寂しがりやの不登校

第7話 台風の日

 ガタガタと窓枠が揺れてきしむ。

 外は台風。暗くて、何も見えないほどの荒れ模様で、家ごと吹き飛ばされるんじゃないかと思うほど、時々グラグラと建物が揺れる。


 コンコン、と何かがノックしたような気がして顔を上げるも窓には水滴が見えるだけ。他には何もない。


 これで何度目だろう。

 私は期待が外れたのを誤魔化すようにため息を吐く。


 そもそも、2階から入ってくるなんてアグレッシブな人、現実にはまずいないだろう。フィクションじゃあるまいし。

 勢いよく頭を上げたせいで、頭痛が増した。

 自分の体が嫌になる。


 雨の日は嫌いだ。

 偏頭痛がする。


 脳の内側から目の方にかけて鋭いキリ押されるような痛みが延々続く。眼球が飛び出てくるんじゃないかって思うくらい、強く強く主張してくる。

 こんな日ほど誰かに触れていたいのに、部屋には1人、誰もいない。

 家族の帰りも遅くって、横道さんもいやしない。

 当然だ。台風なんだから。


 いや待て、触れていたい? 私が? 誰と、なんで?


 雨でも風邪でも家族以外の人と話すことなんて去年1年ほぼなかった。

 だから、横道さんと毎日のように話していて感覚がバグったんじゃないのか。


 否定するほど物欲しさは増すのか、時計を見てはまだ30秒しか経っていないとガックリくる。


 気づくとタオルを用意して、ミルクもすぐ出せるようにコップを準備していた。


 そんなことは起こらないと思っていても、思えば思うほど、台風を押してびしょ濡れになってでも、それでも来てほしいと心のどこかで思ってしまうのだ。


 馬鹿馬鹿しい。


 いないことが物足りなくって、だから、まだ誰も求めていないのに、タオルなんて出している。

 スマホがあれば、ぱっと連絡もできるかもしれない。だけど、私はまだ持たされていない。


「今頃、クラスの他の子と帰ってるのかな。それとも、帰れなくなってるのか……」


 口に出して、嫌な気分になった。

 自分でもよくわからない焦りと不安が私の体で渦巻き出した感じだ。

 横道さんが、顔のわからない誰かと楽しそうに笑う姿を想像しただけで視界を闇が包み込むよう。


 いけないいけない、と別のことを考えることにする。

 ゲーム、漫画、勉強、どれも横道さんと結びつく。


 脳裏にこびりついたみたいに、横道さんの顔が浮かぶ。

 きっと私は横道さんからもらいすぎているんだ。


 いけないことを考えている気になって、出していたコップに牛乳を入れてレンジに突っ込んだ。だいたい1分。何もしない。ただ、数字が変わるのを観察している。


 それでも、異様に数字の減りは遅くって、ゼロになる前にレンジを開け、ぬるくなった牛乳を一気に流し込んだ。

 ほんのりと甘い味がする。突沸は起きなかった。自分がメチャクチャになる言い訳すら作れず、嫌な気持ちは増すばかり。

 どうして、頭だけでなくって、胸まで痛めつけられないといけないんだろう。台風が憎い。

 つくづく自分の体も嫌いになる。


「……こんな体。バラバラになってしまえばいいのに」


 自然、キッチンに来ていたせいで、視線は包丁へと移った。

 家に1人。こんな状況、そしてこんなメンタルだ。私は何度だって考えた。自分で自分の体を切り付けることを。

 それこそバラバラになった自分の姿を、その惨状を何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も妄想した。


 そして、私は今日も実現できなかった。


 最近は減っていたし、踏ん切りがつくんじゃないかって思った。

 だけど、包丁を握って、自分に向けて刃を当てるイメージをしただけで、腕がひんやりと冷えてきてじんじんと正座でもしていたみたいに痺れてくるのを感じると、手から震えが全身に伝搬してくるようで、軽く眩暈がして、私はその場にしゃがみ込んだ。


「この世から、もう消えてしまいたい」


 孤独な私はきっと消えてしまったところで、誰も悲しまないのだろうから、問題はないはずだ。

 それでも、痛いのは嫌で、自分の体には一度も刃を入れられていない。


 正常な判断ができているんじゃない。単なる臆病だ。思い切りが悪いだけ。ビビリでどうしようもなく受動的なんだ。

 だから、どうしようもない状況になって、世界もろともなくなってしまいたい。

 隕石か災害か、この際、宇宙人だっていい。なんなら、私個人が不意の事故に遭遇するとか。

 そう、被害者として死にたい。言い訳できない。解決できない死に方がいい。


「……何を考えているんだろう」


 雨の日はこんな思考ばかりが脳内をぐるぐる巡ってしまう。


 気分はずっと沈んだまま。自分で自分を沈めているのか?

 もう1年ぐらいこんなんだから、よくわからなくなってきた。


「死んだら横道さんに会えない、か」


 ふっと天啓にように浮かんだ言葉に私は顔をあげた。

 それでも、今はいない彼女の姿が恋しくなるばかりで息苦しさが増すだけだ。


「…………横道さんは私が死んだら悲しんでくれるのかな」


 悲しみそうだな。いい人だから。泣くかもしれない。

 だったらやっぱり、まだ死にたくないかもしれない。

 人を悲しませるのは、自分が悲しむのよりよほど嫌だ。


 ガチャっと扉が開く音がして、私は流し台を支えに立ち上がった。

 すぐに玄関の方を見る。


 期待で胸が高鳴っているのがわかった。

 ドクドクと体に熱を送ってくれる。


「ただいま」と言ったのは母だった。


「すごい雨ね。帰ってこられてよかった。体調大丈夫?」


「……うん」


 なんとなく胸の熱が冷めていく。

 今日は、お早いお帰りだった。

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