排泄される言葉

長添遊宇

排泄される言葉

大学生の頃は、

日記にさえ

自分の気持ちは

書けなかったかな。


あの頃の気持ちは

もう薄らと、記憶の彼方しかないけれど、

画家の友人に、

「何か書いてみろ」

と言われて、

「自分には絶対無理」と答えたのを覚えている。


その友人の

自由な風のような姿を追いかけて、

自分の心を言葉にするようになったのは、

それから間も無くだっただろうか。


気がついたら、

その友人を含めた複数の仲間に

躊躇いもなく

自分の心を描いた言葉を

読ませるようになっていた。


今。

あれから四半世紀が経っていて。

会社で業務上の

無味乾燥な言葉を羅列する事が多くなって。


表面的な、事実を羅列する事ばかりするようになって言葉を簡単に使う事に慣れすぎて。

自分の心は、

感じる力が弱くなり、

言葉を並べるのが、とても億劫になり、

YouTubeやら、アニメやら、

煌びやかだけど、

どこか簡単なものばかり

好きになって。


そんな物ばかりに囲まれると、

心はどんどん乾いて、

乾いた心は、

肩や腰の凝りとなり、

結局は、

何からも解放されず、

どんどん苦しくなって行くんだけど。

それに気付いてはいるのだけど…


簡単に言葉が排泄されるようになったからなんだろか。

物を書く事に意味がなくなってしまったのは。

自分の書く言葉に

意味が見出せなくなったのは…

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排泄される言葉 長添遊宇 @mekurikuriman

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