第3話:同性婚の不在と少子化問題

次に、同性婚の問題に移ろう。日本では、同性カップルが法的に結婚することができない。これは、平等と自由の観点から深刻な差別を生んでいる。民法では、婚姻は「夫婦」として異性間のみを想定しており、同性婚は認められていない。二〇二三年時点で、札幌、高松、東京、名古屋、福岡の五つの地方裁判所で同性婚を認めないのは違憲だとする判決が出ているが、最高裁判所はまだ最終的な判断を下していない。政府は、二〇二一年の自民党政権下で「LGBT理解増進法」を成立させたが、これは差別禁止ではなく「理解の促進」に留まり、実効性に欠ける。結果として、同性カップルは相続権、税制優遇、医療同意権、住宅ローン共同申請などの権利を奪われている。例えば、異性婚のカップルが享受する配偶者控除は、同性カップルには適用されない。パートナーが重病になった時、家族として面会や治療決定に関与できないケースが報告されている。これは、経済的・社会的関係における差別そのものである。政府は少子化対策として異性婚家庭への手厚い支援を展開するが、同性婚の禁止が少子化防止に寄与するという主張は根拠に乏しい。

 国際的に見て、日本は遅れている。G7諸国の中で同性婚を認めていないのは日本だけだ。台湾は二〇一九年にアジアで初めて同性婚を合法化し、タイも二〇二四年六月に同性婚法を成立させた。こうした国々では、同性カップルが平等に家庭を築き、自由に愛を表現できる。一方、日本では自治体レベルで「パートナーシップ制度」が導入されている自治体が二〇二四年時点で三百を超えるが、これは法的効力がなく、象徴的なものに過ぎない。内閣府の世論調査(二〇二二年)では、国民の約七割が同性婚を認めるべきだと回答しているのに、政治は動かない。これは、多数派の異性愛者がマイノリティの自由を制限している構図だ。自由とは、自分の性的指向に基づいてパートナーを選び、家族を形成する権利を含むはずだ。それが否定されるのは、憲法第二十二条の「職業選択の自由」や第十三条の「幸福追求権」に反する。平等は、異性愛者と同性愛者が同じ権利を有することだが、現実は偏っている。

 異性婚への支援を強化しつつ、同性婚および共同養子縁組を認める政策を主張する。少子化の主因は晩婚化・非婚化や経済的負担であり、同性婚の合法化が出生率に直接影響することはない。むしろ、同性カップルを認めている時点で、そのカップルが結婚するだけという事実である。実際、台湾や欧米諸国では同性婚導入後も出生率の劇的変動は見られない。重要なのは、同性カップルを認めている時点で、そのカップルが結婚するだけという事実である。政府は「伝統的家族観」を理由に同性婚を拒むが、これは憲法が保障する幸福追求権の否定に他ならない。異性婚への手当てを充実させつつ、同性婚を認めることで、すべての国民が平等に家庭を築く自由を得られる。これこそが、少子化対策と人権保障を両立させる道である。

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