ニコちゃん先生のおひさまマーマレード

・みすみ・

王国あるある

「ミカンなんて、生まれてこのかた、買ったことないわぁ」

 と、日ごろからうそぶいているのは、社会科のうら先生。

 3上の先輩である。

 同じ大学出身ということもあり、なにかと面倒を見てくれる、たよりになる女性だ。

 

 うら真奈美まなみが特殊なのではない。

 これは、瀬戸内海に面したこの温暖な地方に、先祖代々住んでいる人々がよく口にする文句である。


 みんなして、家業がミカン農家なわけではなく。

 一般家庭でも、ミカン(柑橘かんきつ物)とは、だれかからもらうものなのだ。


 高橋たかはし虹子にこは、ウラはウラでも、裏日本と揶揄やゆされることもある日本海側の地方出身者である。

 ミカンは、圧倒的に、ここらあたりの方が甘いと思う。

 

 甘くてジューシー。

 それがタダで手に入るとは、うらやましい限りだ。

 

(まあ、ぶどうでは負けないけどね)

 と、ひそかに思うが、県民闘争になるので、言わない。


 さて、その浦先生が、2月下旬、はっさくをあげるから、取りに来いと言った。

「親戚からたくさんもらったんだよ。好きなだけ持って行ってよ」


 2月下旬と言えば、いくら進学率がそれほど高くない中堅高校とは言え、まだまだ受験シーズンまっただなか。

 教師たちはピリピリしている。

 しかし、ふたりとも、今年は1学年の担当だ。

 比較的、こころ穏やかに過ごせている。


 虹子が、浦の借りている部屋をおとずれたのは、卒業式がおわったばかりの週末。土曜日の昼間だった。

 浦も虹子も独身だ。

 土曜日の真っ昼間に、かんたんに約束できてしまう独身だ。


 淡いピンクとホワイトの、ツートンカラーの軽自動車で、向かう。

 冬のボーナスを頭金にして買ったばかりの新車だ。

 高橋虹子、初めてのマイカーである。

 

 運転免許自体は、大学の在学中に取っていたから、若葉マークはつけない。

 小回りがきいて、車庫入れも簡単。

 ひとり暮らしの街乗りには、ちょうど良いサイズ感で、気に入っている。


 はっさくのお礼に、とちゅうのコンビニで、ハーゲンダッツのアイスクリームをいくつか買って持って行った。

 

 浦のマンションは、虹子のアパートから、車で10分くらいのところにある。

「おお、ありがとう~。ぎゃくに気をつかってもらって悪かったね」

 と、言いながら、浦はほくほく顔でアイスを冷凍庫にしまう。


 少しまちなかからは離れるので、このあたりは、広いわりには、家賃が安いそうだ。

 げんかんの靴脱ぎ場も、虹子のアパートよりは広かった。

 それをほぼふさぐ形で、黄色い箱が鎮座ちんざしていた。


「コンテナですか……」

 虹子はあぜんとした。


 ぱっと見、縦、横、高さ、50センチ✕40センチ✕30センチくらいの大きさの、オレンジ色のコンテナがふたつ積み重ねられていた。

 どっさりと、おおきな黄色い果実が入っている。はどれもソフトボールくらいありそうだ。


 げんかんのドアを開けた瞬間から、柑橘とくゆうの酸味のある香りがただよってきた。


「これは、レモンのにおいですか。」

 虹子が名作のセリフをまねて言うと、

「いいえ、はっさくですよ。」

 と、浦が答えて、くくくと笑った。


「ミカン王国あるあるなのよ。コンテナでおすそわけ」

 王国、すごいな、と思いつつ、虹子は、

「ぜんぶはっさくですか」

 とたずねた。


 浦はうなずき、苦笑した。

「いくら好きでも、一人暮らしにはちょっとね。生徒さんにもあげなさいねーって言われたんだけど、そういうわけにもいかないしさぁ。ごめんだけど、たくさんもらって行って。ママレードにするのもおすすめだよ」


 せっかく持ってきてくれたから、アイスはいっしょに食べようよ、と、浦が誘った。

 浦は抹茶で、虹子はストロベリー。

 カップアイスをふたりで食べながら、すっきりとしたダイニングテーブルで、少ししゃべった。


 レジ袋にふたつぶんはっさくを持たされた。

 車までは、浦が手伝ってくれたので良かったが、自分のアパートに運び込むのが大変だった。


 虹子は、パンパンに入ったはっさくの袋を両手にさげて、アヒルみたいなよちよち歩きで、アパートの階段をのぼった。



――――――――――――――――――

【脚注】「これはレモンのにおいですか。」


『白いぼうし』(あまんきみこ作)の冒頭のセリフ

本来は、「いいえ、夏みかんですよ。」と続く

小学4年生の複数の教科書に、長年掲載されている名作


ちなみに、高橋虹子は国語教諭である


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