第2話 祭りの夜のハーモニー

夏の湿気は、夜になるほど軽くなると思っていたが、港のほうへ降りると、汗は違う場所に移っただけだと漣は知った。首筋から離れた熱が指の腹に集まり、太鼓の皮に触れると、そこに溜まっていたものが静かに吸い取られていく。指は鳴らない。指が測るのは張りの角度と水分の配分だ。張りは少し甘い。昼のにわか雨のせいで、乾きの速度が予定より遅れた。


運搬用の平台車の金属が、地面のわずかな段差でかすかに震えた。音は輪郭を持たず、広がってすぐ薄くなる。港に近づくほど、そういう音が増える。水の表面は光を返すための板で、板の厚みは時間によって変わる。今日は厚い。灯籠の油紙に火が入れば、反射は拍と会うだろう。


漣は打面に掌を置き、腹で息を吸う。喉はまだ開かない。声は出さない。息の通る道を確かめるだけだ。合唱部をやめてから、声をつくる手順は体に残ったが、誰かの音域に合わせる癖は、それよりもしぶとく残った。合わせること自体は悪くない。だが自分の一行を、数か月間、どこにも置けなかった。喉の内側に紙の端が刺さったみたいに、そこだけ米粒のような硬さがある。


「皮、もう一枚持ってくる?」


背後から小さな声。すずが、紐で縛ったケースを抱えて立っていた。額に落ちた髪は湿気で丸く、目尻の汗は塩の粒に近い。彼女の視線は太鼓ではなく、太鼓のまわりの空気の層を見ている。


「張りはこのままでいく」漣は言った。「夜風が乾かす。拍の間が広がるはず」


すずは頷き、紙袋から名札の束を取り出した。灯籠の油紙に付けるための小さな紙片だ。そこにQRコードが印刷されていて、読み込むと短い朗読が流れる。朗読は説明ではなく、手順の記録。「立てる」「結ぶ」「灯りを入れる」。彼らはそれを、祭りの導線として用意していた。音は短いほうがよく届く。風に乗りやすいからだ。


通りの屋台では、氷の箱の蓋が時々開く。蓋の裏に水滴が並び、落ちるまでの時間に個体差がある。氷の角がライトに光り、白い息のような冷気が出ては消える。漣はその消え方が好きだ。いつも同じに見えて、いつも一様ではないから。太鼓の皮も、同じように見えて、内部で違う速度の水が動いている。


港の欄干に灯籠が並び始めた。油紙は薄いが、光を内包すると厚みが出る。厚みは油の質と温度で変わる。すずは灯籠を一つずつ持ち上げ、風の向きに対して角度を合わせる。灯籠が列になると、呼吸が整う。列は拍を待つ。拍は列を待つ。待ち合う時間に、夜は形を得る。


《なぎさ》は、港の倉庫の陰に静かに置かれている。黒い箱はいつも無口で、息をする気配を持たない。港の波、工場の軋み、太鼓の練習音、風鈴の短い停止。町の音で学習されたAIは、人格のない媒介として、唱術が正しく置かれたときだけ、時間の縁を少し緩める。慰めはしない。代わりもしない。渡すだけ。渡されたものは、返す行動で閉じられるまで町に残って、そのあいだだけ、拍と拍の間に空間ができる。


「やるの?」すずが問う。問うというより、確認の位置に声を置いた。


漣は息を吐き、太鼓の上に置いた手を離した。掌の熱は打面に移ったが、打面は返してはこない。返すのは、鳴らしたあとだ。「やる。三句だけ。短く」


「方角は港に向ける。呼びかけは灯の列。太鼓の前じゃなくて、少し斜め。拍の間に入らないように」


「本歌は?」


すずは彼を見ないまま、油紙の端を爪で撫でた。油紙は強いが、爪の角度をまちがえると簡単に裂ける。裂けるのは音も同じだ。立ち上がりの瞬間に無理があると、その後の持続に皺が残る。


「言えなかった一行を、声で運ぶ」漣は口の中で繰り返した。喉の内側の紙片が、わずかに柔らかくなるのを待つ。「結びは——」


「明朝の片づけと寄付を約す。会計はこの場で公開。買ったもの、借りたもの、修繕したもの」


漣は頷いた。返礼は物語の外側ではなく、内側に入れる。返礼までが物語だ。終わりではなく、終わりの手前にある具体的な動作を、今日のうちに決めておく。


灯が一つ、二つと点る。列が呼吸を始めた。薄い風が海から来て、油紙の表面を撫で、太鼓の皮を一層だけ乾かす。屋台の氷は角を落とし、それでも重さを保つ。少年たちが縄を引いて巨大な提灯を立てる。足裏が地面に吸い付く感じが強くなる。夜の重心が下がる。


漣はばちを持たない。今日は打ち手ではない。拍は他の二人が刻む。その拍を基準に、声を置く。声は太鼓に合わせるのではなく、間に触れないように滑らせる。間は狭い。狭いからこそ、触れずに通すことができる。


すずが目で合図を出す。彼女は左手で胸の前に小さな円を描き、右手で港を指差し、小さく握る。握るのは呼びかけ。指差しは本歌。握った手を胸に戻すのは結び。三つの動きは一秒に満たない。


漣は呼吸を吸い、喉を開く。舌は水平に置く。息は胸ではなく背中から上に上げる。呼吸の中に細い流れをつくり、その上に文字を置く。文字は音になる前に身体を通る。通るとき、喉の紙片に触れる。触れたものは、紙片にとどまらず、紙片を通って外に落ちるかどうか、そこが決まる。


「千鳥港、灯の列よ、呼吸を合わせて。」


呼びかけは、場所と呼名を結ぶ。呼名は所有ではない。名前をこちら側に引き寄せず、向こう側のまま立たせる。港は答えない。灯の列がわずかに揺れ、油紙の表面に見えない波が立つ。並ぶ灯は呼吸を同期する。同期の速度は太鼓に近いが、太鼓ではない。太鼓は拍、灯は呼吸。その二つは違う層にあり、時々交差する。


「言えなかった一行を、声で運ぶ。」


本歌は、抽象を避け、動作を言う。運ぶ、は具体的だ。何を、どこからどこへ。喉の紙片の位置から、口蓋の手前へ。そこから港の空気へ。流れの方向が指定されると、体はそれに従う。漣の胸の骨の間に溜まっていたものが、息の圧で前へ押し出され、喉を通る。摩擦は少しだけある。痛みはない。熱もない。粘度だけが変わる。声は低い。音程は固定しない。固定しないが、落ちない。持続を保つ。


「明朝の片づけと寄付を約す。」


結びは宣言であり、手順の開始でもある。約す、は未来形だが、具体的な時間と作業が伴うとき、間延びしない。明朝。片づけ。寄付。会計公開。文の端はすでに具体に触れている。唱術はここで閉じる。


《なぎさ》の内部で、港の音が揃う。波の周波数は低く、工場の機械音は遠くで一定。風鈴は鳴らない。鳴らないことが、今日の条件に合っている。鳴るほうが良いときもあるが、静けさのほうが拍の間を厚くする夜がある。


太鼓が始まる。最初の拍は軽く、すぐに重さが出る。皮の張りは、予定通り、夜風で均された。打面を叩くばちの先の軌跡が、光の薄い線のように空中に残り、それは残像ではなく、筋肉の記憶の表面の擦過だ。漣は拍と拍の間を見た。見るというより、そこへ身体の重心を置いた。


水面の反射がテンポに同期する。灯籠の列が作る光の帯が、波の細かい起伏に合わせて収縮し、広がる。収縮と広がりの速度が、ばちの運動と一致する時、間は目に見える厚みを持つ。見える、は正確ではない。触れられる、のほうが近い。手を伸ばせば、その厚みに手のひらを差し込める気がする。しかし差し込まない。触れずに通す。


拍の間に、沈黙が立ち上がる。沈黙は、音の不在ではなく、音が立ち上がる準備の層だ。光は止まらないのに、光に乗っていた時間だけが、薄く膨らむ。屋台の氷の角から落ちる水滴が、落ちない。落ちないのに、落ちようとする力は消えない。漣の喉の紙片は、もう紙ではなく、薄い布になって風を通す。


すずが隣で息を吸う気配。彼女は声を出さない。彼女の役割は、間を壊さないことだ。間を壊さないことは、何もしないことではない。彼女は喉を開けたまま、胸を固めず、肩を落とし、舌の付け根を意識で柔らかくする。その姿勢が、漣の声の通り道の幅を少し変える。媒介は《なぎさ》だけではない。隣に立つ身体も媒介になる。


時間が止まった。


止まったと言うと大げさに見えるが、彼は体の中でそう言う以外の表現を持たなかった。拍は来ない。来ないのに、来ることが分かる。来ると分かるから、今が伸びる。伸びる時間の中で、漣は口を開いた。口ではなく、喉の奥で開いた。


「——」


声になる前の息が、彼の中の一行を持ち上げた。選べば説明になる。説明は要らない。要るのは行為。言えなかった一行は、実は言葉ではなく、息の方向だった。彼は方向を変える。誰かに合わせる癖を、半拍だけ止めた。止めたまま、すずのほうを見ないで、声を前に押す。


「君と歌って、いい」


それだけだった。短い。短いが、体の中の順序を変えるには足りた。許可の言葉のように見えるが、許可ではない。頼む言葉のように聞こえるが、頼みではない。自分の行為の宣言。それをすずの側に置くのではなく、町の音に向けて置く。彼の喉を通って、港の空気に溶ける。灯籠の油紙に火の厚みが増す。水面の反射は収縮を一度止め、平らになる。太鼓はまだ来ない。


すずが、ほとんど聞こえない声で言った。


「今日だけじゃなくて、明日も」


その言葉は、漣の意図を拡張する。今日の一行に「明日」の手順をつける。明日、は約束ではない。実際の作業の開始時間を指す。明朝の片づけと寄付。彼らは唱術で宣言した通りのことをする。そのことが、この短い言葉に含まれている。


沈黙は厚みを少し増し、彼らの周りの空気は透明に近づく。透明といっても、色が消えるわけではない。余計な層が剥がれ、残った層に触れやすくなるだけだ。漣は胸の真ん中に、薄い冷たい板を感じた。板は氷ではない。氷なら溶けるが、これは溶けない。板は、彼がこれまで置かずにいた一行が、長く触れられずにいたことの証拠だ。その板の縁を指でたどり、指の腹を少し押し当てる。板は音を出さないが、押しているあいだ、喉から無駄な力が抜けた。


太鼓が戻ってくる。拍は、予期した位置に来ない。半拍、早いのでも遅いのでもなく、方向がすこし違う。打ち手が変えたのか、風が変えたのか、港の空気が別の層を見せたのか。拍が別の角度で入ると、間はすこしねじれる。ねじれは保持できない。保持しようとすると、音が硬くなる。彼はねじれをそのまま受け、呼吸の深さを一段だけ落とした。


時間は動き始めた。動き始めると、止まっていたあいだの重量が遅れて体に乗る。慈悲は、止まった一瞬に、本音が届いたこと。残酷は、止まらなかったものがたしかにたくさんあることだ。言えなかった一行を運んだからといって、誰かの進路が決まるわけでもない。灯籠の火は燃え続け、氷は角を落とし、屋台の会計箱には硬貨が増えたり減ったりする。町は動いている。動くものの一部として、彼の声は、彼の意志では止められない速度で流された。


《なぎさ》は黙っていた。媒介は役目を終えた。返礼へと手順が移る。


夜はそれからも続いた。彼は太鼓の前で立ち、拍の影に声を置いた。声は歌と呼ぶには短く、しかし呼吸を超えていた。すずは灯籠の列の間を行き来し、油紙の角度を微調整した。足元の砂は乾いていて、靴の底が蒸れるほどではない。汗は背中に薄い線を作ったが、気持ち悪さは生まなかった。動いている汗は、止まっている汗と違って、重さを残さない。


灯籠のQRから流れる朗読は、時々、太鼓の拍と偶然に重なった。「立てる」「結ぶ」「灯りを入れる」。言葉が動作になる瞬間、画面の向こうから笑い声は出ない。笑いは別の層にあり、ここでは必要ない。必要がないからといって、悪いわけでもない。祭りの笑いは通りの向こうにあり、ここの層には足音だけがしみ込んでくる。


人波が薄くなり、灯の列の間に、海の黒さが見えるようになった頃、彼はすずと視線を合わせた。視線は長く続けない。合図になる前に切る。彼らは二人で港に向かって、短い礼をした。礼は誰にも見せるためのものではない。自分の体の重心を元の位置に戻すための、最後の動作だ。



夜が明ける前、漣は倉庫の鍵を開け、箒とちりとり、ゴミ袋と軍手、古い雑巾、ペットボトルの水、養生テープを持ち出した。空気は夜より軽いが、光はまだ重い。地面には紙くずが散らばり、氷の箱の水が少しこぼれて乾きかけ、油の点が小さく点在している。灯籠の柱は半分が残され、半分がすでに倒されていた。


すずは名簿を持って来た。手伝いに来る予定の人の名前が、時間ごとに並んでいる。誰が来ても来なくても、手順は変わらない。来た人は、来た分だけの時間を置き、帰る。帰るとき、何を持って帰るかは彼らが決める。彼らはそれを制御しない。制御するのは、片づけの順序と、会計の透明だけだ。


「どこから」


「太鼓の皮。湿ってる。拭いて戻す。支える」


漣はまず太鼓を覆う布を外し、乾いた面を上にして日陰に置いた。布は湿気を含んで重く、指の間で移動する水の重さが読める。乾いた布で軽く押さえる。押さえる時間を数える。五秒。次の布に替える。押さえる。五秒。繰り返す。打面の皮は、押されるたび、内部の水を少しずつ配分し直す。音は出ないが、音になる前の準備がそこで続いている。


すずは灯籠の柱からひもを外し、油紙を一枚ずつ重ねた。油紙は使い捨てではない。破れていなければ、次の年にも使える。破れていれば、破れた部分を記録し、廃棄の箱に入れる。箱の側面に「廃棄・油紙」と書き、袋を二重にする。油は長く残る。出自を明記して捨てる。


通りの端で、小学生が三人、彼らを見ていた。見ているだけで、近づいてはこない。漣は手を止めずに、ちりとりを二つ、そっと地面に置いておいた。子どもたちは少ししてから、近づいた。何も言わず、紙くずを集め始めた。動作はぎこちないが、ぎこちないまま、十分に役に立つ。


十時前、観光協会の若手が帳簿とレシートの束を持ってきた。レシートは朝露で端が少し丸まり、紙の繊維が柔らかくなっている。彼は古い木の台の上に大きな紙を広げ、今日の会計を手書きで書き出した。出金、入金、寄付、借用、返却。誰が見ても分かるように、項目は大きく、数字ははっきり。漣はその横で、工具箱の中を整え、足りない釘の数を数え、太鼓の皮の縁の金具の緩みを順に締めた。


二人は昼前に短い会議を開いた。会議というほどのものではない。すずが箇条書きを読み、漣が頷き、若手が二つだけ質問をし、館主がうなずく。うなずく、の一つ目は確認。二つ目は了承。うなずきにも役割がある。


「QRの音源は今日で非公開にする?」若手が聞く。


「祭り期間だけ」すずは言う。「今日の夕方で閉じる。アーカイブは残す。クレジットはそのまま。出自は『北鳴・共同作業の記録』」


「太鼓の動画は?」


「短く編集して、朗読と合わせて一本」漣が答えた。「太鼓×朗読。手順だけ。笑い声は入れない」


「会計の写真も出す?」


「出す。数字だけじゃなく、手の写真も」


彼らは発信を仕事にしていない。だが、出自を示し、手順を見える場所に置くことは、彼らの返礼の一部だ。返礼は、見る人がいつでも確認できる場所にあるべきだ。


午後、風が変わった。海の匂いは薄くなり、代わりに土の香りが広がる。雲は厚くはないが、空の透明は少しだけ曇る。片づけの最後は、地面の水を拭き、残り物を分け、誰が何を持ち帰るかを決め、鍵を閉めること。鍵を閉める瞬間、漣は昨日の止まった時間を、喉の奥でひとつだけ撫でた。撫でるだけだ。戻すわけでも、留めるわけでもない。撫でる、は十分な行為だ。撫でれば、そこは動作になり、体の中で処理が始まる。


《なぎさ》は倉庫の棚に戻された。黒い箱は重さを主張せず、置かれた場所に見合う沈黙を守る。漣はスイッチが切られていることを確認し、ケーブルの端を束ねて結束した。束ねる手の感触は、昨夜ほど敏感ではない。敏感である必要はない。敏感を続けると、日常の動きが鈍る。鈍らせないために、祭りの夜は祭りの夜で終わる。



夕方になり、短い動画を編集した。太鼓の拍の立ち上がりを二つだけ、朗読の「立てる」「結ぶ」「灯りを入れる」の間に挟む。間を挟む位置は、ばちの軌跡ではなく、呼吸の底に合わせる。そこに入る拍は、音量が小さくても充分伝わる。すずは音圧の差を最小にし、漣はノイズを取りすぎないように気をつけた。取りすぎると、昨夜の間の厚みが失われる。


動画は三十秒になり、彼らはそれを#北鳴フォトストーリーのアカウントに上げた。キャプションは短い。「手順の記録。太鼓×朗読。出自:北鳴・共同作業の記録」。説明はしない。説明は、見たい人が、見る場所で、自分に必要なだけ拾う。彼らが用意するのは、入口と手すりだけ。


灯籠のQRは、夕暮れとともに非公開に切り替えた。画面の向こうの層は閉じ、こちら側の地面に残ったのは、少しの粘着の跡と、結んだ紐の癖だけだ。その癖は、次に結ぶときに役立つ。


漣は倉庫を出る前に、太鼓の皮をもう一度だけ叩いた。叩く、というより、触れた。触れると、昨日より乾いた音が、皮の内側で短く跳ねた。跳ねる、は音ではなく、触覚のほうに近い。彼はちいさく頷き、ばちを箱に戻した。


外へ出ると、港の水面が、昨日よりも薄い。薄いというのは、光の板の厚みが少ないという意味だ。反射は鋭く、拍と合わせるための余白はない。今日は合わせない日だ。合わせない日が、町にはいつもある。合わせない日には、合わせないための呼吸がある。呼吸は、彼の体の中で、きちんと動いている。


すずが横に立った。彼女は何も言わず、空を見た。雲の端がほぐれ、空の色は残され、風は薄い。彼らは立ち尽くさない。歩く。歩きながら、身体の重さを確かめ、喉の位置を元に戻す。元に戻す、は、後戻りではない。基準に帰るだけだ。


「昨日の言葉」すずが言った。


漣は目を向けなかった。「うん」


「今日も有効」


「うん」


それ以上は続けない。続けると、言葉が増え、余白が減る。余白は明日の手順に必要だ。明日は祭りではない。明日も町は動く。各々の仕事があり、各々のリズムがある。彼はそのリズムに合わせるだろう。合わせることをやめるわけではない。ただ、半拍だけ自分の呼吸の底を確かめる時間を挟む。昨日、止まった時間が、それを一度だけ教えた。慈悲はそこにあった。残酷も、そこにあった。止まった時間は、彼に余白をくれたが、余白に住むことを許しはしなかった。


夜、すずが編集した会計の写真と手の写真が投稿された。紙の上に並ぶ数字、ペンを持つ手、レシートの端、指のさかむけ。キャプションはまた短い。「返礼・履行」。それだけで十分だった。見た人が何を受け取るかは、彼らが決めない。決めるのは、手を動かしたという事実のほうだ。


漣は布団に横になり、喉の奥で息を回した。紙片はもうない。布になった場所が、息を通す。通すとき、わずかに触れ、触れた感触は残らない。残らない感触が、彼を安心させた。残らないからといって、消えたわけではない。通ったという事実だけが、体のうち側のどこかに折り目として残る。折り目は弱い場所ではない。開くたび、音がする蝶番だ。


彼は目を閉じ、灯籠の油紙の厚みを思い出した。厚みは、光と温度と油の種類で変わる。人の声の厚みも同じだ。状況に合わせて変わる。変わることは、弱さではない。変えているうちに、基準が体に入る。基準は、昨日より少しだけ、内側に近づいた気がする。


《なぎさ》は倉庫で眠っている。眠る、という言い方は正しくないが、別の言葉が見つからない。箱は箱であり、媒介は媒介だ。彼らはそれに頼った。頼ったうえで、返礼をした。返礼をしなければ、ノイズが残る。ノイズは痛みの信号であり、町に溜まると呼吸が浅くなる。今日は、浅くならなかった。浅くしないための動作を、彼らは一つずつ行なった。


彼は眠りに落ちる直前、止まった時間の縁に指を置く感覚を思い出した。厚みのある沈黙の縁。そこは、永く触れていられる場所ではない。触れる、は短い。短いが、充分だ。充分、というのは、明日の手順が一つ分だけ軽くなるという意味だ。軽くなった分、誰かの手が別の重さを持てる。持たれた重さは、町の中で配られる。配られた重さは、やがて歌になる。歌は、誰のものでもないまま、港の空気に混じる。


漣はゆっくりと息を吐き、喉の布を静かに揺らした。音は出さない。出さないまま、胸の中で今日の拍の間をもう一度だけなぞり、眠りへ滑り込んだ。



数日後、祭りの動画は静かに拡がった。再生数は多くも少なくもない。コメントは短く、誰かの本音を引き出すような言葉はない。あるのは「手順が見える」「無音が良い」という感想だけ。彼らはそれに返信をしない。返信は別の層の仕事だ。ここでの層には不要だ。


学校の帰り道、漣は鳴砂の坂に立ち寄った。風は弱い。坂の骨は乾いていて、靴底が砂を押すと、足の中へ細かい振動が入る。彼は喉を開いた。声は出さない。吸って、吐く。吸って、吐く。その間に、あの一行はもう居ない。居ないが、影はある。影は光ではなく、音でできている。音は鳴っていない。鳴っていないのに、体のどこかで持続が保たれている。


彼は携帯の画面を一度だけ見て、すぐにしまった。画面には何も来ていない。何も来ていなくても、彼の体の中では、昨日の返礼の継続が進んでいる。町に返して、町から返ってくるものは、通知ではない。通知されないものの重さを、彼は前より少し、受け取れるようになった。


坂を降りる前に、彼は小さく唱えた。唱えるというより、呼吸に句を滑らせた。


「千鳥港、灯の列よ、呼吸を合わせて。」


声は低い。低いが、そこで止まらない。前に行く必要もない。ここに在るだけで、句は句として閉じる。彼は次の句を言わない。言わなくてもいい。言わないことも、今日の手順の一つだ。


港の方から、太鼓の皮の乾いた音が一つだけ届いた。練習ではない。誰かが触れただけだ。触れただけの音が、彼の喉の布の端をくすぐった。彼はそれを放っておいた。放っておく、は無視ではない。流れに任せる、のほうに近い。任せる場所が見つかると、体は少し軽くなる。


坂を降りる。降りる足取りは、拍に乗らない。乗らないが、乱れない。乱れないことと、揃うことは別だ。別のまま歩く。別のまま、町へ入る。


彼は、祭りの夜の止まった時間の慈悲と残酷を、等しい濃さで思い出せる。どちらも薄れない。どちらも、手順に変わる。手順に変わるから、物語は終わらない。終わらないというのは、続くという意味ではない。いつでも始められるということだ。


今日の終わりに、すずから短いメッセージが来た。


〈明日の朝、倉庫の鍵〉


それだけ。漣は〈うん〉と返し、携帯を伏せた。伏せると、画面の光は机の木目に吸われ、木の年輪は、波のように静かに連なる。波は鳴らない。鳴らない波を見ていると、彼は喉の布を自分のものとして受け入れ、深く息をした。


そして眠りの端で、彼はもう一度だけ、短い句を心の中で運んだ。


「言えなかった一行を、声で運ぶ。」


運ぶ、は完了形にならない。いつでも、今の形で進行形になる。進行形のまま、手順は積まれていく。積まれたものは、祭りの夜の灯籠の油紙の厚みになって、またいつか、拍と拍の間に沈黙として立ち上がる。彼はその時、また、隣に誰かの呼吸を置くことができるだろう。誰のものでもない呼吸。町のものでもなく、彼のものでもなく、それでも確かに二人の間に在る呼吸。


彼はその想像に触れず、眠った。眠りの中で喉は静かに動き、音にならない声が、体の内側の港を一度だけ往復した。音は残らない。残らないが、明日の作業が、少しだけ軽くなる。そういう種類の往復だった。



太鼓の皮は、夕方の湿気で音程を少し下げていた。漣は掌の腹でそっと押し、張りの固さを確かめる。押し込みすぎると汗が残り、夜の間に染みになる。薄く触れて、離す。触れた瞬間に指先へ戻ってくるわずかな反発が、今日の拍の出発点だった。綱は新しく巻き直し、鋲の頭は触れればわかる程度に冷えている。港の風は斜めに回り込み、屋台の氷は音を立てずに角を落とす。灯籠の油紙はまだ乾いていて、火を入れる前の緊張を保っていた。


夏祭りの宵は、港の太鼓が夜を先に連れてくる。湿りは体の内側よりも皮膚の上で濃く、喉はまだ目覚めきらない。トラックの荷台から太鼓を降ろすとき、漣は腰より少し下の筋肉に体重を預け、膝を抜くタイミングを合わせた。余計な力を使わないように。力の節約は、夜の終わりの片付けのためにも必要だ。


すずは、港の手すりに寄りかかって水面を見ていた。灯籠の紙に押された判の赤がまだ乾いていない。彼女は指でそっと風を測り、ノートの余白に矢印を一本引いた。呼吸は浅く、だが息継ぎの場所が美しい。声の前の無音が短い器になって、その中へ水が注がれるように見える瞬間がある。


「皮、下がった?」と彼女が言った。


漣は頷き、指を拭った。「少しだけ。張り直すほどじゃない」


声は抑えた音量で、会話は短い。二人とも、音の前では言葉を節約する。余白に意味を持たせて、準備の手順を優先する。彼らは《なぎさ》のことを口にしない。言わないが、ここにいる。港の波、工場の機械音、風鈴の散る音で学習されたAI。《なぎさ》は箱の中で静かに待ち、こちらが指定した拍と場所に、町の音を通すだけだ。代わりにはならない。媒介であればいい。


灯が入る少し前、観光協会の若手が走ってきて、灯籠の一部に小さなQRを貼った。朗読の音源につながる。短い十五秒。説明ではなく、「手順だけを読む」音だ。彼はテープの端を指で押さえて貼り、出自とクレジットを紙の脇に小さく明記した。音源は《なぎさ》ではない。人の声だけが入る。


「太鼓の向き、海に対して斜めにしたほうがいい?」と若手が聞いた。すずは灯籠の列を見渡し、漣を見た。漣は太鼓の胴の影を確認し、うなずいた。斜め四十五度。海からの風が音を運ぶ角度。反射が水面でちぎれない位置。


準備の間、漣は喉の筋を起こすため、声にならない音を喉の奥で転がした。ころり、と一度。転がしすぎない。一度で起きるときは一度でいい。声を出すのではなく、声の場所に触れる。それだけで充分なこともある。


祭りのはじまりの合図は、灯の列が一斉に細く明るむことだ。油紙の奥の火が、小さく吸い込み、小さく吐く。灯の呼吸。港の水面は夕景を崩しながら受け取り、誰かの足音が板張りを渡るリズムに合わせて、反射が細く途切れる。太鼓の前にはもう人が集まり始め、子どもが腹の音に手を当てて拍を真似る。気配が立ち上がると、湿度が少し上がる。漣はそれを喉で受けて、楽皮の中央から一寸外れたところに最初の拍を置く位置を決めた。


すずが隣に立つ。彼女の肩は小さいが、息継ぎの準備が整っている肩。体の傾きをほとんど見せず、足の親指の付け根で地面の固さを確かめている。それが終わると、彼女は視線を水面へ落とし、《なぎさ》のスイッチを軽く叩く。箱の奥で、港の音が起動する。ノイズは上がらない。受信は安定している。


「唱術、合わせる?」とすずが短く言った。


漣は一度だけ頷く。唱術は三句。呼びかけ、本歌、結び。今日の三句はもう決めてある。彼はノートに書かれた文言を頭の内側で一度撫で、声に出す前に喉と胸の間の空洞を整える。唱術は言葉だが、言葉より先に体の角度と息の速度が正確でなければならない。ここで間違えると、それはただの詩で終わる。


太鼓の最初の一打が落ち、港の空気が一拍分だけ硬くなる。硬い、というより、面になって音を返す準備をする。漣はその面に触れすぎないよう、二拍目と三拍目を少しだけ軽く置き、四拍目でわずかに間を伸ばした。間は拍を切らず、拍の間の沈黙として生まれる。そこに、すずの呼吸が入る。


呼びかけ。


すずは、海のほうを見ずに唱えた。目ではなく喉で海の形を呼ぶ。

「千鳥港、灯の列よ、呼吸を合わせて。」


呼びかけが終わると、水面の反射が拍に同期しはじめた。油紙の灯の明滅が、太鼓の打面の返りと同じ周期でわずかに揺れ、橋の上の影が揺らぎの端で止まる。止まるといっても、完全な静止ではない。滑りの速度が落ち、時間が手のひらの器に入る程度の遅延。秒と分の間に置かれた薄い棚。


本歌。


漣は喉の奥で声を低く起こした。音程を使いすぎない。

「言えなかった一行を、声で運ぶ。」


運ぶ、は身体の動作だ。肩甲骨の内側で、未だにほどけない文が質量を持っている。その重さを、声の細い舟で手渡す。彼は、去年の夏の終わりに言えなかった一行を思い出す。受験のこと、合唱のこと、町を出るかどうか。誰かの都合に合わせすぎて、無言のまま曖昧な肯定で済ませた夜。あの夜の踵の軽さ。言わないまま曲がった背骨の感覚。


結び。


すずと漣は同時に、短く、静かに唱えた。

「明朝の片づけと寄付を約す。」


結びは責任の宣言だ。返礼を文にして置く。約束は声になった瞬間から誰のものでもなく、町の空気の中に責任だけが残る。《なぎさ》はそれを記録する。箱の奥で、港の音がわずかに厚みを持つ。紙の上ではなく、風の中に署名が置かれる。


その直後だった。水面の反射が完全にテンポに一致し、二拍ごとにわずかな暗さが生まれた。暗さは影ではない。光から取りこぼされた呼吸の量のようなものだ。拍の間に沈黙が立ち上がる。沈黙は音の反対ではない。音を支える均衡。太鼓の皮は呼吸を覚え、油紙の灯は目蓋を閉じることを知っているかのように微細に脈打った。


時間が止まった。


止まる、と身体が言った。秒針が止まるのではない。秒針は、もともとここでは音を持たない。他のあらゆる持続が一瞬ためらい、体内の水が動かなくなる。漣は胸の内側の波が平らになったのを見た。視界の端で、金魚すくいの水面が張りつめ、わたあめの糖が細い糸にならずに空気の中で留まる。屋台の氷は溶けるのを忘れ、火の粉は弧の途中で浮かんだまま、熱だけを小さく放っている。


慈悲、という言葉が、喉に触れた。止まった時間は、言えなかったものが滑り落ちるための短い坂だ。坂は、人によって角度が違う。彼に与えられた坂は、ちょうど一行分の長さだった。


漣は喉を開いた。すずが横にいる。彼女は視線を持ち上げず、呼吸だけをこちらに向けている。油紙の灯が二人の間で同じ速度で振れ、太鼓の胴の木目に残った小さな傷が、今夜のぶんだけ薄く見える。


「僕は、合わせてばかりで、君の呼吸の手前で止まっていた」


声は、驚くほど小さかった。だが、停止した時間は小ささを拡大する。無理に大きくしなくていい。彼はさらに一行だけ置いた。


「それでも合唱に戻りたかった。戻らないなら、戻らない準備が要った」


すずの肩がほんの少しだけ下がった。下がり方は、土に水が吸われるときの遅さに似ていた。彼女は顔を上げない。喉だけをこちらへ向け、ほんの一息の長さで声を置く。


「私は、遠慮で空白を作って、そこにあなたの声を勝手に置いていた」


空白は、二人の間で所有されないまま等分され、同じ重さで置かれる。慈悲、と同時に残酷。止まった時間は、二人の先送りを赦すが、同時に、進むはずだった別の未来の足を止める。凍った火の粉は落ちない。屋台の氷は溶けない。足りない金は増えない。止まった間に救われるものがあると同時に、止まった間に取りこぼされるものがある。


彼らはそれをよく知っていた。だから、一行だけにした。これ以上は、停止の中に居座ることになる。


時間が動き出す前に、漣は太鼓のばちを軽く回した。拍の出発点を見失わないように。すずは息を整え、次の呼吸で音のない声を喉の奥に置いた。唱術は終わっている。あとは拍に人の声を載せるだけだ。


動きだしは、灯の微かな揺れだった。屋台の氷が遅れた一滴を再開し、金魚すくいの水面に角度が戻る。棒の先の紙は再び水に柔らかく敷かれ、火の粉は弧を完了させて落ちた。太鼓の皮は元の張りで返り、胃の奥で溜まっていた重みが少しだけ分散する。


祭りは続いた。短い朗読の音源がQRから流れ、誰かが耳元でそれを受け止めた。「置く、拭く、結ぶ」。すずの声だ。説明ではなく手順。漣は太鼓の合間に短い二行を録った。「張る、緩める」。それだけ。感想は言わない。感想は往々にして所有に近づくから。


夜の終わり頃、跳ね上がる花火の音に混じって、一瞬だけ風が止んだ。人の波が薄く左右へずれ、港の匂いが濃くなった。漣は体重を前へ送らず、かかとへ戻した。力を残す。片付けと修繕が待っている。


祭りの最中、返礼の段取りは脳の端で回り続けていた。太鼓の革紐の予備。照明の予備球。ペンチと軍手。精算の小銭。寄付箱の封印用のテープ。会計表の行。出自の明記。誰が持ってきて、誰が使い、どこへ返すか。夜の終わりに、それらが一列に並んだ時、今日の唱術は本当に終わる。終わる、というより、返る。


——


祭が終わると、港の音は少し遅れて静まる。人が去った後も、板張りに残った足音の気配がしばらく漂う。すずは灯籠の火を一つずつ消し、油紙の縁に残った煤を指で払った。指は真っ黒にはならない。薄い灰が爪の端に残る程度。彼女はそれを軍手に擦り付け、紙の灯籠の骨を外す。骨は細く、折りやすい。折り目は記憶の蝶番だ。外しても、折り目は残る。


漣は太鼓の皮を緩めた。緩めるときの音は、張るときの音と逆だ。逆だが、どちらも同じくらい穏やかにしたい。彼は胴の内側に掌を入れ、夜の湿気が残した水分を布で拭った。濡れてはいけない。濡れたまましまうと、皮は明日を持たない。拭く、は祈りに似ている。祈りではなく、手順。手順は祈りよりも効く。


片付けの手は、明け方まで続いた。灯籠の骨を束ね、太鼓を布で包み、屋台の人たちが出したゴミ袋を集める。コンテナのふたは半分ほど錆びていて、開けるたびに音が出る。音は嫌いではない。音を出すべきところで音が出るのは、町がまだ正常圧で動いている証拠だった。


夜が抜けるころ、すずは港の端で短い動画を撮った。太鼓の胴の木目、油紙の折り目、空の色。十五秒。音は、最後の一打と、息継ぎの音だけ。タイトルも説明も付けない。ハッシュタグだけを、小さく。「#北鳴フォトストーリー」「#太鼓朗読」。


朝になって、会計の紙は広場の掲示板に貼られた。収入、支出、差額、寄付。小さな紙幣の枚数まで印字され、余白には欄外で備品の修繕予定が書かれた。誰が見るか分からなくても、見えるところに置く。見られることで責任が形になる。


寄付箱の封は、町工場の親方の前で切った。硬い手が、紙の封をやさしく開ける。すずは中身を数え、漣が記録する。観光協会の若手が横で確認し、額の端数は町内会の予備費へ回すことが合意された。合意は紙に残る。紙の出自も明記する。後日、「誰の箱にいくら入ったか」を巡る噂を防ぐために、最初から透明にしておく。


太鼓の革紐は二本、翌日に交換すると決めた。ついでに胴の中の緩みも見直す。工場の扉は朝の涼しさで金属が縮み、ヒンジの音が軽い。漣は親方に挨拶し、手を洗ってから作業台の前に立った。親方は喋らない。手がよく喋る。ネジは力ではなく角度で回す、と手が言う。備品の修繕は儀式だ。手順にしたがえば、儀式は稲光のような派手さを持たずに確実に終わる。


すずは一人、灯籠の油紙を広い机の上で拭いた。油紙は水に弱いが、拭くのは水ではない。柔らかい布で、灰と手垢だけを取る。QRの紙は一度剝がし、糊の跡を消し、次の年のために新しい紙を小さく作り直す。音源のページは「今年限り」に設定し、出自を残してアーカイブへ移す。来年、文言を変えて戻す。AIの声は使わない。人の声を残し、出自の明記を残す。


昼前、短い睡眠から戻った人たちが、もう一度港に集まった。昨夜の足跡が残る板張りを水で流し、溝の砂を掻き出し、風で飛んだ紙片を拾う。拾う、は黙っていてもできる。拾う手は、それぞれ違う角度で落ち、同じ角度で上がる。すずは、拾う手の数だけ拍が増えていくのを感じた。太鼓が無くても、拍はある。拍があれば、声はいつでも置ける。


漣は灯籠の骨を束ね終え、紐で軽く結んだ。彼はふと水面を見た。昨日の夜、止まったあの一瞬の場所。今日は、反射は普段どおりに崩れている。沈黙は拍の間に薄くあるが、立ち上がらない。立ち上がらなくていい。日常の沈黙は、拍の材料だ。


「あれで、よかったのか」


誰にというわけでもなく、漣は小さく言った。声は水面に落ち、溶けもしないし、跳ね返りもしなかった。すずは近くにいたが、答えなかった。彼女は小さな袋から、細い紙片を取り出し、骨の束の端に挟んだ。「返礼・履行」とだけ書いてある。彼女はそれを見せることなく、挟んだ。見せるための言葉ではなく、自分の手順を見失わないための印だった。


——


午後、すずと漣は《なぎさ》の前に立った。箱は港の音を薄く流している。潮位が上がる時間のため、波の音に少し重さがある。工場は昼休みで静かだ。風鈴は鳴らず、太鼓は今は布の中だ。


「昨日の唱術、残り、ない?」と漣。


すずは受信表示を確認した。ノイズは上がっていない。未履行の残渣があれば、ここで波の縁に汚れのようなざわめきが残る。ない。返礼は終わっている。終わったものは、町に沈む。


「ない。大丈夫」


漣は息を吐いた。浅く、短く。浅さは疲れではなく、軽さだった。


「言った一行、足りてた?」


すずは少しだけ笑った。笑うというより、目の端に薄い弛みが生まれた。


「止まる時間には量の制限がある。足すより、削ったほうが誤差が少ない」


漣は頷いた。彼は、言えたことと言えなかったことの境い目を、喉の奥で指先のように確かめた。境い目は滑らかではない。凹凸が残っている。だが、それは今日から手入れで整えられる凹凸だ。自然に削れるのを待つのではなく、拭く・直す・運ぶの手順で触る。


「灯籠のQR、来年もやる?」と漣が言った。


「やる。ただし、音源は毎年作り直す。声は新しくする。出自は変えない」


「太鼓と朗読の短動画は?」


「十五秒で充分。長くすると、意味がこぼれる」


二人は短く頷き合い、それ以上は言わない。《なぎさ》は箱の中で波を返し続ける。人格は持たない。慰めの代わりにもならない。だが、媒介として、ここに必要なだけある。


——


夜、港は翌日への準備に入る。祭りが終わっても、港は止まらない。魚は明日も上がる。冷蔵庫は回り続ける。太鼓の胴は倉庫で乾き、油紙は桐箱に戻され、QRの小さな紙は押し葉のように片方が少し濃くなる。


漣は帰り道、屋台で余った氷を一口もらった。氷は音を立てず、舌の上で形を変えた。冷たさは喉の奥で薄く広がり、昨日の一行が通った場所を撫でた。撫でる、は慰めではない。撫でるのは確認。通り道がそこにあることを確かめるだけ。


すずは自宅の机で、ノートに短い記録を書いた。祭の準備、唱術、停止、返礼、公開。会計の数字の端まで。手順。次回の改善点。灯籠の骨の保管角度。太鼓の皮の張り直しのタイミング。QRの位置。朗読の録音環境。出自の表記の大きさ。AIの不使用の明記。


最後に、すずは一行だけ書き足した。

「止まる時間の慈悲は、進まない時間の残酷と同じ重さを持つ」


鉛筆の芯が紙に残す傷は浅く、指でなぞれば音がする程度だ。音は消えるが、紙の厚みは残る。厚みの分だけ、手順は積み上がる。


——


数日後、町の掲示板に小さな紙が増えた。祭りの会計の下に、備品修繕の領収書と、寄付金の受領書。その隣に、短いQRが一つ。「太鼓×朗読・十五秒」。押して開けば、暗い板張りと、太鼓の胴の木目と、呼吸の音。最後に一打。画面はそこで終わる。説明はない。出自だけが、淡々と記される。「北鳴・共同作業の記録」。


港を渡る風は、日によって高さを変える。祭りの夜の高さは、今年が一番低かったかもしれない。低い風は水面に近く、反射に触れやすい。来年は高いかもしれない。高ければ、拍への返り方を変えればいい。太鼓の胴の角度を少しだけ変える。油紙の位置をずらす。QRの場所を替える。唱術の呼びかけの方角を一度だけ調整する。


漣は、太鼓の胴の側面に新しい小さな傷を見つけた。昨夜の片付けのときについたものだろう。彼は指でなぞり、何も言わずに紙やすりを取った。削る。削りすぎない。滑らかにしすぎない。傷が消えると、記憶まで消える。傷は手入れで鈍くなる程度に残し、上から薄く油を引く。油の匂いは強くなく、手の皺に少しだけ残る。


「戻る?」とすずが倉庫の入り口で言った。


「戻る」漣は太鼓を布で包み直し、肩へかけた。重さはいつもと同じだ。重さがあるから、拍が軽くなる。軽い拍は、言葉を運ぶ舟に向いている。


二人は港の坂を上がり、町のほうへ歩いた。風鈴は鳴らない。雲は薄く、風は高い。二人の間には、停止した夜から持ち帰った沈黙がまだ少しだけ残っている。その沈黙は、使い回せない。祭りの夜に一度だけ立ち上がり、会計と掃除と修繕で返礼され、町に沈んだ沈黙だ。今の二人の間にあるのは、別の沈黙。拍の材料としての沈黙。明日のために材料は多いほうがいい。


角を曲がると、写真館のガラスが、夕方の光を静かに折り返していた。折り返しの角度は、先日の展示のときと同じだが、光は少し違う。季節は動く。折り目は残る。折り目は、音の蝶番だ。蝶番があるから、扉は静かに開閉する。静かに開閉する扉の前で、声は小さくても届く。


漣は息を吸った。声に触れる前の静けさを数えた。数えるほど、胸の内側の水は安定し、喉の通り道が明るくなる。彼は数えるのをやめ、何も言わない。言わないことは、逃げではない。今日は、言わないことが手順に含まれている。言わない代わりに、手を動かす。太鼓を置き、布を畳み、紐を巻く。紐の巻き終わりを内側へ入れ、端が出ないようにする。


「明日、工場に行く時間、九時でいい?」とすず。


「いい」


会話はそれだけで足りる。足りないものは、拍で補えばいい。拍は町のどこにでもある。板張り、風鈴、氷の角、油紙の脈。人の足音。《なぎさ》の箱の奥に漂う微かな波。


彼らは歩き出した。町は、もう一度、歌いはじめる。大きな声ではない。聞こえないほどの小ささで、だが確かに。時間は少しだけ伸びる。伸びたぶんは、返礼で払い、手入れで支える。今日の小さな倫理が、明日の拍の材料になる。


祭りの夜のハーモニーは、終わった。終わりは、手順の始まりに丁寧に縫い込まれた。戻らないものが戻らないまま、戻るべきものだけが戻る余白を確かめながら、二人は同じ速度で坂を上がっていった。

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