第9話 初めての……
なんとなく気分がよくって、「カンキツ!」とだけ書かれた何が原料として入っているのかもよくわからない謎の缶ジュースを一口飲んだ。
「……くふっ、何味……? これ……」
舌の麻痺する酸っぱさと、ものすごい苦さに対して、全く見合わない微かな甘さが感じられた。
口を離して、まだレモンをかじった方がマシでは、と思いつつ、私はもう一度口をつける。
少しは慣れたかと思ったけれど、刺激はあんまり減らない。むしろ、少し間が空いただけに口がヒリヒリとした。
舌が縮まるような、口の中が収縮するような感じと唾液の分泌が止まらない。
普段は新しいものになんて、そうそう手を出さないのに、台風明けのいい気分で調子に乗ればすぐこれだ。
「……どうしよう」
飲めない。ただそれだけで、不思議と悪い気は起きない。
問題は飲めないことだ。酸味に体が異常に反応してしまう。
そのせいで、3度目を挑戦したいかと聞かれると、そんなことはないという……。
ピンポーンとちょうど困っているところにチャイムが鳴って、私は対処すべき現実から目をそらし、缶を机に放置した上でゆっくりと立ち上がった。
*
「何これ美味しそう。いただきまーす」
「あっ」
部屋に入るなり、目ざとく缶を見つけた横道さんはさっと取り上げて逆さにでもする勢いで飲み始めた。
だが、想定通り、慌ててその口は外される。
「何これ! 酸っぱ! レモンジュースっていうか、レモン……の方がマシ? 何か一緒に食べるものほしくなるね」
同じ感想でほんのり嬉しく、珍しくしかめっ面の横道さんの顔を見られてやっぱりちょっと嬉しい自分。
「ヒリヒリする」なんて反応も同じで自分の間違ってなさが証明されたような気になった。
そんな様子を黙って見ていると、横道さんは申し訳なさそうに私と缶とを見比べ出した。
「あ、あー……これ、桔梗ちゃんのだったよね……」
私が呆然としているのを見て、取られたとでも思っているように勘違いされたらしい。
もしくは、2度、漢に口をつけたところでようやく机に缶が一つしか置かれていなかったことに気づいたのかもしれない。
「ごめんっ!」
「いやいや、気にしないで」
「でも……」
「1人じゃ飲みきれなさそうだったから、2人で飲もう?」
「いいの?」
「もちろん」
ほっと息を吐き出したところで安心したふうにいつもの横道さんの表情に戻った。
それ2人で飲むということで私も差し出された缶を受け取った。
口の前まで運んで、遅まきながら気づく。私が飲んでいたところに横道さんが口をつけていたことに。
わかりやすく言うならば、間接キス。
じっと飲み口から目が離せなくなる。
ドクドクと耳で心臓が鳴っているような気がした。それくらい脈拍が爆音。
「どしたの?」と聞かれて、「ううん」と返す。
そ、そうだ。回し飲みくらい、ふ、普通なんだ。こんなことを気にしているのは私だけ。
いくら自分に言い聞かせても荒くなりそうな息。私はそれを隠すように真っ逆さまにせん勢いで缶をあおった。
「ああっ!」という悲鳴が漏れ聞こえる。
きっと、他の子ともしているとか、そういう思考を押し流すように一気飲み。嫌だと感じた自分もそれが変だと思い切る前に思い切り喉を通す。
先ほど、思わず口を離してしまった酸味も苦味も微かな甘味も全くわからなかった。
それでも、なんとか息を吸ってみれば、口や頬が少しヒリヒリとする感じがある。
「もー、普段はこんなことしないのに、どうしたの?」
パタパタとティッシュで拭われて、少しこぼしていたのだと気づく。
小さな子どもみたいな惨状に自然と顔が熱くなってくる。いや、それだけじゃないか。
横道さんの顔が寄っている。汚した箇所を探すため、それはもう、余計に。時々引きで確認することもあって、顔が離れるたび、私が見られているのだと自意識過剰にも考えてしまう。
「はい。キレイになった」
「……ありがとう」
もう少ししてほしかった、という言葉をぐっと飲み込む。
そのうえで、間近に笑顔の横道さんがいて、目を背けたくなるのも必死に我慢する。無心になって見つめていた。
ただ、その顔も徐々に赤くなっていく。
私を子ども扱いしたから? それとも、近くで目と目が合ったから?
「それ」と缶を指さし、横道さんは、はにかんだ。それはもう恥ずかしそうに落ち着かない様子で。
「間接キスに、なっちゃったね」
耳まで赤くし、もぞもぞと言いにくそうな様子。目をそらしては私の様子をうかがうためか時々目が合った。
そうか、横道さんにとっても回し飲みは普通じゃないんだ。
そのことが分かっただけで、今日という日を生きててよかったと感じられた。
「だね」
泳いでは合うその瞳がどうしようもなく愛おしくて、今日みたいなことは自分にだけしてほしいと、そう心から思った。
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