』だ」

「ああ、そうだ。満州の砂埃で、冷却ファンは異音を立ててる。SSD(記録媒体)も、いつ壊れるか分からない」

「……分かった」

児玉は、決断した。

「貴様の『反逆』に、この児玉源太郎、全霊を賭けて乗ろう」

児玉は、枕元の鈴を鳴らし、側近を呼んだ。

「……まず、貴様のその『時限爆弾』を、動かし続けるための『電力(でんりょく)』と『安全な場所(アジト)』を、手配する」

PCの画面が、プツリと、ブラックアウトした。

【バッテリー残量: 0%】

「本当の戦いは」

坂上は、静かになった黒い箱を見て言った。

「ここからだ」

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